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池田大作名誉会長が死去!創価学会が「暴力的」と言われた時代の風景

ついに巨星落ちる


創価学会名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長の池田大作氏が15日夜半、老衰のため都内で死去しました。政界にも大きな影響力を持ったのはこの池田氏の存在感と手腕によるところでしょう。

創価学会は戦後、いわゆる「広宣流布」で拡大し巨大組織になりました。

団体の勢いを決定付けたのは1955年の「小樽問答」でしょう。小樽市で開催された創価学会と日蓮宗身延派との公開討論で当時、司会を務めた若き日の池田氏が身延派を圧倒したと伝わります。55年体制で自民党が生まれ、同年の小樽問答で創価学会が圧倒的していくのは面白いものです。

池田氏は貸金業をやっていた時期もあり当時の姿はなかなかのコワモテ。また日蓮正宗の僧侶に対して行った狸祭り事件なども含めて「暴力的な組織」というイメージがありました。

貸金業時代の池田氏。

事実、聖教新聞のコラム「寸鉄」は敵対する団体、人物を強い言葉でなじることもあります。

こうした暴力的なイメージは実際に国会でも指摘されています。

1956年6月1日の衆議院法務委員会の参考人、宗教学者の小口偉一は

新興宗教の布教方法は行商的であるというふうに考えております。ほかのところに行って、前のよりはいい宗教であるからこちらへお入りなさい、こういう説き方をしている。その中にも、もっと極端なのになりますと、行商が押し売りになってくるのがあります。暴力的な宗教だといわれているような日蓮正宗の創価学会などは、多少そういう傾向がある。

破門前だから日蓮正宗の創価学会という表現が印象的。この当時からすでに暴力的というイメージが定着しているようです。

また同年8月22日の衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会では創価学会による戸別訪問が問題視されていました。社会党の山田長司はこう答弁しています。

今回われわれが地方に行ったときの調査で、広島に起った事件ですが、やはり、ただいまの質問のように、創価学会の取調べをしておるときに、創価学会の人たちが多数警察当局に押しかけてきて、非常に捜査に困難を来たした、こういう事例があったのです。一体捜査に困難を来たしたというのはどういうことであったのか、当局は知っているのか、一応この際明らかにしてもらいたいと思います。

セクトのような「直接行動」を学会員が行っていました。正直なところ信者の素行が非常に悪かったわけです。

その一方で創価学会員が持つ熱やエネルギー。これは「暴力的」であることと表裏一体かもしれません。しかしその黎明期において凄まじいパワーを持っていたのは伝わります。

1959年3月11日の参議院決算委員会で社会党の相沢重明はこう嘆いています。

金融というものに対する恨みの言葉がだいぶ出ているわけです。それでとてもこのようなことではもう私たちは生活ができないというので、ここに創価学会の人たちがいないからあれですが、宗教的に創価学会に大勢行っている。(笑声)見なさい、労働者といわれる人たちが創価学会に行っている。これは信心でもしなければとても暮しができぬということ、こういう政治の貧困ということを私は考えると情けなくなる。こういう点について政府は御存じであろうかどうか。

創価学会は労働組合がない中小零細企業、自営業者らを取り込んで巨大になりました。後に指摘されるよう互助会のような存在だったのでしょう。特に選挙になると結束するのはそうした仲間意識に由来しています。

ポジティブな表現をすれば「庶民の宗教」というわけです。この層から尊敬と信心を集めた池田大作氏はやはり巨星、巨人という他ありません。


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