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いつもの光景

2階から眺めていた。今回は1人ではなく、4人ほどの集団でいた。目の前のアパートから出てきて、なにやら同じ建物の人に配っている。おれのところには、訪問がない。だいたいいつも笑みを浮かべているが、今回もそうだった。その笑みは本心とよそ行きが5:5であることを、17-18歳という多感な時期に約1年、通常の友人関係ではない関係で過ごしたおれは知っている。


場面は切り替わり、野外にいるようだった。宿泊学習で行った、滝野すずらん公園のようなところだった。中学からは距離ができてしまった同級生が、見慣れたグレーのパーカーを着ている。大学の頃に久しぶりに会ったそいつは、コーチャンフォーの文具売り場で制服を着て接客をしていた。


遠くから俯瞰で眺めている構図のため、会話はなく何を言っているか、こちらには届かない。


はっきり覚えている大昔の場面と似ていた。実家の2階、自分の部屋ではなく両親の寝室からは、家と家に挟まれるぼうけん公園の一部が見れる。中身は覚えていないが、いつものように球技をしていた。なぜ18年?ほど前のこの場面を鮮明に覚えているのかというと、いつもはその中にいて野球やらサッカーやら、はたまた缶蹴りやらをしていたはずがその日は何かしらの理由で家にいたのだろう。その理由がなんなのかはわからないし、そもそも理由すらなかった日なのかもしれない。

清田体育館の2階、プールを眺められる場所から1人でプールを眺めていたら、友人の母に気づかれ、売店のフランクフルトをご馳走になったこともある。なんとも言えない感情になり、礼を言った。


自分の中でよかったときを基準点に、ある一定の点数を下回ると、習性として俯瞰するようになるのかもしれない。その点、夢の中では俯瞰しているときが多いのかもしれないとも思う。



2001年〜2010年のなぜか残っている記憶発表選手権が開催されると、結構上位に食い込める自信がある。2011年以降の記憶が影響されている夢が少ないのは、そもそも定着するに至るまでの感情インパクトが少ないからだと思う。スマートフォンを手にしたのは2011年からで、写真を撮り未だに保存しているものも多い。

しかし、高校時代のガラケーはすでに手元になく、それまでに残している写真は一枚もないが、鮮明に思い出せるのはスマートフォンを手に入れたあとのちょうどこの10年間の記憶ではなく、手に入れるまでのちょうど10年間なのである。



せめて夢の中では楽しく喋りたいのだが、なぜだか会話をする機会は滅多にない。いつも、俯瞰してその場面を眺めている。

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