31. 心の洗い場。お台場。

多分、僕がnoteを書き始めて2つ目か3つ目くらいの投稿で、軽くお台場について書いた気がする。日頃からラグビー・回転寿司・麻雀・お台場のことは全部僕に聞けっていつも言ってるけど、いやなんでお前そんなにお台場好きなん?って思うよね、そりゃ。根本の部分にあるものは僕もよくわからない。だけど、最近、ちょっとずつ、自分の感情がわかってきたよ。


最近忙しすぎて、あんまり一人でどっかに出かけようって気にもならなかったから、だいぶ間が空いちゃったけど、この前久しぶりにお台場に行った。

一人で考え事をしたい時。ただただ、思考という縄で自分を締め殺したい時。あるいは、自分の背中を押してあげたい時。大勝負に挑む時。新たな一歩を踏み出す時。決まって、一人で、お台場に行く。

ゆりかもめ5駅分くらい、ほとんど誰もいない夜のお台場を、ひたすら歩く。デパートも遊園地も一切入らずに、ひたすら街灯があったりなかったりする道を、歩く。

お台場は、その存在自体が、矛盾だと思う。地面も、そこに立つ高層ビルも、そこに広がる豊かな緑でさえ、全て人間によってもたらされたのに、その空気は都会の喧騒とは程遠くて、果てしない海も、広大な空もあって、走るモノレールに運転手はいなくて。

僕の知ってる限り、お台場には、家がない。いや、タワマンみたいなのは多分あるけど、謂わゆる住宅地みたいなのはない。つまり、お台場に、帰ってくる人は、いない。

普段、みんなが最寄駅から家に歩く時、何をしながら帰る?歩きスマホとかはなしで。まあ、何もしてないって言うかもしれないけどさ。でも、きっとその目線は、すれ違う人に、追い越していく車に、通り過ぎた家の明かりに、遥か遠くの信号に、忙しなく動いてるはず。でも、お台場には、これが全部ないんだ。人も家も車もほとんどなくて、強いて言うなら自然と人工物が程よく調和した景観がひたすら続いてるだけ。別にそれについて特に何も考えようがないような高層ビルと、ただただ空が広がってるだけ。つまり、思考を逸らすようなものが、認識するに値するものが、ほとんどない。あいにく、人間はずっと何も考えないままって訳にはいかない。するとどうなる?もう、自分と向き合うしか、なくなるんだよ。

さっきも言ったけど、お台場って、人が作ったくせに人が全然いないからさ。なんか、廃墟みたいな感じがするんだよね。いや、そこにあるものはモダンそのものなんだけど、どっかの誰かが頑張って作った作品を、独り占めしてるような気がして。ストラクチャーそのものも、そこに溢れる空気でさえ、やっぱり、とっても好きなんだな。

それから、これは言い過ぎると僕の人生のネタバレになりかねないからあんまり言わないでおくんだけどさ。お台場には、僕の原点が、そして同時に、目指すべきものが、あるんだよね。そういう意味では、僕は毎回あそこに、情熱を摂取しに行ってるのかもしれない。



結構交通費高いけどね。どんな人にも行く価値あると思うよ。観覧車なくなっちゃったけど。


from Diversity.

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