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自分を守るために

怒りってのは
どうやら自分を守るためにあるらしい。

長年「怒り」という感情が無かったけど、数年前に、めちゃ腹立たしい事があり
これが"怒り"か~!と自覚した。
それからは、慣れないながらも
"怒り"さんと、頻繁にお付き合いさせていただいてます。
ええ、そうなんです、ほんま。

などと、意味不明な小話を挟みたくなるくらい、怒りに慣れない。
まぁ、まだ出会ってから日が浅いから仕方ない。

でも、怒りは私を守ってくれる。

明日、ちょっと気になる案件がある。
大丈夫かなぁと思ってる案件だ。
1ヶ月半前くらいに、ちょっとした事件があり、そこから波はあれど苦手に思ってる案件だ。
それに関して、自分ばかり責める時期もあったけど、今は怒ってる。
そして、その事件後も、なんだかなと思う事があった。事件で不信感持ってるのに、さらに不信は深まる。

しかし、晴れた部分もあって。ココはそこまでひどくなかったんだなという、不信が晴れた部分もある。
逆に、以前もそうだったが、やっぱりかと不信が深まった部分もある。

考え方の違いではあるが、やはり暴力の一種というか立場や状況的に
なんだかなと思う。

流すのが一番だと、大人ぶった私は言うが
ありがたく
そして
困ったことに
私の中の怒りは怒っていて

とても、とても
怒り続けている。

ありがとう、怒り。

「ちょっと、それは無いんじゃないですか!」とか言えたら良かったかもだし
今から言うという手もある。
でも、私は言わない。

言っても、分かってもらえなさそうとか
立場的に私が不利とか
そういう時、言わない、わざわざ。

言った方が、よけいしんどくなる。
言って解決しそうなこと、言ったらこちらの立場や状況も考えてくれそうなら言ってもいいかなと思う。
でも、今回は、それは無理だと思う。

でも、そういう大人ぶった私とは関係無く、怒りは怒り続けてくれてる。

その感情の強さ、熱さをもて余す事は事実だけど、やはりありがたいなと思う。

明日、とても、不安。
でも、私には怒りがある。
自分を、守れたらいいなと思う。

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