「させていただく」は変ですか?敬語が背負う「盛り盛り」の宿命【時事ドットコム取材班】(2023年02月02日10時00分)
「こちらコーヒーになります」「なるほどですね」―。日常的に耳にする言葉ですが、眉をひそめる方もいます。本当におかしな日本語なのでしょうか。コミュニケーションで使われる言葉を研究する法政大の椎名美智教授によると、敬語には「敬意盛り盛り」にならざるを得ない宿命のようなものがあるのだそうです。(時事ドットコム編集部 横山晃嗣)
―普段どんな研究をされているのでしょうか。
言葉がコミュニケーションの中でどう機能するのか、どう意味が伝わるのかを調べる「語用論」という言語学の分野を研究しています。言葉は辞書通りに伝わるわけではないし、話者が伝えたい意味を聞き手が必ずしもその通りに解釈してくれるわけでもありません。「空気を読む」という言葉がありますが、その「空気」の正体を探る研究に近いかもしれません。
昔の人がどんなふうに話していたのかも、当時の小説や戯曲、裁判記録などから調べています。「言葉は生き物」ですから、同じ言葉でも、年代ごとに比較すると意味が変化していくことが分かります。例えば「お疲れさま」。昔は「さようなら」の意味で使われていたのに、今では、出会ったときのあいさつに「お疲れ」と言うようになってきました。
日常生活の中でも面白い言い回しだと思った言葉は、誰がいつ、どこで言ったかをメモに書き留めて置くようにしており、それが論文につながることもあります。
―最近気になった言葉はありますか。
政治家などが「コメントを控えさせていただきます」と言うことがありますが、昔は「ノーコメントです」とか「答えられません」を使っていました。「控えさせていただきます」が流行したのは、「あなたから許可をもらってコメントを控えているんですよ」というニュアンスが醸し出されるからでしょう。
―「させていただく」はビジネスメールなどでも頻繁に目にする表現で、私自身も使いがちです。
どんな動詞にも付けられる便利さがあるためだと思います。同様の意味で、かつては「させてください」という言葉が一般的でしたが、より丁寧な言い回しとして「させていただきます」が広まりました。「いただく」は、擬似的な上下関係を作り出して自分を下げ、相対的に相手を上にして敬意を示す謙譲語です。
「させていただく」は19世紀後半ごろに生まれ、明治時代には小説にも登場するようになりました。広く使われるようになったのは1990年代からと言われていますが、そうなった直接的な原因は分かりません。何十年か掛けて徐々に浸透し、あるときにみんなの目に止まるようになったのでしょう。今では何にでも使われるようになってきていますね。
―インターネットの普及も関係していますか。
ブログやSNS(交流サイト)も影響していると思います。芸能人は、ブログなどで「結婚させていただきました」とか「受賞させていただきました」といった表現をよく使いますよね。不特定多数に向けた発信では、表現を一歩間違えると炎上してしまうため、「誰が読んでも丁寧に受け取られたい」と工夫した結果かもしれません。相手への敬意からだけではなく、自分の安全のために使おうとする風潮もあるように感じます。
―「させていただく」に関する本を出されました。どのようなきっかけで「させていただく」の研究を始めたのですか?
敬語に関するある講演会で見掛けた光景がきっかけです。「受付で『受講票を確認させていただきます』と言われたが、ああいう言い方は失礼じゃないか」と訴えている年配の男性参加者を目にしたんです。講師は「丁寧に言いたかったのではないですか」と応じていたのですが、その男性は怒って席を立ち、出て行ってしまいました。どうしてあんなに怒ったのだろうと考え始めたのが、「させていただく」研究の始まりでした。
―年配の男性は、なぜ怒ってしまったのでしょうか。
「させていただく」という言葉には、丁寧さを感じさせる効果もありますが、「実家に帰らせていただきます」とか、「通報させていただきます」などのように、相手を突き放すような使われ方をすることもあります。男性には、受講票確認の許可を求める「お願い」ではなく、突き放した言い方で確認を宣言されたように聞こえたのではないでしょうか。
受付の方は、年配の方に対して「受講票を確認させてください」とは言いにくかったのかもしれません。一方、年配の男性にとっては「確認させてください」という言い回しの方がしっくりきたのでしょう。
―社内にも「させていただく」に違和感を持つ人はいます。
「させていただく」を使いすぎなのだと思います。「この前ご連絡させていただいた件については、次にゆっくりご説明させていただいた後に、写真を撮影させていただいて」みたいに、一文に何度も使われることがあります。若い人は失礼に思われないよう、一生懸命に使っているのですが、上の世代から見ると、へりくだりすぎてかえって横柄に感じられます。
―「させていただく」の他にも、「こちらコーヒーになります」「なるほどですね」といった言葉を耳にします。「日本語の乱れ」を指摘する人もいますが、これらは間違った言葉なのでしょうか。
「間違い」ではなく「違い」です。それが、私と同じように語用論を研究する言語学者の立場です。言葉は常に変化しています。別の世代の言葉遣いには違和感を持ちやすく、それが「日本語の乱れ」のように感じられているのではないでしょうか。