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安易な「政治逃避」は名作に泥を塗る!

あの一茂さんがタリバンを語っている!

デルタ株が拡大する中でさすがに怖いのでなるべく外出や面談を伴う取材を控えています。せっかくだから朝、昼の情報バラエティ番組をチェックしているのですけど、『モーニングショー』で長嶋一茂さんがアフガン情勢やタリバンについてコメントしている時は度肝を抜かれました。

彼氏、ヤクルトに入団する時、記者団に卒論を聞かれたところ「昨日、書いた(鉛筆で、とも)」というコメントが広まりました。当時だから面白ろおかしくという面があったにせよ、まあ当たらずも遠からずでしょう。あの一茂が国際情勢を語るまでになったと感慨深く思っています。

あるいは野々村真さんの菅首相批判。月曜ドラマランドで『みゆき』に出演していたあの彼が、いいとも青年隊のあの彼が・・首相批判とはこれまた感慨深いものがあります。

お笑い芸人のバービーさんが菅首相の総裁選不出馬を語り、坂上忍さんが睨むように高市早苗前総務大臣の話を聞いています。伝説的ドラマ『傷だらけの天使』の第一話に出演した(しかも結構重要な役)あの忍ちゃんが自民党総裁候補者をぶった斬り。これまた感慨深い。すごい時代です。

テレビという構造上、局サイドに「言わされている」という面があるにしても、こうしたタレントの政治論評にどれだけの価値があるか分かりません。

あるいはフジロックにおけるアジカンの「ガースーやめてよ」の替え歌も話題になりました。確かに「特定の層」は歓喜したかもしれません。勇ましい政府批判、五輪批判の一方で多数の観客を集めて開催したフジロックに批判が集中したことも事実。政治批判をする以上、反撃もあることを自覚しているでしょうか。

感染対策下の中で芸能人も活動が制限されたため、話題が限られてくる。安倍・菅批判をしたところで本人たちが怒鳴り込んでくるわけでもなし。政治家、特に要人はキャラ立ちしているから揶揄するのは格好の材料。「政治批判」は楽なんです。しかも何となく「仕事をした感」がある。

現実逃避ならぬ「政治逃避」であります。長嶋一茂、野々村真、坂上忍、この辺りがどんな政治批判をしようが怒る方が間抜け。宮廷道化師は王様に無礼なことをいっても咎められません。

ただ本当に名作を残した人が政治逃避をすると幻滅することってありませんか? 子供の頃からちょっと思うところがございましてね・・・。

釣りキチ三平のラストも政治逃避だった

私、『釣りキチ三平』が好きだったんですね。読み手が恥ずかしくなる三平の底抜けに明るいテンションを許容できたのは父親が行方不明、母親と死別という重い生い立ちが関係しています。

こと最終回は私も相当なショックでした。ここからはネタバレ注意です。

あらすじはかなり端折ります。その年は鮎が豊漁で三平は釣りに夢中でした。帰宅したら親代わりの祖父(一平じいさん)がこと切れていたのです。兄のような存在の魚紳さんによると悲劇的な生い立ちにも関わらず天真爛漫な三平の性格は一平じいさんの愛情のおかげだと。そんな大切な祖父と死別するのです。

ところが三平は一切、泣きません。なぜならおじいちゃんから「人前で泣かない」と教えられたから。この描写は超感動的ですが、私の文才だとどっちらけになるから省略。

お葬式が終わりいよいよ埋葬される。家族同然の魚紳さんにも一目会ってほしいが来ない。その時、雪の中、ヘリコプターが舞い降り魚紳さんが出てきたのです。三平君もついに号泣しました。ご存じない方のために説明をしておきますと、もともと魚紳さんと三平君は巨鯉釣りで知り合った関係でしたが、その後は肉親同様の関係になります。(登場当時は荒くれ者のような風体だった)

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その後、三平君は自分が釣りをしていたからおじいちゃんを助けられなかったと悔い竿を処分します。ところが魚紳さんは諭すのです。三平には兄がいたのですが、ため池で溺死します。だからこそ一平じいさんは水を恐れない子に育つためにも釣りを仕込んだ、と。こんな秘話を伝えます。釣りの天才児として数々の釣果を挙げた「釣りキチ三平」の誕生の裏にはこんな宿命があったんですね。

ここまでのラストは泣きました。今、読んで泣けといわれても普通に号泣する自信があります。そして再び釣りへの意欲を取り戻すのでした。また父親が生存していたという情報も寄せられ感動的なエピソードに花を添えたのです。

三平の底抜けに明るい性格の裏にあった悲劇。しかしその悲劇的な運命を一平じいさんの死とともに乗り越えた。深い人間ドラマがありました。後は再び仲間やかつてのライバルと釣りに興じるシーンで終わるとかでいいじゃないですか。余計なラストは不要だったのに。

ところがその肝心のラストシーンが幻滅すぎて‥もう。なんとかつてのライバルたちも含めて国会に向けてデモ行進をするんですね。原作が雁屋哲なら分かりますよ。むしろ待ってました!というもので。

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が、釣りキチ三平の世界でこれは止めて欲しかったぁ。作中、政治批判というモノは特に存在しませんでした(せいぜい県会議長のドラ息子を怒鳴るぐらい?)。

ここに政治権力を記号化した国会議事堂をバックにデモを描くことは、一体どういう意味があったのか。掲載当時は、1983年だから「昭和の怪物」とされた政治家が健在でした。ツイッターでブロックだ、発言が炎上だ、そんなしょぼい今とは違います。「政治権力」というものが厳然としていた時代です。だから「権力に挑む」という描写で三平君の逞しくポジティブな未来を描くという効果はあったでしょう。

あるいは矢口高雄先生は自然保護や環境問題への意識が高くその延長として政治に訴えるという意味があったかもしれません。まあ確かに当時は公共事業が当たり前の時代。各地の河川がコンクリート護岸になり殺風景になりました。矢口先生も危機感をお持ちだったでしょう。

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ただ三平君の異様なハイテンションがこの国会描写でとてもこっぱずかしくなってしまったのです。

長くなりましたけど、安易に政治を持ち出すと表現や言葉がすごく軽くなってしまいます。特に政治とは無関係な人であればあるほど。今、社会的に不安定で浮揚感があるから素人の政治批判も喝采を浴びるけど、果たしてこれが芸の肥やしになるかは別問題ですね。もしコロナが終息した時にご自身の過去発言に赤面するタレントさんは多いんじゃないかなあ。釣りキチ三平を思い出しては今の世相と重ねてみています。

そんな訳で少年三品は傷心によって釣りキチ三平全巻をみな廃品回収に出したのです。それは三平君が一時、釣り竿を捨てたように。というのはもちろん大嘘。当時のコミックスはたいがいそんな扱いですし、この頃は少年ジャンプに続々と名作が誕生。キン肉マンとかアラレちゃんに関心が移っただけでした。





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