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東京新聞・望月衣塑子『新聞記者』は        戦争末期の戦意高揚映画

新聞記者は戦意高揚映画


週刊文春(2月3日号)「森友遺族が悲嘆する「新聞記者」の悪質改ざん」はすごいインパクトでした。左派からは望月さんの責任を問う声は全く聞こえてきません。

映画『新聞記者』は3回ぐらい見ていますが、ドラマはまだ途中です。思うに現場の新聞記者の方は本作を見て感動するものでしょうか。そこが気になってしまって。

教員ドラマでいえば下駄履きの無頼漢教師が新学期に教室に入ってきて、扉に仕掛けられたバケツの水をよけて、不良と殴り合って海の夕日に向かって走っていく

こんなのと同類と思います。この手の演出はすでに80年代ドラマですらネタにされていましたが、要はそれを令和の時代に「マジで」やってしまったのが『新聞記者』だと。あるいは斜陽産業になった新聞業界の「戦意高揚映画」という見方ができます。「ペンの正義」「社会の木鐸」こういうの自分が新聞記者なら恥ずかしくてとてもいえません。

もっとも昔の戦意高揚映画は非常に完成度が高い。海外作品だと『カサブランカ』とか日本だと『桃太郎 海の神兵』あたりですか。桃太郎なんて当時、先端技術で制作されていますから。残念ながら『新聞記者』は戦意高揚映画としても駄作です。

『新聞記者』を本当に演じているのは望月さん

著述家の菅野完さんを取材した時に森友学園の話に触れ、望月さんがいきなり菅野さんの自宅に来て資料提供や取材協力を求めたそうです。これもおかしい。もしネタがあれば菅野さん本人が発表するはずです。逆にいえば望月さんは独自取材をしていないってことでしょう。現に望月さん由来の森友学園情報は何か一つでもあったでしょうか。

要するに彼女、「新聞記者」を演じているのです。奔走している自分に酔いしれている。でもなければあの戦意高揚映画に小躍りするはずがない。

市民団体が籠池夫妻をゲストにした森友関係の集会で、遅れて望月さんがやって来たことがありました。

司会で映画評論家の前田有一さんから

「女優の望月衣塑子さんです」

と冗談で紹介されたんですけど、本人もまんざらでもない感じでした。

遅れてきたってのもおそらく「故意」「意図的」だと思います。多忙なアタシという演出。そもそも取材者ならば籠池夫妻の話を聞くべきでしょう。しかし彼女に必要ありません。要は事実関係はどうでもよくて、「疑惑は深まる」とだけ言い続ければいいから。

私、ここ数年、わりと社会的に反響がある事件取材に関わってきました。高浜町元助役と関電問題、和歌山市自治会長、津市自治会長、熱海市土石流。

申し訳ないけども新聞・テレビの記者の人たちって行動パターンが全く同じでした。話題になると現場に大挙して、一つのネタ元に集中して、なおかつタブー(本質部分)はスルー。ここのどこに「社会の木鐸」があるかよく分かりません。

部数減、視聴率低下という以前に存在そのものが斜陽化しているのがマスコミ。そこに突如、出てきた望月衣塑子と『新聞記者』は望月氏のシンデレラストーリーと同時に業界に向けた戦意高揚映画ではないでしょうか。




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