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『PERFECTDAYS』おじさんという翳(仮の貌)。そこに父の「面影」を探すニコ。奇蹟の映画 その2
秘密の木 スカイツリー そして友だちの木 木漏れ日は「隠れ日」
映画にはKOMOREBIという影の秘密が隠されているように思いました。
平山さんは「おじさん」とニコから呼ばれます。
不思議な音韻。おじさんという影(仮の貌)
木の葉っぱから光がもれて「木漏れ」と表記するのですが、別の表記をすれば「隠れ(こもれ)」日なのです。籠っている日かもしれません。木の葉のなかに隠れている日の光
隠れている謎をなげかける日の光。
そんなふうにも捉えることができます。
この映画を覆っているのが隠れ日(こもれび)。
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なかなか見えないかもしれませんが、映画の各所に隠されています。
『秘密の木』という長田弘さんの詩があります。
木をテーマにした詩をたくさん書いた爺虫が憧れる大好きな詩人です。
この映画を初めて観た時から、長田弘の詩のイメージが爺虫(わたし)にずっとついてきていました。
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まずは『静かな木』その後半部に「木漏れ日」を書いた部分があるので引用してみますね。
《森は日差しの匂いがして、ときに木漏れ日が斑らに揺れている。
姿を持たない誰かに、人のものではないことばで、何かを語りかけられた ような気がして、振りかえるが、誰もいない。
何も言わないこと以上に、大切なことを言う術がないときがある。
夏の静かな森が思いださせてくれる澄明な真実だ。》
長田弘『静かな木』 詩集「詩の樹の下で」
この映画を撮ったヴェンダース監督のなかにも、この映画は「何も言わないこと以上に、大切なことを言う術がないとき」があったのかもしれません。
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この映画で爺虫がこだわる翳(仮貌)に関しての面白いヒントになるインタビューが出ていました。
糸井重里さんが役所広司さんと対談している部分を引用します。『ほぼ日刊イトイ新聞』の対談「わすれかけていたことを思い出すように」の第五回のなかに出てきます。
平山のバックグラウンドを、ヴェンダース監督自身が役所広司やプロデューサーたちにメモを書いて渡してくれたんだそうです。
もちろんそこは隠れたバックグラウンドでしょうけど。
表には出さないけど、「含める」大切なところです。
《糸井 書いてくれたんですか。
役所 そうなんです。
僕も読ませてもらって、
そこにはある物語が書いてありました。
いちばんの発見だったのが、
「木漏れ日」と「平山」の関係みたいな
ものが
非常に書かれていたんですよ
糸井 へぇ、木漏れ日のことが。
役所 「なにかあったんだろう」というところ
までは予測がつくけれど、木漏れ日が彼
にとってどういう存在なのかはわからな
い。
その答えとして、木漏れ日は彼を救って
くれた、というようなことが書かれてい
ました。
僕にとってこの関係性はとても説得力が
ありまして。
糸井 木漏れ日のシーンは何度も登場しますも
んね。
役所 ええ、何度も
糸井 光のなかの影であり、影のなかの光であ
り、止まっているわけじゃないけど静か
で。とてもきれいでしたね。》
『ほぼ日刊イトイ新聞』
2023-12-15.html
長い引用になりましたが、重要ですね。
ヴェンダースが設定した平山のバックグラウンド。
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パンフレットには
《ニコ/中野有紗 平山の姪 ずいぶん大きくなって久しぶりに現れる。
ケイコ/麻生祐来 平山の妹 何年も前に平山が家を出てから疎遠になった。》
と書かれています。
が。
映画としてはその役柄、真に受けますが、会話やしぐさの節々には
あきらかに映画の「木漏れ日」が貌を出していますね。
それぞれの役者もその背景をヴェンダースから知らされているので、「隠れ(こもれ)」のところは暗に含めて、役柄を演じているのです。
平山がこの映画で初めてトイレで迷子の子供に声をかけた日、夜の夢のような映像のなかに、平山らしき中年男の左手が小さな女の子の右手を握っているシーンが流れます。
よく見ていると、平山の夢だから、何か関係するものが、現実の伏線の形で表れてきます。
よく見てみましょう。
トイレで迷子になった
男の子の手とはあきらかに違います。
あれれ?
じゃ、夢の映像は?
誰?
えっ?
ひょっとして?
じぶんの子?
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それから、もうひとつ。
ルーティンで平山が自転車で出かけるシーンのなかで、あ?と見逃してしまいそうなシーンがあります。
これも重要です。
お地蔵さんです。
独身?の平山(タカシが訊いても何もこたえなかったけど)が押上あたりの地蔵(子安地蔵)をお参りするシーンがほんのちょっとだけ出てきます。
あれ?平山さん、子供の安らかな成長を祈っているの?
忘れそうなシーンですよね。
意味があるなんて、誰も気づいていないようですね。
シナリオに関わられた高崎卓馬さんは、創作においてプロットに伏線を見事に仕組む才能のあるかたです。
ヴェンダース監督も、そこは映像作家です。
伏線は、意識化されているはずです。
「意識的」よりもっと「無意識のちからと偶然性」をだすヴェンダースらしい「意識化」の伏線でしょう。ヌーベルヴァーグの時代の「意識化」、街の音、自然の音。話し声、すべてが偶然のからみで「映画」のちからとなっていくところが顕著に表れています。
街の風景にもよく子供たちが出てきます。
公園だから子供たち。
保育園のお散歩の子供たちも映されます。
横断歩道を渡る女子高生や、トイレから出て来る高校生。ヴェンダースの視線でしょう。そしてそれはそのまま無意識に平山さんの視線の先にあるものかもしれません。
結果としてそれが伏線にもなりえているという偶然。
杓子定規というより、物語を記録のように追っていくうちにそこに偶然の神様が付いてくれるように。
例えば浅草のシーン。雨と雷。
涙が出そうなくらい偶然の天候がこの映画に「奇蹟」をもたらしています。名シーンです。カッパを着て自転車に乗り、ルーティンの居酒屋の入る浅草地下街へ。
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そうそう、意識化されていることから言えば、「スカイツリー」も。
ツリーでしょ。木なんですよ。
あ、「ツリー」、そう、まさしく「木」ではないですか。
映画の出だしがその「スカイツリー」という「木」からの眺め。ヴェンダースの映画によく登場する「塔」でもあります。
スカイツリーからの眺めは、「しののめ」の時間。
長田弘には「しののめの木」という作品があります。
《ふだんは忘れている。しかし、絶対に失くしてはいけないという時間がある。
夜が明けそめてくるすこし前の、周りをつつんでいた暗い布が不意に透き通ってゆき、木のかたちをした闇だけが濃い影になってのこっている、薄明の時間。
しののめの時刻、木々たちは、まだ、葉も枝も幹もわかちがたく漆黒のかたちをなしたまま、そのかたちのなかに、夜の記憶をやどしている。
夜、木々たちはとても雄弁だ。深いしじまのことばを集めて、さざめきのように話す。
夜の終わりが近づくと、木々たちは口を噤む。気がつくと、夜の空が遠くから藍色に変わってきていて、木々たちの枝々のずっと先に、うすぎぬのような光の織物が、うっすらとひろがっている。
夜でなく朝でない時間のなかに、しののめの木々たちだけが、原初の時代の巨人たちのように突っ立っている。わたしたちが失くしてはいけない時間が、そこにある。敬虔な時間が、そこにある。》
長田弘詩集『詩の樹の下で』から「しののめの木」
みすず書房2011年
映画はこの「しののめの時間」から始まります。
「敬虔な時間です」
禅宗の修行でいうなら、朝の起床時間の午前4時~5時くらい。
そこから映画『PERFECT DAYS』は始まるのでした。
平山がトイレ掃除の仕事に出る時、スカイツリーというおおきな「木」を見ていますよね。朝のルーティンです。
映画では各所各時間のスカイツリーの表情が描かれます。
そのおおきな木、スカイツリーの下で暮らす平山さん。
翳(仮貌)が差しています。
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長田弘の『秘密の木』はこう書きます。
木のところをスカイツリーに置き換えると木の秘密が見えてきます。その下で平山さんは籠って(隠って)、KOMOREBIとして暮らしているのでした。
《遠くからその木を見ながら、その木にむかって近づいてゆくと、木がみるみるうちに見上げる高さと大きさになってきて、逆に、じぶんはどんどん小さくなってゆく。人は小さな存在なのだ。
うつくしい大きな木が抱いている、この世でもっとも慕わしい、しかし、もっとも本質的な秘密。うつくしい大きな木のある場所が、小さな存在としての人の生きてきた場所なのだという秘密。》
なにかを捨てて「大きな木(スカイツリー)」の下で暮らすことが、じぶんをどんどん小さくする方法だった、と考えてしまう爺虫がここにいて、映画のなかの平山さんを眺めています。
小さな存在として生きる「秘密」
「木漏れ日(隠れ日)」のなかで生活し、影(仮貌)と戯れる平山さんの日常。
そこにある日、突然
「ニコ」が現れます。
平山を
「おじさん」と呼ぶ
女の子。
思春期真っただ中の
女の子。
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ニコを平山がなにもかも捨てて家を出た時の子供では?と考えると、いや、映画は上手に影(仮貌)のなか、木漏れ日(隠れ日)のなかに、平山の心の背景を映し出しています。
会話もまた木漏れ日(隠れ日KOMOREBI)でできています。
ニコと神社の木漏れ日のなかでの会話
「ママとおじさんって、仲が悪いの?」
「ママにおじさんのことを聞こうとするとママっていつも話を変えるのよね」
思春期の女の子はなにか「秘密の木」を感じとっています。思春期は感覚が鋭利で敏感です。
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木漏れ日の神社でのニコはひりひりするくらい感性が研ぎ澄まされています。
美しいシーンです。カメラの話も出ます。
ふたり並んでカメラを撮るシーンが完璧にシンクロします。親子だと、ニコが悟るシーンです。
小津安二郎がよく使うふたり並んでの動作のシーンです。ヴェンダースがそれを使っています。
呑む牛乳は娘のニコはイチゴミルクという可愛さ。微笑ましいシーンですね。
ここで出てくるのが「ともだち」という言葉。おじさんは木とともだち。
ニコも木と「ともだち」になるように木にもたれかかります。それを平山のオリンパスが娘の姿を写しとります。
木は秘密の木。
あとでのほうのラストに近いシーンでニコが平山にもたれかかるシーンでは
ニコのなかの「木(平山という仮貌の父)」にニコはもたれかかります。
そしてそのあとはニコが先に車に乗り、
ケイコに今度は平山から近づいてケイコを抱きしめます。
あ、なにか事情ある夫婦だったんだな、と、映画を観ている爺虫(わたし)は思います。
慟哭寸前の平山さん、このシーンも忘れられません。
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この映画に出てくる夫婦や恋人だったひとたち、なにかの事情で別れたあがた森魚、友山/三浦友和、涙を流すあや/アオイヤマダは父への憧憬と恋人は同性と別れるかなにかの事情という背景。みんなが影を持っています。
いろんなシーンが「木漏れ日(隠れ日)」になってゆきます。
桜橋をふたりが自転車で渡るときの会話も「木漏れ日(隠れ日)」の「秘密」を表しています。
ニコが平山に訊きます。
「おじさんとママって、兄妹なのに、ちっとも似てないよね、どうして?」
顔のことだとおもうのですが、平山さんは、上手にはぐらかします。
そして、あの「世界」が違うという話が始まるのですが。
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この続きは明日また。
3/11までには書き上げようと思って、今夜も25時まで書いていました。
校正は明日入れます。
明日は第三章
何度も何度も観たくなる映画と出逢えたいまここを爺虫(じいむっしゅ)は書き留めています。
琥珀爺 拝
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