海のように青いから海地獄
毎朝出勤すると、変わらず湧き続けてくれてる海地獄を見て、ほっとするのと有難いなあと自然の恵みに感謝してるのですが、最近は時節柄お客様が少ないですから開園後もほぼ独占して眺め続けることができます。もくもくと湧き上がる湯煙をぼーっと眺めると心が無になり煩わしいことも忘れて、さあ今日も頑張ろうという気持ちにさせてくれる、そんな贅沢な時間を独占できてるのですよ。良いですよねー、いや、良くない、やはり多くの皆様とこの景色を共有したい!ということで、いつの日か安心して旅行ができる時まで、僕達は最高の準備をしてお待ちしています。
さて今回の記事では、当施設がなぜ“海”地獄と名付けられたかについて綴っていきたいと思います。まあタイトルの通り、海のように青く見えるからなんですけどね(笑)。そこをもう少し踏み込みつつ、また新たな側面で海地獄の価値を共有できたら幸いです。
海地獄はコバルトブルーで美しい
前の記事で、海地獄の本質的な価値は「地獄と美しい庭園が共存していること」とお伝えしましたが、そもそもは地獄自体がユニークでシンボリックだったので庭園として整備したという背景があります。僕の曾祖父が地獄の熱源に注目して現在の海地獄周辺一帯を購入した際は別の活用法を模索しており、観光施設運営をする計画は当初無かったのです。通行人が、青い熱泉ともくもく湧く湯煙をみて、「美しい!」とお賽銭をしたことにヒントを得て、庭園の中の地獄として観光施設化する方針転換をしました。(ここはもっと詳細に記載したいので別記事でまた整理しますね)
つまり、地獄そのものが人から評価される程に美しかった訳ですが、過去の文献にもその様子が記載されています。江戸時代の儒学者、貝原益軒は調査旅行で海地獄のある鉄輪(かんなわ)エリアを訪れた際に「海の地獄とて池あり。~見る者おそる」と綴っていますし、別の地理学者は「池の地獄」と随筆を残しました。
当時の人々も地獄の光景から想起される言葉で「海」とか「池」とか称してたのですね。その流れを踏襲しつつ、僕達もコバルトブルーに美しく湧き続ける地獄を「海地獄」という施設名にして運営をすることになりました。
ちなみに近年では、与謝野晶子も海地獄の光景を詠んだ歌を残しております。
ついつい歌を詠みたくなる光景ということで...是非皆様も一句いかがでしょうか。
なぜ青く見えるのか
そこで発生する疑問が「なんで青く見えるの?」といったお話になると思います。なにか入れてるだろー、とおっしゃる方もいますが(笑)、それは違うよということで現時点で明らかになっている海地獄の青さの秘密についてお伝えしていきます。
元々自然発生的に湧いていた温泉なので、このお湯が何なのかというトリセツがあった訳ではありません。観光施設として運営する以上はその部分をしっかり解説する必要がある訳で、近年になり各種学術機関の協力もあって検証された現時点での定説を紹介します。ちなみに、代々伝承されてきた最も有力な説に「硫酸鉄」という鉱物が含有されているから青く見えるという話もあったのですが、どうやらその可能性は低いようです(笑)。
まず1点目は、深いから青く見えるということです。海地獄が溜まっている窪地はロート型に深くなっており、最深部までは数十メートルあると言われております。水は手のひらですくった程度では無色透明ですが、容積が大きく深ければ深いほど、光が反射して青く見えるようになりますよね。湖や海が青く見えるのはその原理です。即ち、海地獄は深い窪地に大量の温泉が溜まっているので青く見えるのです。海のように深いから海地獄ということにもなるのですね。
2点目は、海地獄に含有しているシリカという結晶が太陽光に反射しているということです。深いから青いというお話をしましたが、海地獄がコバルトブルーのような美しい色味に見えているのは、この理由になります。シリカというのは岩や土の中にある結晶で、温泉が地層を通って湧出してくる過程で水の中に含有され、地表で溜まっていくと段々と大きな結晶へと変化していきます。丁度良いサイズになった時に太陽光が錯乱し(レイリー錯乱と呼ぶそうです)、綺麗なコバルトブルーに見えるのです。
ここでポイントなのが、丁度良いサイズということなのですが、溜まり続けどんどんと結晶が大きくなってしまうと濁ったり濃い色になってしまいます。では、なぜ海地獄は綺麗なコバルトブルーを保ち続けているかというと、毎日新鮮な温泉が湧き続けているからなのです。常に新しい温泉が湧き続けているから、純度の高い水の中で綺麗な結晶が浮遊し、結果としてお客様に評価される美しさであり続けているのですね。そういった意味でも、水の保全はやはりとても大切です。(前記事の続きになりますが、数十年前に森を守ってくれたおばあちゃん、有難う)
以上のように、海のように深く、そして新鮮に湧き続けている海地獄だからこそ、美しいコバルトブルーとなっている訳です。
不思議な魅力をもつ湯けむり
最後は逆に非科学的なお話で締めくくろうと思います。冒頭でもお伝えしましたが、湯けむりってぼーっと眺めていると頭が無になって色々なことがリセットされる不思議な魅力があるのですよね(誰かも同じようなことを言ってました)。海地獄は大きな湯けむりもシンボリックで、青と白のコントラストがとても素敵なのです。
4年前に父が亡くなった時、急逝だったので日々様々な調整に奔走し感傷的になることがほぼ無かったのですが、1度だけ泣いてしまったことがあります。亡くなった翌朝、全職員を集めて緊急の朝礼を開き、現状を伝えると共に今後に向けての話をした後(その時にも、涙する職員も多くいて、それはそれで胸にくるものがありました)、ふと1人で海地獄近くのベンチに座ってぼーっと湯けむりを眺めてたんです。亡くなった直後というのもあったのか、生前父がとても海地獄を愛してたことを知ってたからか、そこに父がいるような気がしてかなり泣きました。そしてこの海地獄を絶対守ろうって、不思議な力が湧いてきたんです。(やばい、書きながらまた泣きそうになった..笑)
なので、仏壇もお墓もありますが、僕にとって父は海地獄の湯けむりの先にいるような気が今でもしていて、だからこそ朝眺めてる時に想いに耽ることがあるのですね。僕のように特別な思い入れがある場合は別としても、やはり湯けむりには人を惹きつける特別な魅力があると思います。実は昨年の秋にこの魅力を活かしたイベントを実施することができました。そのお話はまた別の機会にできたらと思っています。今後は湯けむりの価値も、何か新たに具現化できないかと模索していきます。