n回目の想い

去年の誕生日前日1/27、20代で最後に経験しとくか〜って初めて自分の意思でセクシーなキャバクラに行ったわけだが、そこからこの一年で20回行ってるんですね。30になる直前までいわゆるそういうサービスにも、タバコにもギャンブルにも、大人が生きてたらある程度は使う金を全く使ってこない30年だったので実質0円なんですが、じゃあなんで1円も貯金がないかという不思議なものなんですよね。本当にリアルにお金がないからあの毎月稼いでる金はどこに消えてるのかいまだにわかりません。
5回くらい指名でリピータした以外フリーなのでこれもまた健全なんだが、ついに1週間前についた子を指名で1週間後にまた行きましたさっき。もうこの現象自体で異常事態なのだが、かと言ってここからいわゆる沼にハマっていくことはないのが俺の人間としての強さだと思ってて、ただこうなってくるとそろそろ反動でもう人生終焉なのかなとも俯瞰して家着いてベッドで思うわけですよ。人は匂いの記憶が1番強く残るものですけど、今まで感じた中でずば抜けて残る匂いで幸福感がすごくてですね、この辺りもそろそろ精神的に人生やるの限界かなって思うんですね。帰り道Julietのmyダーリンって曲聴いて流石になんかの作品見てる時みたいに涙はこぼれないんですが、ありえないくらい変な感情になって帰宅した。人間が普通にするような人との関わり、特に異性間のものをほぼしてこない人生でしたけども唯一高校の頃だけ一回人間を好きになったわけでその記憶だけでここまで生きてきたわけで、その曲ってのがあるあるですけど向こうが俺指定の着メロにしててまあ俺も17にしてハスらず着メロにしたわけですけど、その曲なんですよ。だからJulietっていういまだによくわかってない音楽の人のこの曲がありえないくらい自分の中で特別なものになってて、それをさっき帰り道に聴いてもう現世はこれでいいのかなって思ったわけです。今死んだら死ぬ前に何を思って死ぬんだろうなって思う。いや、これくらいしか思い返すことほんとないんですねえ。同級生のみんなは何に幸せを感じて30年生きてるんだろう。たくさん経験してる人は幸せが分散されるわけですが人と関わるのが苦手な人にとっては数少ない人とのよい記憶だけで生きてるわけなんですよ。だからそれこそ芸能人のお持ち帰りパーティという現実があることが火星の出来事にしか感じないから逆に何も感じないんですわね。

自分なりに人よりも多方面に気を配って、というか全てのことに気がついてしまって人の500倍交感神経が疲れてるわけですが、人より結果出ずに病み始めてます。いわゆる鬱を発症する人ってみんなこんな感じなのかってわかってはあるけど、周りの人がそんな人1人もいないような気がしてそのことが1番な鬱なんですね。世の中はこんなにも無数に人が生きてるのに、自分だけのような気がするのはなんなんでしょう。何十年生きててもよくわかんないしこれからもわからないことだけは確かです。あー、今日も今日とてヤバいなあ。


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