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神戸クラシックコメディ映画祭2021レポ(3)

(1)(2)はこちら。



映画祭概要はこちら。上映作品の原題などはこちらでご覧ください。


1月11日(月・祝)神戸映画資料館

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3日目も座席半数+補助席に制限しての開催でした。

いま思えば、オンラインでもなく延期にもせず、フィジカル上映で映画祭を完遂できたことは、ほとんど奇跡に近かったかもしれません。

さまざまな幸運が重なったこともありますが、やはり何よりも、感染防止対策に協力いただき、ご自身も十分な対策をとって参加してくれたお客様のおかげです。ご不便をおかけするにもかかわらず、最終日も全プログラムほぼ満席(ロイドプログラムは前日に満席)となりました。


もっと!ハロルド・ロイド   『田吾作ロイド一番槍』

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これも貴重な作品を、プラネット・プラス・ワンさんのご協力により16ミリフィルムで上映することができました。伴奏は、2日目のチャーリー・バウワーズ特集に続き柳下美恵さんでした。

初日に旧グッゲンハイム邸で活弁上映をした『要心無用』に続き、今回ロイドの長編を2本も上映できたことは、とても有意義でした。

常々感じているのですが、ハロルド・ロイドの喜劇って、もしかしたら三大喜劇王の中でももっとも親しみやすく、現代の観客にも一番アピールしやすいんじゃないかと。

それなのにいまひとつ評価が高まらないのは、『要心無用』以外の作品を観る機会がなかなかないから、なんですよね。要するに、知られていない。

【もっと!ハロルド・ロイド】というプログラム名も、そんな思いからきています。

『田吾作ロイド一番槍』(1927)というインパクトある邦題は、実は封切り前の昭和2年3月、キネマ旬報誌上の一般公募で決まったタイトルでした。考案者はなんと兵庫県の方で、賞金は30円(当時)だったようです。

山間部の田舎町。代々続く名家の末弟ハロルドは、マッチョな山の男である父と兄二人に憧れるも、おとなしく引っ込み思案な性格で、いつまでも子ども扱いされています。母親はおそらく亡くなっており、ハロルドが家事全般を担当している。

そこへ流れ者の薬売りの一座がやってきます。父が死に、仕方なく一座を継いだ娘のメアリー(ジョビナ・ラルストン)。しかし、やくざな座員の男たちとは馬が合いません。

映画は、町のダム建設計画をめぐるいざこざを軸に、ハロルドとメアリーのラブストーリーと、ハロルド青年の成長物語が描かれます。

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もっとも大きな笑いが起きたのは、火事にあったメアリーをハロルドが家に泊めるシークエンス。兄二人が、メアリーにパジャマ姿を見られまいと右往左往したり、朝には競ってメアリー(実はロイド)に朝食を届けたり。

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兄(レオ・ウィリス、ウォルター・ジェームズ)

マッチョな兄貴たちの初心で愛らしい意外な表情に、会場は大受け(特に女性のお客様の反応がすごかった!)。ハロルドをメアリーと思い込むギャグがとにかく秀逸でした。

クライマックスは、ダム建設資金を盗んだ男とハロルドとの一騎打ち。サイレント映画ならではのアクションの迫力が際立ち、コメディとは思えないような死闘が繰り広げられます。

前年公開の『拳闘屋キートン』(1926)のクライマックスも、コメディとは思えないシリアスな死闘です。ひょっとしたらロイドはそれを観て刺激されたのかも?しれません。

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グ邸から映画を観に来てくれていたちびっこが、上映後に「ロイドってドラえもんののび太みたい」と言っていたと聞き、鋭い感想になるほどと頷いてしまいました。

非力な主人公が最後に超人的パワーを発揮するロイド喜劇は、確かにのび太とドラえもんに通じるものがありそうです。こんな感想がもらえるのも、クラコメ映画祭の大きな楽しみのひとつです。

2日目のチャーリー・バウワーズとの奮闘でクタクタだった柳下美恵さん…『田吾作ロイド一番槍』では、まさに正統派の演奏で、わたしたちを映画の世界へ連れて行ってくれました。

なんとこの時、資料館常設の電子ピアノの鍵盤の一つが音が出なくなるアクシデントが起きていたらしいのですが、そんなことを微塵も気づかせない見事な演奏でした(不調のキーを弾かないよう調節しながら演奏なさったそうです!)。


旅するコメディ 『アフリカ珍道中』

アフリカ珍道中

昨年末、ビング・クロスビーの歌う「ホワイト・クリスマス」がビルボードの全米ヒットチャートの上位に登場する快挙を成し遂げました。

コロナ禍や、大統領選に絡む悲惨な事件に揺れていた米国で、クロスビーの軽やかな歌声に癒されたいという想いがあったのでしょうか…。

実は、クラコメでクロスビー&ホープをプログラムしたのも、ひととき憂き世を忘れて、軽やかな彼らの掛け合いに何にも考えず笑って欲しい(というか自分が笑いたい)、そんな気持ちからでした。

『アフリカ珍道中』(1941)は、舞台がアフリカということで、今の目で見ればやや差別的な演出もまったくないわけではないのですが、しかしボブ・ホープとビング・クロスビーのひたすらドライでオフビートなノリのおかげで、最後まで楽しめました。

珍道中シリーズの2作目で、早くも映画そのものをパロディするジョークが。It's Always Youのナンバーで映画音楽をからかったり(クロスビーの歌声は抜群!)、敵の気をそらすお約束のギャグを見破られて「前作映画を観てる!」と逃げ出したり。

他のコメディ映画では絶対マネできない遊び心満載です。

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浮気なドロシー・ラムーアのコケティッシュな魅力、その親友を演じた若きウナ・マーケルと、女優陣も面白くて魅力的。

珍道中シリーズは、いわば「おバカコメディ」の先駆と言えるかもしれません。ホープ&クロスビーの芸達者ぶりによって、今ではクラシックたりえているのです。

*大阪のシネマテーク「プラネット・プラス・ワン」(資料館の姉妹館)で現在『シンガポール珍道中』を上映中!


ショートコメディのマエストロ 激レア編

映画祭最後のプログラムは、クラコメの恒例企画のひとつ【ショートコメディのマエストロ】でした。

クラシック喜劇映画の真髄は、実は短編映画にこそある。これがわたしの信条です。

これまでの【マエストロ】プログラムでは、三大喜劇王や、それに続くハリー・ラングドン、チャーリー・チェイス、ローレル&ハーディら「メジャー」なコメディアンたちの傑作短編を特集してきました。

今回は少し趣向を変えて、「マイナー」なコメディアンたちの短編作品に注目したセレクションでした。

無声〜トーキー初期(1930年代)のコメディ群雄割拠の時代、アメリカにはたくさんの喜劇専門のプロダクションがひしめいていました。

キーストン社、ハル・ローチ・スタジオ、クリスティ社がよく知られたメジャースタジオですが、他にも喜劇を制作する会社が多くありました。例えばチャップリンが一時期在籍したエッサネイ社はシカゴのスタジオでした。

1本目の『象つき遺産』(1920)

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2頭の象がハリウッドの大通りをのしのし歩く映像にど肝を抜かれるカルト的作品です。

制作会社はその名もずばり「エレファント・コメディーズ」。これ以外に2作ほどを制作したのみで解散したこと以外、詳細はわかっていません。

コメディエンヌのドット・ファーレイと、巨漢コメディアンのヒューイ・マックのW主演。

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この作品は、詳細不明フィルムを上映する神戸映画資料館の楽しいイベント「みんなで発掘・宝探し試写会」で以前上映され、その後資料館の調査でタイトルが特定されました。

インタータイトルにアニメーションが使われているのもとても珍しく、どんな人たちが制作に関わっていたのか、興味が湧きます。

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資料館のフィルムアーカイブにはこんな貴重なフィルムがきっとまだまだ眠っているはず。わたしももっと調査に協力し、力を入れていきたいと思っています。

もしご自宅に古いフィルムをお持ちの方は、捨てずに神戸映画資料館やお近くの博物館へおしらせくださいね。


2本目は『スピード狂騒曲』(1924)。

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『ワイルド・スピード』と同じ原題ですね。

主演のLige Conleyの表記がチラシでは「リッジ・コンリー」となっていましたが、公開当時の日本語表記は「ライジ・コンレイ」でした。お詫びして訂正します。

今では完全に忘れられたコメディアンですが、大正〜昭和初期にはニコニコ大会などで『コンレイの○○』といった邦題で上映されており、日本でもそれなりに人気があったと推察されます。児玉数夫さんの『無声喜劇映画史』には

 コンレイは、ロイド・ハミルトンと対等の顔合わせもあるというほどの人気の喜劇俳優。ギャグも豊富だし、スピードもあって楽しめた。

と紹介されていて、後で紹介するロイド・ハミルトン共々人気者だったようです。

上掲のポスターを見るとわかるように、この時期のコンレイ主演作はスペンサー・ベルという黒人コメディアンとのコンビ喜劇だった節があります(スペンサー・ベルのクレジットはないのですが)。

『スピード狂騒曲』でも、スペンサー・ベルがアクションにギャグに活躍する場面が多くありました。

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『笑国万歳』より。ベルはラリー・シモン喜劇にもよく出演していました。

『スピード狂騒曲』は、後半のアクションシークエンスが面白い。キートンやラリー・シモンの映画で見たことのあるギャグを「使い回し」した場面が多いのです。それがかなりあからさまなのですが(笑)、このようなギャグのリユースは無声時代には普通に行われていました。

むしろ、他人のギャグをいかにうまくアレンジするかに各々のコメディアンの力量があらわれたといっても過言ではありません。

『スピード狂騒曲』は、そのお手本(?)のような作品だと言えましょう。ギャグはいただきものでも、スピード感溢れる構成はすばらしく、ワクワクさせてくれました。


3本目は『パパのお気に入り』(1927)

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ロイド・ハミルトンという、これまた忘れられたコメディアンの主演作です。

個人的に、今回彼の作品を紹介できてとてもうれしく思っています。クラコメファンや専門家の間では非常に評価が高く、いわゆる「通好み」の喜劇人ですが、近年再評価が始まっている喜劇人のひとりでもあります。

上映後の解説でもお話ししたように、彼はチャーリー・チェイスやジャッキー・グリーソン、3ばか大将のカーリー・ハワードなど、多くのコメディアンに影響を与えました。

無声コメディアンにしては大柄な体格で、中流家庭に育ったハミルトンは、派手なドタバタを売りにする人が多かった無声時代にも、創造性豊かなギャグとさりげない芝居で独特の喜劇を生み出しました。

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1910年代にはバド・ダンカンとコンビで活躍。日本でも「ハムとバド」の名で人気が高かったようで、第一次大戦前後にもたくさんの作品が公開されていました。

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『パパのお気に入り』でハム君が演じるのは、蝶マニアのおぼっちゃま。いつでもどこでも蝶がひらひらと飛んでくると全部放り出して追っかけてしまう。

下手なコメディアンが演じたら非現実的でトンチンカンなだけのボケキャラに堕しそうなところを、ハムは上品に可愛く演じていました。

テントが火事になりパニックになる場面など、テンポ良い編集もあいまってあまりにも面白く、多分会場でわたしが一番爆笑してました(お客様を引かせてしまったかもしれません、ごめんなさい)。

『スピード狂騒曲』と『パパのお気に入り』は共に、喜劇専門の配給会社エデュケーショナルの制作部門マーメイド・コメディの作品。マーメイド作品は失われたものも多いのですが、非常にすぐれた作品が多いです。

マーメイド・コメディを統括していたジャック・ホワイトは、無声喜劇界のボーイ・ワンダーと呼ばれ、若くして頭角をあらわした監督/プロデューサーでした。

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ライジ・コンレイもでかでかと。

このように、クラコメ時代には、三大喜劇王以外にも、実に多彩・多才な喜劇人たちが活躍していました。彼らのことをもっともっと知っていただくべく、わたしもさらに探求を深めていきたいと思っています。

このプログラムの伴奏は鳥飼りょうさんでした。短編喜劇は体力が必要、大変…というお話をいつもうかがいつつ、毎度短編プログラムをお願いしております。

今回も、アクションシーンではどんどん盛り上げてくれ、おっとりしたギャグにはさりげなく寄り添い、喜劇人たちへのリスペクトに満ちた期待以上の演奏を披露してくれました。


三日間の映画祭レポは以上です。

もう1本総括記事をあげて最後にしたいと思います。長くなりますがもう少しおつきあいくだされば幸い。

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