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『昭和芸人の遺言』~うたじ師匠 ’ギャグユニーク’と下積み時代~#1

 「照れくさいな」

 出番終わりのうたじ師匠をカメラ持った私が付き添いながら浅草の街を歩く。時折立ち止まり浅草について教えてくれる師匠をこれでもかと撮影する。芸歴54年を越える師匠と言えど、カメラで撮られるのは恥ずかしいようだ。

 飲みながらやろうという師匠の提案でインタビューは東洋館近くの喫煙所がある居酒屋チェーン店で行われる・・・予定だった。が、いつまで経ってもお店に辿り着かない。距離としては100メートルもないほどの場所にお店はあるのだが、その間に街行く人々に師匠が挨拶していくのだ。

 「ここのスーパーにはいつもいる名物の人がいるんだよ。ちょっと挨拶していこう。・・・今日はいないみたいだな」

 こんな感じで一軒お店を越える度に挨拶をして回られる。浅草という街に師匠が如何に根付いて生きてきたのかがわかる。

 大瀬うたじ。漫才コンビ、大瀬ゆめじ・うたじとして活躍し、「平行線漫才」と言われる絶妙に相方と会話がかみ合わないスタイルの漫才で第29回NHK漫才コンクールで優勝を果たす。この時コンビ結成10年目だった。そこから2013年「方向性の違い」によってコンビの間柄も平行線を辿り解散。その後、大空遊平師匠・結城たかし師匠と共に「トリオザキュースケ」を結成するが脱退。以後、ピンで舞台に立ち続けていた。

 やっと居酒屋に着いた。タッチパネルを危うそうに使いながらフライドポテトを注文されるうたじ師匠。

真剣にメニューを悩まれるうたじ師匠。

高倉 :いいですね。フライドポテト。

うたじ:うちのかみさんも好きなんだけど、マックで買ったって持ち帰るとしんなりしちゃって。かといってお店で食べるのも嫌だな。

高倉 :奥様とはどこで出会われたんですか?

うたじ:えっとね、職場結婚。

高倉 :寄席ですか?

うたじ:違う。かみさんがモダンバレーをやってて、懐メロっていう仕事が昔あったのね。

高倉 :懐メロっていう地方の巡業があったんですか?

うたじ:うん、そう。懐メロショーっていうのがあった。

高倉 :それって今で言うとどういう形なんですか?営業?

うたじ:営業。だから、コントで兵隊のコントやったり。時代だからね。兵隊の格好で俺はチーターカタッタッタていう格好した。

高倉 :全然わかんないです(笑)。軍人なんですか?

うたじ:軍人じゃなくて、農民が兵隊に駆り出されて、陣笠かぶって、鉄砲を担ぐみたいなスタイルがあったんだよ。それを俺と相棒(大瀬ゆめじ師匠)がやって。

高倉 :それ盛り上がるんですか(笑)?

うたじ:うん、コントやってる後ろでフルバンドでやるからね。

高倉 :すごい!!!フルバンドでコントやるんですか。

うたじ:多い時は後ろに15人ぐらいいた。スポンサーがしっかりついて。例えば売れてる人と俺らのその一座がくっついて2時間半やる。

高倉 :いくらぐらいもらえるんですか?

うたじ:当時、コンビで7000円ぐらいかな。

高倉 :そこで奥さんが歌い手さんをされてた?

うたじ:違う。だから、ダンスをやってた。ダンスだから構成でいうと後半なんだよね。戦後っていうところで。

高倉 :いや、分かんないですけど(笑)

うたじ:だから太平洋戦争の後、いろんな洋物が入ってきましたよっていう風な構成になってるの。

高倉 :なるほど。音でたどる日本の歴史みたいな。

うたじ:そう。懐メロショーだからメインの司会者さんが、漫談もやってる人だったからね。仕事があって来れない時は司会を誰がやったと思う?

高倉 :わかんないです。誰ですか?

うたじ:和才さん。

高倉 :高峰和才師匠がやられてたんですね!

うたじ:こっちはその当時ぺーぺーもいいとこだったの。和才さんの方がその意味では先輩なんだ。漫才のコンビとしてはこっちのが先輩。

高倉 :知りませんでした。

お酒が好きだったうたじ師匠

高倉 :大学を卒業されてすぐコンビを組まれたんですよね。

うたじ:正確には在学中だね。最初は大瀬ゆめじ・うたじではなかったんだけど。ちらっとだけ他のコンビを組んでた。

高倉 :どなたと組んでいたんですか?

うたじ:死んだ兄貴の1人が日芸だったのね。日芸で美術の方に行ってたんだけど、その時に兄貴が友達になったやつがいて。そいつも日芸は日芸なんだけども、お笑いの方の人間だったの。そいつがコンビを組んでたんだけどコンビが壊れた。でもヌード劇場の仕事を1人で取っちゃったの。だけどコンビが別れて1人じゃ寂しいと。そんな時に兄貴が漫画描いてたからその流れで「手伝ってくれないか?」って言われたんだけど兄貴は「駄目だ。今仕事が入っちゃってるから」って断ったのよ。で、俺が兄貴の家から徒歩10分ぐらいのところに住んでたのね。それでそいつが俺のところに来て「手伝ってくれ」って言うから「いいよ」って言っちゃった。

高倉 :そこから芸の道に入ったんですか。

うたじ:一晩、練習して次の朝の一番電車に乗っかって、世田谷の用賀ってところから渋谷に出て、それから新宿へ出て中央線で行ったのかな?千葉県の五井っていうところ。内房にあるんだけどね。そこに五井劇場っていうヌード劇場があって、踊り子さんが3人かな?コントを2本やって、その合間にピンク映画を1本ずつ見せる、それがワンサークルで、それを1日4回。

高倉 :ちなみにコンビ名はなんだったんですか?

うたじ:えーとね、“ギャグユニーク”。ユニークでもなんでもないんだ。

高倉 :(爆笑)。

うたじ:このコンビ名あげようか?その人ももう死んじゃってるから。

高倉 :いや、遠慮しときます(笑)。そのコンビはなぜ解散したんですか?

うたじ:別に深い意味がない。将来性を考えて。

高倉 :今でいうユニットとかお試しコンビみたいな感じだったんですか?

うたじ:そうそう。だから、あれと一緒だよ。結城さんと遊平ちゃんと私がやってたトリオザキュースケと同じ。割れ煎ね。

高倉 :割れ煎ってどういう意味ですか?

うたじ:壊れた煎餅。売ってるでしょ。あれ久助っていうんだ。

高倉 :なるほど。みんなコンビが壊れて。

うたじ:そう。壊れた同士がくっついた。

高倉 :ぴったしの名前だったんですね(笑)半年ぐらいはそのギャグユニークで活動されてた?

うたじ:そう。最初にいったヌード劇場を中心にね。

高倉 :昔の芸人ってやっぱりそこが中心になってくるんですか?

うたじ:そうね、その後売れた人たちも、結構そういうところに出てたね。でね、そういう時の憧れっていうのはキャバレーに行きたいのよ。なんでかって言ったらキャバレーは1日2回、夜2回やるだけ。ヌード劇場は1日4回。で、繁華街のヌード劇場は土曜日はオールナイトってのがあって、もう2回増えて6回になっちゃう。割増になるけどまともに寝らんない。

高倉 :なるほど。

うたじ:ガチャガチャ音してるし。またマイクでさ、さぁお客さんなんとかだってパチンコ屋と同じようなことやってるから、大変だったよ。

高倉 :キャバレーの舞台に憧れてた。

うたじ:そこも出られるようになると、金額的には下がるけど、松竹演芸場にも出たい。松竹演芸場もそのコンビで2回ぐらい出たかな。

高倉 :そんな簡単に出られるもんなんですか?

うたじ:出られない。

高倉 :ですよね。どうやってそこはねじ込んだんですか?

うたじ:中映っていう今のドンキホーテがあるところに違う建物が建ってて、そこが差配してたのね。

高倉 :芸人をここに出すみたいな。

うたじ:松竹演芸場に関してはね。そこに部長がいて、その部長のところにだるまかな。サントリーオールドだね。お酒を持ってて挨拶して、それで出してもらった。

高倉 :やっぱ挨拶大事ですね。

うたじ:コンビで1日2回やって1000円。そっから源泉一割引かな。900円を割ると一人450円。ヌード劇場だったら一人2000円にはなる。キャバレーだと2回だけでやっぱり2000円から3000円にはなった。1人ね。

高倉 :当時の物価がよくわからなくて、1ヶ月どれぐらいあれば過ごせるんです?

うたじ:2万円あれば過ごせてたかなー。

高倉 :じゃあそこで舞台に立ち続ければ暮らしてはいける状態なんですか?

うたじ:450円で10日で4500円。無理だよ。

高倉 :そっか。だからキャバレーとか行かなきゃいけない。

うたじ:やっぱりヌード劇場行かないと。ヌード劇場だって30日全部埋まるとは限らない。だから来てる客の男に「お兄さんすごいですね。いろんなこと知ってますね」とか言うと、缶詰の差し入れ買ってきてくれたりして「兄ちゃんこれ食べな」とか言ってもらえるんだよ。それとかちょっと表行って一杯一緒にやるかとか。そういうのありだったから。旅館と食堂の倅だったからそういうのは得意だったんだよ。

袖から舞台を真剣な眼差しで見つめるうたじ師匠

#2へ続く


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