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教室を飛び出した、あの子

「コラ!!○○!!!!!」

その罵声とともに、教室を飛び出すあの子を見るのは、もう何度目か。

小学生になって、気がつくと、あの子の名前を知っていた。

長い間、同じクラスになることはなく、過ごした子だ。

その子の名前を大きな声で呼ぶ大人がいて、その前後に、その子はいつも教室を飛び出していたのを、覚えている。

だから、クラッシックのコンサート会場では、物音ひとつ立てずに座って聴いていたあの子に、とても驚いたんだっけ。

中学になると、その子と同じクラスになって、気がつくと、そこそこ話す仲になっていた。

趣味があったのか、合わせてくれたのか、わたしが好きな音楽を、あの子も好み、休み時間には、

「ねぇねぇ、○○いいよね」

と、話しかけてきてくれたくらい。

そうやって、徐々に親しくなったあの子に、罵声だけで終わらず、ビンタをくらわしたのは、当時の担任。

誤解を恐れず、先生の肩を持つとしたら。

おそらく、あの頃にとっては、一度限りの心身の暴力など、それほど問題になるようなものではなかったのに違いない。

そして、確かに、あの瞬間は、あの子にも非はあったし、担任が瞬間湯沸かし器のように怒った気持ちも、どこかわからないではない。

しかも、耐えきれなくなった担任は、

「今から俺は、おまえを叩く!!」

と、宣言してから叩いたのだった。

よっぽど、腹に据えかねて、耐え抜いた末の行動だったのかもしれない。

ただ、わたしは、その状況を受け止め過ぎて、衝撃を受けすぎて、能面のような顔で家へ帰った。

そうしたら。

なぜか母親に、

「明日、休んでもいいよ」

と、言われた。

わたしは、黙ってうなづいて、母は、次の日、仮病を使って、わたしを学校から遠ざけた。

母は、すべてを知っていたわけではないし、思春期ゆえに、優しい思い出ばかりの母でもない。

だが、わたしは、この日のたった1日だけの、公認されたズル休みのおかげで、

『生徒が教師から殴られた現場を目撃した』

というショックから、立ち直ったのだ。

その後、同じ高校へ進学したはずなのに、その子の記憶は、あまりない。

中学1年の最初の中間テストで、1番を取ったあの子だったが、先生とのトラブルは頻繁に起き、成績は、下がっていく一方だった。

思えば、あの子がリーダー的存在になって、嫌いな先生にクラス全員で報復した記憶が残っているということは、中学前半のうちは、成績もよく、クラスメイトとも、そこそこ関係がよかったのだろう。

結局この子も、どうなったかはわからない。

でもやっぱり、

この子の存在を取り巻く諸々のことに、こうやって、心揺さぶられたわたしにとっては、

あの子は、

「わたしのこころに残る存在」の一人だな、

と、思う。

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