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白井聡は大学研究者の尾崎豊?

「ユーミンは死んだ方がいい」と天国のドアを松任谷由実さんに勧めた京都精華大学の白井聡講師の主張が再びSNS上で話題です。サンデー毎日の白井氏インタビューを10月30日、毎日新聞がWEB上で公開した記事が面白い。高千穂大学の五野井郁夫教授が絶賛して引用していました。

特に注目されたのはこの部分。

白井さんの続き、まさにこれね:大衆は運よく大金持ちになることはあり得ても、文化的エリートになることはできないのだ、と。だからリベラルなインテリは「普通の人」にとって絶対に手の届かない地位を占めながら、かつ同時に道徳的な正しさまでも有している度し難い特権者として憎悪されるのである。

「リベラルなインテリは「普通の人」にとって絶対に手の届かない地位を占めながら、かつ同時に道徳的な正しさまでも有している度し難い特権者」

文化エリートとは誰を示すのか? 白井さんや五野井さんは自らが「文化エリート」と認識しているのでしょうか。だとすればすごく不遜です。また大衆とは誰か。白井さんや五野井さんも大衆の一人ではないのか。そしてリベラルは必ず道徳的な正しさを持つのか。

行商人から岩宿遺跡を発見した相沢忠洋は学位がなくても偉大な業績を残しました。相沢先生は「文化エリート」ではないのか。それ以前にリベラルとおっしゃる人々が「文化エリート」と階級化していいのでしょうかね。

「おまはん、階級闘争のレーニン研究者やらぁ。なにいっとんの」って私もついついお国訛りが出てしまいました。

しかも「大衆」であろう人々にアジビラを押し売りする毎日新聞の記事。同紙もまた「文化エリート」という階級を容認しているようです。しかしこの言説は彼らの「エリート意識」「選民思想」というよりも、私は「焦燥」「動揺」「コンプレックス」の裏返しだと考えています。

高学歴研究者たちが優しさもちよって・・

「末は博士か大臣か」と昔は言ったもの。しかし現状、大臣はともかく博士っていうほど庶民の憧れですか。そりゃ理科学分野などでノーベル賞を受賞した学者は称賛されるでしょう。だけど「ブルセラだ」「テレクラで女を100人斬りだ」「エヴァンゲリオンがー」とかの文系学者って市井の人間にすれば何が凄いのかよく分かりません。朝日だ、岩波だって御輿に乗せてくれるけども、「御輿は軽くてなんとやら」ってやつです。実は学者自体が「学者」という格式を貶めたと思っています(あくまで一部の、としておきますが)。その最たるものが左派の社会学者とか憲法学者といった存在だと思います。

しかし一般人と学界の認識は異なるでしょう。白井さんが訴える「文化エリート」と自負する研究者は結構な数がいるのではないかと。そうした人々にとってこの白井記事は「鎮魂歌」になります。

子供の頃から優等生で通り旧帝入学、院、修士・博士課程、並大抵の努力ではなかったでしょうに。ところがポストを得ていざ自説を展開したところSNS上では袋叩き。フルボッコというやつです。で、またお仲間研究者がハヤテのごとく参上して擁護するも、全く後方支援になっていなくてさらに延焼する地獄絵図。

よく見られる現象じゃありませんか? そこで白井記事。

かつて尾崎豊の「大人は分かってくれねー」的なシャウトは80年代、思春期の少年少女のハートを掴み、10代のカリスマと言われました。逆転現象ですよ。

つまり優等生だった研究者たちが「大衆は分かってくれねー」と絶叫しておるわけであります。研究者やこれまた影響力を失った新聞記者が組んできしむ机の上で優しさを持ち寄っている。そんな記事です。

御父上は第15代早稲田大学総長白井克彦、早大→一橋院出身という経歴は確かに「文化エリート」と自称する資質はあるにしても、現状は43歳で京都精華大学講師。このステータスの妥当性はよく分かりません。とは言え失礼ながらバックボーンを考えると「微妙」ではないでしょうか。

文系学者のキャリアアップが「研究成果」よりもメディアに認められた者勝ちという傾向も散見されます。誰も古市憲寿や木村草太と言ってねーがや。

あるいはネットから派生した経歴不明の何某かがインフルエンサーと言われてしまう現状もある。そんな中で「文化エリート」との言説は報われない研究仲間へのメッセージソング、応援歌、軍歌なのであります。と言っても例えば

「盗んだバイクで走りだす」

って今の価値観では「ただの窃盗やんか」ってなりませんかね。だから「ユーミン死ね」「文化エリート」もごく普通の生活を送る者にすれば異常な発言なんですよ。考えてみれば80、90年代の佐高信なんてもっとひどい罵詈雑言を浴びせていました。またそれがウケてしまう。あの時代は「とりあえず毒を吐けば辛口評論家」で通りましたけども、もう令和で佐高信エピゴーネンは無理です。

最後に白井さんの講演動画を貼り付けておきます。

コロナ禍の大学授業に対する問題提起とか「なるほどなあ」と思えることは沢山ありました。終了後、少しお声がけしましたが、なんというか温和な人物という印象です。変にマスコミやお仲間に煽られないで我が道を行くでいいのでは?

地道にレーニン研究を続ける。そりゃセンチュリーには乗れないかもしれない、別荘で優雅に執筆というわけにもいかない。だけどキャリアアップが遅くてもいい、いや何なら生涯講師でもいい。しかし教え子たちに少しでも知識を与えていく。こうした態度こそが真の「文化エリート」ではないでしょうか。

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