人権派学者が「寄り添う」というワードに疑義を唱える珍現象
「寄り添い」という胡散臭さ
私はマスコミ検証の中で「寄り添い記者」「寄り添い報道」など寄り添いという現象、スタイルを批判しています。例えば「弱者に寄り添う」というマスコミ記者やジャーナリストは少なくありません。ところがその弱者をめくってみると実は活動家、団体関係者で単なるスポークスマン。よくある話です。
同和問題、在日コリアン、アイヌ問題、沖縄も然りで、この分野の取材をしていると「寄り添い」の欺瞞性は際立ちます。同和問題といってもマスコミが取り上げるのはあくまで部落解放同盟員です。おかしいですよ。だって共産党系の人権連、自民党系の自由同和会、全日本同和会など複数の団体があります。しかしこれら団体の活動家の意見がマスコミにあがったことはまずありません。
在日コリアンやアイヌ、沖縄になるとマスコミや左派活動家の意に沿わない当事者は罵倒されることすらあります。一見、美しい響きですが要するに「寄り添い」とはあくまで報道側の論理と合致した時のみに微笑むものです。
寄り添いは左派の間で共通語として使用されているかと思っていましたが、疑問視する人物もいました。
意外にも在日朝鮮人擁護の前田朗氏が疑義を呈する
東京造形大学名誉教授、無防備地域宣言運動全国ネットワーク呼びかけ人の前田朗氏が市民のMLにこんな投稿をしていました。前田氏は朝鮮学校支援など在日朝鮮人の権利問題で活動する人物です。印象的なのはレイシストしばき隊メンバーによる大学院生リンチ事件が発生した際、加害者グループを批判した数少ない左派人脈です。その後、スタンスが変わったというのも左翼内の圧に屈したのでしょう。
そんな人物が「寄り添う」に疑問を投げかけました。
2022年、岸田首相が5月15日の沖縄復帰50周年記念式典で述べた式辞で「寄り添う」という文言を削除したことを意識したのか。
またマスコミ、市民活動内における「寄り添う」に対して欺瞞を感じたとも読み取れます。
寄り添うという言葉では沖縄への理解が足らないのか。同和団体の確認会や行政交渉でもよくありますが、ある言葉を捕まえてその定義を問うのですね。説明する中でまた揚げ足をとり交渉相手を屈服させるという手法があります。
ではこの場合、「寄り添う」の代替用語は何が適切なのか分かりません。例えば「弱者に対する温かいまなざし」という表現スタイルもありますが、そもそも彼らがいう「弱者」の定義が曖昧だし、どういう状況が「温かいまなざし」なり「寄り添う」ことなのか疑問です。
要はその当事者の言い分を検証なしで垂れ流すことが「寄り添う」であり「温かいまなざし」ではないでしょうか。
前田氏もそうした活動家の一人には違いありませんが、同氏から「寄り添う」に対して疑問が呈されたのは市民運動内でどう受け止められるか興味深いです。
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