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育てよ!亀!

タイトルはウルトラQの一遍から。
亀の写真はある小学校の亀が二足歩行っぽい格好してるから思わず撮ったもの。
そしてウルトラQと言えば怪獣もの。
育てよ!カメは、ファンタジー色が強いもののカメの巨大化ってのがあったりしますし、昭和のカメは子どもたちの人気者。
そしてカメの怪獣と言えば大怪獣ガメラでして、ワニガメやカミツキガメの強そうなところと、子ども人気の高いアカミミガメをミックスして作られたともいわれるデザインの持ち主。
宇宙怪獣ガメラでは、河原のイシガメが子供の願いに応じて変化したかのような描写もある昭和のガメラは一作目からずっと、子供の味方。

さて、子供の味方のガメラがカメなのは島の形がカメに似てたから社長がインスパイアされて!みたいな話もありますが、今じゃああまり信じてもらえませんが、ガメラの人気は昭和の頃は結構ゴジラと二分していたとか拮抗してたなんて話も無いわけではないですね。
と、言う事で今回のガメラ話は昭和の頃やらなにやらを交えて現在の世情も挟みつつ垂れ流してまいります。

ガメラは子供の味方、絶対に

ゴジラとの差別化と言うのもありますでしょうが、そもそもゴジラもこの頃から子供客を意識してる訳でして、第一作や二作目の様な戦争の影を色濃く引きずった作風ではなくなってきています。
キングコング対ゴジラでは企業の宣伝競争の行き過ぎを風刺として取り入れていたら、モスラ対ゴジラではヤクザと企業の癒着、マスコミの傲慢も揶揄していたりと、それでも大人向けな面はありましたが怪獣同士の戦いと言う面では当時古参の怪獣通が怪獣プロレスと言い出し始めていたりもするんですよね。

そんな中でのガメラの誕生は、子供と言う新たな観客層ひいてはファミリーと言う新たな観客層の映画館の来館頻度の上昇があったりする訳です。
つまり、商売的にはガメラは最初からファミリーを対象とした怪獣映画ということになります。
設定もそれに合わせて子供の味方と言う事、守り神的存在としてのガメラと言うのがあります。

この子供の味方と言う設定は、例え悪者の親であってもまた怪獣の子供であっても倒さない、護る方向に働く存在なんですね。
なので、対ジャイガー戦では寄生された子ジャイガーに勝てませんし抵抗もできません。
この子ジャイガーを倒したのは子供たちで、ミクロ決死圏よろしくガメラの体内に入り、子ジャイガーを退治する事になります。
で、企画だけで終わってしまったガメラ対ガラシャープてのでは、人を食う悪役怪獣ガラシャープとガメラの戦いがあり、当然ガメラが勝利しますけどこのガラシャープの子がラストで出てくるそうでして。

ガラシャープが大きくなれば人を襲うって事で防衛軍はガラシャープの子を退治しようとするんですが、ガメラはこのガラシャープの子供を守ってどこかに連れて飛んでいくってラストだったとか。
予算の都合で作れなかったなどもあるし大映の経営の問題などもあって作られませんでしたが、ガメラは子供の守り神なのだから例え親が大悪人であっても子供は守ると言う設定を強く押し出した話にしたかったようですね。

このガメラが子供の味方と言う設定を強く守った制作陣には、ゴジラとの差別化と言う事の他に、制作陣の過去や世情もある、なんてのがいわれていたりします。

ガメラが子供の味方、でないと駄目!

ガメラが子供の味方であることに関して、まだネットもない時代にも同人誌や雑誌、またマニアックなトークショーなどで推測や話を聞いたと言う伝聞などから様々な情報があったりしました。
それらの真贋いささかなりや?と思う事は多いと思いますが、昭和の時代の伝説的な話としては、やはり戦争や冷戦と言う存在があるのは否定できないようですね。

ゴジラの生まれた昭和29年は、第二次世界大戦終戦から大体10年位経っています。
ですが、中東では不安が発生し朝鮮半島では朝鮮戦争、ベルリンの問題や東西ドイツ、そして共産革命過激派のテロってのがまた戦争を思い起こす空気になってた暗い時代でもあるんですよね。
故に、ゴジラは戦争の暗喩であり怒る自然の象徴であるなんていい方もあるし、一応三島由紀夫も褒めたなんて話もあります。
これはプロジェクトXでも有ったと思うので、おぼろげながららにダイナミックに思い出した人も居るかと思います。

転じてガメラは大怪獣ガメラが上映されたのは1965年。
ベトナム戦争もありますが、キューバ危機や核兵器を搭載した潜水艦が東西問わず遭難し、核兵器を搭載した爆撃機も行方不明になってるような時代。
そして、原爆実験は未だやまず、核兵器保有超大国が増えている時代なんですよね。
ツァーリ・ボンバなんてのもありますし、まあ世界は危機に満ちていると言うのを思っているのは大人より子供だった時代でもあるんですよね。
だからこそ、ヒーローは好まれるなんて面もあったそうですが。

そんな世界でのガメラの誕生は、北極に落ちた某国(本当に某国って言う設定だからね?)の原爆搭載爆撃機の墜落事故で目覚めるのですが、終始一貫して暴れつつも、子供の味方で守り神と言う姿勢は崩しません。
この子供の味方であること、守り神であることは戦争が地域紛争の時代になっての中、大きく犠牲になるのは結局子供って事で戦争経験者達スタッフの、子供向け映画ならと言う事の他、子どもをまもり続ける守護神怪獣と言う設定に行き着いた、なんて話も伝え聞いています。

子どもが危険な目に合えばどこからともなくやって来て、子どもを助けて去っていくか、戦って守り抜くかの姿勢は、当時の戦争を経験し、またまだ世界でも戦争が起こっている中で、日本だけが戦争しらなーい!戦争知らない子どもたちだからー!なんてのんきに謳ってる時代へのアンチテーゼでもあった、もしくはささやかな反抗でもあった、と言う話もあったりしました。

この話が正しいならばガメラが子供の味方であることを絶対に崩したら行けないのはあって、これは平成ガメラでもちゃんと受け継がれているのですよね。
地球の守護神ガメラ(ゴジラは怒りで理不尽を蹴っ飛ばす理不尽な破壊神)と言う存在になり、子供の味方ではないものの、子供が襲われそうになれば助けるし子どもたちの祈りで目覚めるガメラと言う設定、また3でガメラは人類との関係を断ち切ったと思われているがいまだ人類との関係、特に子供との関係が強い事を示唆してのラストシーンなんてのはあるのですね。

ガメラ2では、レギオンと言う宇宙怪獣が繁殖のために都市を蹂躙していく中での避難民移動のために支援に飛んでくるなどのシーンでも子供が関係していたりはします。

因みに、怪獣災害で大規模避難を国家レベルで行うって展開は、シン・ゴジラよりガメラ2の方が先で、自衛隊の作戦関係周りもかなりリアルにやってるのは実はガメラ2が先。
で、その所為で赤旗にぶっ叩かれてた過去があるので、僕らは赤旗を許さない!w←脱線!

話を戻してガメラが子供の味方であるのは大人が結局はまた子どもを助けられるほど成熟してない社会、というか世界への批判でありまた同時に子どもを助ける存在が居ない事への風刺であるとも言えるので、実はGAMERA~小さき勇者たち~は、ガメラの格好をした何か別物なんですよね。
子供と一緒に戦う怪獣映画は今風だと騒いだいわゆるポリコレ界隈もいましたが、そんなのダイゴロウ対ゴリアスでとっくにやってるわ!
むしろガメラがガメラでなくなってる事が問題だ!なんて面はあるんですね。

だれが子どもを護るんだ、と。
ウルトラマンを批判しつつ、子どもが怪獣と一緒に戦う、守ろうとするなんて事を褒める(自衛隊を悪者にしたいだけのための描写ともいわれていた)と言う事では本来の守護神ガメラではない訳で、その後結局復活してないのも、そのガメラの子どもを護る部分は、生まれた時の時代背景と作った人達の思いってのをないがしろにして、形だけ借りたものと言う話になるだけ、なんですよね。

作った人達は、子ども達をないがしろにする世界からの守護神として作ったとも伝えられているガメラが、子どもたちに守られるなんてのは駄目で、あくまで子ども、それが何者であってもを守り、その子どもに対して害意を向けるモノ(それが誰でありなんであろうと)から護る存在っていう不文律が無くなったら、ガメラを作る意味はないって事になるんですね。

ガメラが子供の味方で今作ると……

ガメラは子供の味方、守護神と言う設定を生かしたまま今作るとしたら、まず絶対庵野秀明さんでは駄目ですね。
子供の味方と言う概念を理解しきれない始祖のオタクの一人である庵野さんでは、シン・ガメラといって作った時にダークな面だけ強調しかねません。
理由は、始祖のオタクは未だもって子供なんですね。
護る側ではなく守られる側か、もしくは理不尽に対してダダをこねる側です。
マニアからオタクへの進化を遂げる途中の中間生物的な始祖のオタクは、自身の日々の不憫を怒り理不尽に破壊していく立場になって作る代わりに、素人に受ける僕の考えた最恐某、最強の何かを作る事には長けていると言うのはありますが、ガメラの様な守護神怪獣は難しいと思います。

マニア要素の強い人がクリエイターをしてるならまた別の守護神になりますが、それはもう金子ガメラでやってる訳です。

そして世の中は災害が続き、世界では戦乱は絶えず、また大きな戦争が起ころうとしている今の世の中で、ガメラを復活させるとなると何か。
ある意味ではガメラになれる人でないと行けない訳ですね。
そうなると、敵怪獣はでるかどうかわからないですね。
怪獣がでる、怪獣同士で戦う事があったとしても、ガメラが斃す相手は怪獣ではなく、恐らく今そこで戦乱を起こし、子どもたちを敵味方関係なく不幸にして殺していく、戦争をする大人、世界を牛耳りたい大人、そして日本なんかでもよく見る、我が正義の為には子どもたちを傷つけても危険に晒してもなんの呵責も感じない、意識高い(ダケ)の大人が敵になるかもしれません。

勿論、そういう話なら庵野秀明が得意じゃないか!と短絡する人もいると思いますが、庵野秀明はそこから打開する為の傷を負わない広義のアダルトチルドレンを描写する事になるんですよね(だからウルトラマンも心配である)。
ガメラとして、その理不尽や傷つけるモノと戦う描写をするならば、それこそサブカルであって、また同時に辛酸を知っていて、それでも諦めないよ!な事を描ける人でないと難しいかもしれないのが、ガメラを描く事かもしれないのですよね。

だから、オタクやサブカルを標榜する陣営の人にはムリなんですよねえ。
誰が、それを描けるのか?ってなると非常に人選は限られてくるかもしれないですね。
現実に訴える力を発揮できる、表層だけでそれを判った気にさせることで終わりかねない作家は、多分もう駄目なんですよね。

となると案外、たつき監督が適任かもしれない事はあるかもなんですが、あの人は実写はやった事ない人なので難しいからなあ。
現実との接点を持ってないのが実はシン・ゴジラだとすると、ケムリクサやけものフレンズてのはフィクションだけど現実とリンクしてる面があるので、割と良いと思うのですが、まあなかなか難しいところ。

何しろ、今現実の方がガメラ(かモスラ)を欲してるのがあるわけでしてね。

ガメラの敵にはなりたくない、よね???カナ?

現実とリンクするガメラを作る事ができないと、子供の味方で守護神もしくは地球の守護神と言うガメラは作れない。
で、現実には存在しないガメラを描く。

ならもし、今ガメラがいたら?ってなると人類の大人はガメラに消される側。
特に昭和ガメラ設定を取り入れるとなると、ガメラは人を攻撃する。
ガメラは子供を傷つける存在を、許さないから。
その様な話を今かけるのか?と言う事になるんですよね。
何しろ、様々な思想や信条、政治的な正しさがこの数ヶ月で一気に崩壊した。
戦争をおこすのはトランプだ!と言われていたら、トランプが選挙で負けて以降の世界のアレっぷりはひどい。
そしてロシアがウクライナに攻め込むが、その発端もしくは理由付けはジョージア侵攻や、クリミア事変での国連というか世界の及び腰っぷり。

今回は他国に対しての完全な侵略戦争なのに、DSと戦う為の光の軍団扱いする集団もいるし、その情報源がFOX系のたった一つの報道、それをエコチャンバーで圧縮して信じている状態。
ウクライナのゼレンスキー大統領だって、結局は動画配信で課金を煽る迷惑YouTuber的になってきている。
とは言え、ウクライナは被害国だから市民、国民は助けたい人も多い。

加えて、戦後数十年の平和信仰が完全に壊れてしまい、降伏すれば幸福だ!の様にパニックになっている人達。
無条件降伏の驚異をまさに強いられているウクライナの市民。
なんで、解放軍のロシアがウクライナの国民を暮らすに厳しいサハリンあたりへ送るんだい?

こんな状況下で、現実世界に喧嘩を売るような映画を作れる人、そんな話を書ける人、ましてやそれを売り出そう、上映しようとする人はいるんでしょうかね?いないよね。
なんて感じになると、実際のところウルトラマンもゴジラも、また仮面ライダーも結構、現実に喧嘩売ってる(皮肉の塊だったりするw)状態な中で、更に上を行く事ができるのか、ですよね。

この状態でもしガメラを復活させるなら、自分がガメラになって、子どもを傷つける存在を屠る映画になるかもしれませんしねえ。
何しろ、ウクライナ軍もロシア軍も結局は子どもを無差別に傷つけている存在でソレに対して怒りを持っている人が依り代になる話なら、今すごくタイムリーですが、予算もない日本では難しいですしね。

様々なパニック状態(なんちゃらQだってパニックの産物じゃろ?)の大人に対して、今の所少数の落ち着いている人達(子どもらもそういう部類だよな)が、閾下のガメラになって襲ってくるってのもあるかもしれんねえ、と思ったりしてる次第なんですが……。


まあ、現実にはこのまま第三次世界大戦と言うコースが濃厚なんですよねえ。
実際にはガメラは存在しませんが、ある意味では閾下のガメラに世界が滅ぼされる日は近いのかもしれませんねえ。
そういう感覚を感じてる、今の世界や偉そうにのたまう大人や、信じるモノを喪って勝手を言う大人への反撃と言うのがあるかもしれません。


西欧にわかりやすく言えば、閾下のネバーランドとでもしておくかw


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