見出し画像

パーリ・アビダンマ(1)はじめに

Namo tassa bhagavato arahato sammā sambuddhassa 
かの世尊、阿羅漢、正等覚者に礼拝したてまつる

パーリ語の用語「アビダンマ」abhidhamma は、「アビ」abhi-と「ダンマ」dhamma(※1) から構成される。「アビ」abhi-とは高次、微細さ、または究極を意味する接頭語で、「ダンマ」dhamma とは真理または教えのことをいう。したがって、アビダンマ abhidhamma とは仏陀の高次または微妙な教え、または究極の真理を意味する。

アビダンマは仏教の哲学であり、事実と真理を説明する。アビダンマとは仏教の心理学であり、主に精神現象を扱い、私たちの心がどのように機能するかを説明する。

アビダンマは、パーリ語聖典いわゆるTipiṭaka(三蔵)の第三の主要部門である。ここでは、仏陀の教えが系統的に配置され、マトリクスとしてまとめられ、分類された一大体系であり、文化、人種、性別に左右されない時代を超えたものである。

経典 suttanta のばあい、ブッダは聴衆の知的レベル、パーラミー pāramī(徳)、その到達とや状況に応じた説法を行なっている。したがって、ブッダは日常の用語と相対的な概念(パンニャッティpaññatti または サンムッティ・サッチャ sammutti sacca、つまり世俗諦(※2)のこと)で法を教える。私、我々、彼、彼女、男、女、牛、木など、社会的通念や常識に沿ったかたちで具体的な人物や物を用いて法(※1)を説いている。

しかし、アビダンマ abhidhamma では、そのような妥協をしない。法 dhammā を完全に究極の現実(パラマッタ paramattha、 勝義諦(※2)のこと)の観点で扱う。すべての現象は厳密に定義され、分類され、系統的に配置された究極の構成要素(dhammā ダンマー)に分析される。その後、ダンマーdhammā(※1) 間の相互作用の法則が教えられ、それらがどう合成されてゆくか、またどう条件付けられていくかが網の目が展開するように説明されていく。そしてアビダンマによって、仏陀の最も重要な教えである無我 anattā を理論的に、そして完全に理解することができる。

脚注

※1 ここで、法 dhamma にはここでは少なくとも二種類の意味があることに留意されたい。ブッダの教えや真理という意味での法、そして全ての存在の構成要素としての法である。法の定義は伝統によって少なくとも4つ、上座部では9を数える。そこでの語彙は文脈に即して正確に読み取らねばならないが、一つの目安として 「ダンマー」dhammā のように長音で表されるとき、パーリ語で複数形を示すサインであるので、この場合は「存在の構成要素」 の意味であるケースが多い。ここでもその意味である。

※2「世俗諦」sammutti sacca と「勝議諦」paramattha sacca は、大乗仏教においても龍樹『根本中論』मूलमध्यमककारिका mūlamadhyamakakārikā でも考察される概念であるが、それとは厳密に一致していないことに注意。パーリ仏教において「勝義諦」というのは言語の表象の限定を超えた真理のことではなく、アビダンマの教えそれ自体のことをいう。

記事は以上です。有料部分に記事はありません。
有料部分へのボタンは喜捨をご希望の方のみお願いいたじます。

Bhavatu sabba maṅgalaṃ
すべての生ある者に幸いあらんことを。 

ここから先は

0字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?