34. 過去、未来、人生。
Xのタイムライン。自殺した人が最後に書いたnoteの締めの言葉に感動したってポストが流れてきて、なんとなく読んでみようと、久しぶりにnoteのアプリを開いた。別に感動はしなかったのは、僕のせい?社会のせい?
そのnoteについた数千のいいねがその死の意味ならば、どうにかしてその生に意味を見出したかった。人は、他人に生きてほしいとか言いながら、他人の死にばかりいいねして。死なんて、生の最後の点でしかないのに。それならば、せめてても生という点の連続を、最初から最後まで大切にしたい、と思う。まあ、自分の知り得ない不幸の話をするのはやめにしよう。
久しぶりにこのアプリを開いて、そういえば昔僕もここに狂ったように文字を書き連ねてたよななんて思って見返してたら、気づいたら全部読んでしまった。
もう、こんな文章、書けないなと思った。痛々しかった。攻撃的だった。もがいてた。幸せが何か、わからなかった。別に過去の自分に文才があったとか言うわけじゃないけど、ただ、こんな暗闇の中で転げ回るような文章を書くには、僕は幸せになりすぎてしまった。満ちてしまった。
いつだって、不幸せが僕の原動力だった。苦難や挫折が、どんどん僕をありきたりな幸せから遠ざけていく気がして、その度に、僕は自分だけの道を歩む覚悟をした。一人で生きて行く覚悟をした。それこそが、僕の生きるべき人生なんだと信じるしかなかった。
そんな不幸は、巡り巡って、報われてしまった。気づけば、僕は普通の、ありきたりな幸せの、ど真ん中にいた。ずっと暗闇の中を一人で歩いていくつもりだったのに、気づいたら夜は明け、周りにはたくさんの人がいた。もう、ここは僕だけの道ではなかった。
「さあ朝が来る、愛される準備だけはいつだって出来ている」
これが冒頭のポストに書かれていた締めの言葉だった。地獄のような日々の中でも、死にたいと思ったことは一度もなかった。あの日々を、僕は夜だとは思っていなかった。これから朝が来るかなんて、わからなかった。愛される準備も、幸せになる準備も、できてなかった。まるで、窓のない牢獄に閉じ込められているみたいに。
明けない夜はない、なんて無責任なことは言わない。だから、朝の夢を見るために眠りにつくことを、否定はしない。でも、夜も悪くないと思う。月明かりに気づけるのも、流れ星に願いを馳せれるのも、夜だけなんだから。
また朝が来るかなんてわからない。それでも、僕はまた夜を望む。夜を楽しむ準備はいつだってできている。今夜は踊ろう。月明かりに照らされたいつかの自分に想いを馳せて。
たまには、夜更かしでもしてみたらどうでしょうか。