やりたくないこと、分かるということ

視野を広く持てという。とにかくやってみろという。変わる覚悟が足りないと言われる。

人は簡単に変われない。毎日勉強する人がやめないように、毎日勉強しない人が始めるのも難しい。人は簡単に変われないから。

変わるという行為はある種現在の自分を否定することである。人は自らのアイデンティティを保存しようとするから、変わることはそういう意味では危険だ。

一方で自分の中で成長と認識している変化なら受け入れやすい。それは自分が自分のアイデンティティのより理想的な、あるべき姿に近づいているからだ。それはより自分を肯定する行為になる。

分かっていてもやりたくない、というのは詰まるところ分かっていないのではないか、と思う。人はやりたいことならばできる。家でだらだらするだけの怠惰が人間の本性ではない。やりたくないということは自分の中でどこかその行為がアイデンティティと食い違っているのだ。

そして、人間のアイデンティティ志向性は日々変化する。昨日は思っていなかったことでも、今日ではこれは良い、これは良くないと気付いていく。そうして自らの志向性を修正していく。感覚の柔軟性に、意志の強固性は伴っていない。感覚は無意識レベルだが、意志は意識レベルだ。



人間の意識レベルの思考はとても頑固だ。そして、社会もまた頑固だ。それでも、真理は輪だ。今日死のうとも、愛する人に何もできなくても、それも輪であるから、仕様がない。今日やりたいことが、自分というアイデンティティそのものなのだから。

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