ゆるしいろ

『すべての罪悪感は無用です』という、その本のタイトルから、何かがつかめそうな、いろいろ…

ゆるしいろ

『すべての罪悪感は無用です』という、その本のタイトルから、何かがつかめそうな、いろいろなことを整理してみたいような気持ちでいっぱいになりました。ゆっくりと、一つ一つ向き合ってみたいと思います。

最近の記事

主人公に。

コロナ禍の生活が続いている。始めは恐がったり、心配したり、不安で涙が出たりしたけれど、今は鈍化している。 生活は、仕事はそのままだけれど、飲み会やら出張やらがなくなって、夜に外出することも殆どなくて、これまでの人生では考えられないくらいに家にいる。 だから無理をしていなくて、睡眠不足もなくて、時々家飲みで飲み過ぎたなと思うことはあっても、二日酔いになんてならない。 やたらと手洗いして、うがいもして、ろくに繁華街にもいかないから、風邪もひかないし、健康。 そんなに忙しく

    • 忘備録

      痩せたいと時々思うけど そんなに真剣にダイエットしたことはない 痩せた方が良いと思うし 健康の為にもそうすべきだとは思う でもそこまでにならないから今まできた 二の腕が醜い 二の腕は隠したい 二の腕が細くなったら ノースリーブ着たい スリップタイプのワンピースも着たい ホルターネックのワンピースも着たい 二の腕について調べたら 普段使わない筋肉だとのこと 二の腕について調べたら 姿勢とか、動かし方とか、そういうので太いのだと 身体をきちんと動かせていない 身体を使えてい

      • 久しぶりに。

        新型コロナウイルスに打ちのめされている…心が。 だからこそ、こういう時は言葉を使わないといけないと思い出した。 直近のnoteを見ると、次男の受験の日だった。 無事に合格して、今は休校措置の中でベッドでグタグタしながら、時々宿題もしている。 あの時はこんな日々が来るとは思わなかったな。 また書こう。少しずつ。

        • 後悔

          次男の受験会場に来ている。 保護者の待機場所に座っている。 2年前、長男の受験の時とはいろいろと異なっていることを、次から次へと思い出す。 ふとシャボン玉が飛んできて、パチンと割れるみたいにして思い出す。 長男はとても厳しい塾に通っていて、私は送迎や塾弁作りに必死で疲れ果てていて、仕事の合間に願書を用意したりしながら、働く母親が中学受験だなんて、身の丈に合わないことだっのだと凹んでばかりいた。 その時はその時で、いろいろサポートしていたとは思う。やっていないわけでは

          小さなことから

          先日、講演会を聴いてきました。夜回り先生という、有名な先生です。マスコミで見かけたことはあっても、私はきちんとその著書を読んでいなかったし、お話もあまり知らなかった。 聴いてみたら、まあスゴい。どこにそんなパワーや時間や愛があるのか。見ず知らずの小さな眠らない人達、眠れない人達を相手に、真っ正面から向き合う…。 感動しながら、涙を流しながら、心のどこかで思いました。 スゴいけど、私には無理だな〜。 でも、お話を最後まで聴いて、さらに著書も何冊か買って読み込んでみると、

          小さなことから

          ふと、立ち止まる。

          昨日の夕暮れ時、ふと立ち止まって考えた。今、家には私と愛犬しかいない。 長男は部活が無い日だけれど、補修なのか自習なのか帰宅はしていない。 次男も塾の無い日だけれど、遊びに行って帰ってきたと思ったら、運動会に向けての走り込みに行ってしまった。 夫もまだ仕事から帰ってこない。 お夕飯、完成予定時間には誰もいないかも。 実は私、夕方が微妙に暇だ…と気づく。少し前は、仕事終えたら死ぬ気で帰宅して、長男の塾弁作って届けて、次男のお迎えして、スゴいスピードでお夕飯作ってた。1

          ふと、立ち止まる。

          きちんと。

          随分と時間が経ってしまいました。 書かなきゃ、がストレスになっなら本末転倒って思って始めたので、何も感じないでいられたけれど。 今日こうしてまた開いたのは、とある本を読んだから。 『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』 佐光紀子 著 読み終えて、自分自身のnoteを読み返しましたよ。そうしたら、私の悩みと本の内容が本当にリンクしていて驚いてしまった。 きちんとしなきゃ、に呪われている私。 でもそれは、私が悪いのではなくて、そういう自己犠牲的で身を粉にして家庭を守り、夫

          きちんと。

          失ったもの、得たもの。

          私達一家は10年前にこの土地に移住した。 私にとっては多少なりともゆかりのある、夫にとっては観光で数回訪れただけの土地に。 東京生まれ、東京育ちの私は、東京を離れるということがよくわからなかった。夫の強い希望で、それもありかな~とやってきた。 10年経った今、先週の上京で思ったこと。 私は東京を離れ、何を失って、何を得たのか。 失ったものは明らかだ。とにかくたくさんのお店を失った。東京では右も左もお店がある。先日泊まったホテルではドトールもカフェ・ド・クリエとファミ

          失ったもの、得たもの。

          再会

          恩師を偲ぶ会があった。 恩師といっても、私は直接の弟子ではなくて、弟子に教えを乞うた孫弟子みたいなものだったけれど。 大勢の中に次々と懐かしい顔をみつける。わっと涙が飛び出して驚いた。 独身で、もちろん子ども達もいなくて、100%いや、それ以上の力でその勉強をしていた。何時に帰れるとかは考えていなくて、飲んでもずっとそのことを語り合っていた。 今はどうだろう。 でも、それで良いんだと思うようにする。人間はトータルで考えなくては壊れてしまう。大丈夫、子育てや家事を合わ

          自分の為にすることは、

          時々、1つの言葉にとんでもなく救われることがある。それは本当に時々で、考えてみても、この40数年でそんな言葉はまだ十本の指で数えて余りがある程度。 一番最近の言葉は、 自分の為にすることは、出来なかったとしても、それで自分を責める必要はまったくないんだよ。 という、それ。 私は小さい頃から若干太りぎみで、でも食事制限などはなるべくやりたくないので(結局痩せたいという気持ちもその程度なのでしょう…)、ことあるごとに運動に飛びつく。運動音痴なので、恥ずかしくて集団の中で何

          自分の為にすることは、

          整う。

          整う、という言葉が好きだ。整える、ではなくて、整う。 部屋も、空気も、思考も、整うとスッキリする。 はぁ、これで大丈夫と思う。 逆に言えば、整わないと落ち着かない。 部屋やキッチンは、寝る前と出勤前だけは整えたい。家族全員のベッドも整えて出勤したい。 皆が秩序なくうろうろしていると辛い。 やることがたくさんあって、それぞれに目処が立っていない時は、とにかく書き出して、いつ何をやるかを決めてしまわないと、ずっと頭が動いている気がする。 整うことを続けるのも、整わない

          いい加減な暮らし

          がんじがらめから抜け出して、少しいい加減な暮らしをしてみようと考えた。とりあえずお夕飯はほっともっとにしてみよう。 次男の塾が終わる頃に取りに行けるように注文してみた。帰宅してから時間があったから、長男のホワイトデーのお買い物に付き合う。その後に犬の散歩がてら次男をお迎えしてほっともっとへ。 お風呂に入って、みんなでお弁当食べてのんびり。…が、その後に恐ろしい程の眠気!!力も抜けて、無印の人間をダメにするソファーに倒れ込み撃沈。 なんだろう、家事サボってみたのに。優雅に

          いい加減な暮らし

          はじめまして。

          思うところあり、こちらに文字を綴りながら、自分自身について考えたくなり登録しました。 私は40代女性、夫と息子二人と愛犬と暮らしています。職業は専門職でフルタイムで働いています。 今、この段階でどうしようもなく困っていることはなさそうな、それでいて毎日毎日、もうずっと困っているのが私の人生です。 何を困っているのか。 いつもいつも、自分自身に鞭を打ってしまう。その日に満足ができない。何かの目標を立てて頑張っている自分がいると落ち着くのに、何もしていないのはサボっている

          はじめまして。