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人を統計上の数字で見てる ということ

中国が人口減少に転じた、ということで 
経済学者さんたちが あれこれ分析したり議論したり 
予測してたりしてますが。
中国に変わる人口増加で インドが注目されている、とか
色々言ってるのを聞いてたけど。

人口統計って 人を数字として見てるだけ、なんだなぁって。

そこにある人の暮らしとか 夢とか 未来とか
そういうものには 全然 注視してないんだなぁって事に
軽くショックを受けました。
あくまでも 人を人と思わず、数字として見る。
なんて残酷なんだろう。
サプライチェーンの問題、とか あれこれカタカナで説明してますけど
あ、1減ったから、あっちから2 持ってくればいいや。
そういう感覚なんでしょう?
または こっちで1万減ったから 爆買いしてくれる人数が5千くらい
減るんちゃうか?
そういう感覚なんでしょう?

人の暮らしとか豊かさって 何なんでしょう?
人の夢とか未来って 何なんでしょう?
そうやって無機質に 人を 置き換えのきく数字としてしか見ないような
そんな世の中だから、政治家がむやみやたらに 国債乱発したり
税金を広く浅くとか言って 消費増税して 使い道をウヤムヤにしたり
本当は 弱い立場の人の暮らしを最低限 支えていくはずの仕組みを
いとも簡単に壊してみたり。

こんな嫌な世の中に、どうしてなったか と言えば
そういう教育をされてきたんですよね、私たち。
私の生まれた1970年台って ベビーブームとかあったから
結構 子供が多くて 戦前と同じように「戦士」を作る教育が主体でした。
戦前は 本当の意味で「上官の言う事をよく聞く戦士」。
私たちの頃は「上司の言う事をよく聞く企業の戦士」。
今、思っただけでも 気持ち悪い。
そう言う「右に倣え」を なんの疑問も持たずに従え!という教育。
はみ出せば いやと言うほど罰を受けました。
女の子でも容赦なかった。殴られたり 倒れるまでグランドを走らされたり。

だから自分の頭で考えて、何かがオカシイと思えなくなってくるんですよね。 
誰だって 罰を受けたり暴力を振るわれるのは イヤですから。
そんな中で 沢山の嫌なヤツを見るわけです。
特定の人間を 突き出して「アイツがこんな事やってました、言ってました」と
チクるヤツ。
そうやって 生き辛い世の中になっていくんです。

今、立ち止まって考えてみることが 大事だと思います。
このまま突き進んだら、間違いなく 嫌な時代がやって来ます。
私たちは 数字じゃない。
私たちは ただの数字じゃない。
私たちは ちゃんと考えることが出来る。
私たちは イヤだと言うことが出来る。
嫌だという意思表明は 手段は色々ありますが、暴力だけはダメです。
デモも 絶対 非暴力でやらなくてはなりません。暴徒化はダメです。

もっとも難しいのは 選挙の投票かも知れません。
選挙の前だけは 政治家も謙虚そうになりますし、耳障りの良い公約を
これでもか、これでもか と打ち出して見せます。
ダマサれちゃいけません。
だから 今から 自分の選挙区の候補者に注視しましょう。
普段、男尊女卑や 人をモノのように扱う発言をしていないか注視しましょう。
この人に 自分たちの代表として 未来について少しでも託して良いのか
友人や家族と話す機会を持ちましょう。

そうやって自分たちの未来を変えて行こうと思わなければ、
私たちも データの一つとして、スパッと切り捨てて終わり、と言う未来しか
待っていないと思います。

サポートありがとうございます。自分の時間をゆっくり作り出すために、遠慮なく使わせて頂きます🙇‍♀️。