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【お母さん食堂問題考】「気づき屋」は令和の人権総会屋になる!

日本の左翼や人権派ぐらい不思議なものはありません。表現の不自由を訴えたかと思えば、他人の表現物には異常なほど規制しようとします。

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いわゆるツイフェミという人々がファミリーマートの総菜「お母さん食堂」のネーミングが性差を助長すると改名を訴えています。こうした取り組みの根底には人権活動家ら特有の「気づき」があると思われます。

「気づき」とは社会、日常生活でごく普通に使用されている用語、商品、色彩、形状、デザインの中に「差別を助長する要素」がありそれを発見、指摘すること。こんな風に理解してください。使用者側の「意図」「信条」「コンセプト」は全く無関係で、差別か否かの判断はあくまで「気づき側」に委ねられます。

またファミリーマートはかつて「ファミマプレミアム黒毛和牛入りハンバーグ弁当~フォアグラパテ添え」がガチョウの動物虐待だとして抗議を受け販売中止に追い込まれています。「お母さん食堂」が標的になったのは「押せば折れる」という過去の実績が関係したかもしれません。

気づきなヤツらはとにかく必死です。

気づきがないと自分自身が「差別者」の烙印を押される。

気づきは人権感覚の一丁目一番地。

最後は「四ツ橋駅は差別」まで進むしかないでしょう。これ冗談抜きで。

「気づき」は密室芸からSNSの時代に

「お母さん食堂」の抗議に対して違和感を抱く人は多いと思います。しかし「気づき業界」では昔から類似の活動は存在しているのです。

例えば左翼の集会では活動家たちの「アピールタイム」が設けられます。その場では

「私が学校のトイレの表示を変更させた」「うちの団体の抗議によって〇〇市役所は障害者を『障がい者』にした」

といった活動が報告されます。まるで競うように「気づき」の成果を披露します。相手を屈服させたことは活動家にとって箔付けになり仲間内で一目置かれるようになります。

ところが一般市民にとっては学校のトイレの男女マークがどうなろうが、市役所の広報物なんてどうでもいい話じゃないですか。かつてのハウス食品シャンメンのCMコピー「私作る人、僕食べる人」など広く周知された表現物ならともかくですが。

もちろん社会問題、社会現象になるケースはあったとしても「気づき」の多くは活動家界隈が仲間内で誇る「密室芸」でした。

ところがSNS、殊にツイッターの登場によって「気づき」はさらに先鋭化していくことでしょう。しかもこれまでのような「密室芸」ではなく、一般の人にも可視できる形で。

一つにはツイッターの「バズ要素」です。ごく普通のユーザーでも投稿が数万人、数十万人にヒットする可能性があります。しかも今、新聞などマスメディアは異様なほどツイッター投稿に執着しています。当然、バズった「気づき」には朝日、毎日、ハフポスト、バズフィードあたりは飛びつくでしょう。活動家のみならず記者、ライター、こういった存在も「気づき」に参戦します。なによりもいい営業になるから。

それにしても恐ろしい時代です。例えばある企業が女性活動家を雇ってライバル企業の商品に「気づき」を突きつける。あるいは外資が日本市場参入を狙って「気づき屋」を雇う。こういうシナリオもありえますね。女性活動家は「啓発」「人権運動」という大義がありますから企業側も成す術がありません。しかも企業側にとっては「反論」自体が「差別に無意識」というレッテルを貼られます。

気づきは令和の総会屋。と、警鐘を鳴らしたものの多くの企業が土下座をする光景が目に浮かびます。




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