あれから
今日は眉村ちあきの武道館公演の日。
一年くらい前までずっと現場に足を運んでたのだけど、去年の秋のBIG CATの公演にはチケットを取っていたけど行かず。
それ以来、ずっと彼女の情報はシャットダウンしていた
今から思い返しても去年は散々だった。
訳の分からない理由で仕事から追いやられて、父との仲は疎遠になり、別の人生を歩もうと2年前に別れた女の子と、たまたま連絡を取り合うことができ、僕はその子のために生きる決意でいた。
ところが彼女はとんでもない人で、それを理由に2年前はこちらから別れを告げたのだけども、ひさびさに喋った彼女にも色んなことがあって、随分と穏やかになったように見えた。
しかし僕が起こした愚行をきっかけに彼女の凶暴性は再開花し、僕のメンタルは限界を迎えた。
親からもらった仕事を放りなげ、愛すると決めた人も裏切り。
僕の人生は、先がないもの同然だった。
ずっと自分は悪くないと思っていた。
そりゃすべてにおいて、自分のやったことが間違ってないかというと、さすがにそうは思わない。
間違いも起こして来たけど、自分はそんなに悪いことをしたのだろうかと思っていた。
納得いかなかった。
しかし、何度も書いた気がするが「結果がすべて」というのもまた真理だと思う。
そういう意味において自分は間違ってたし、何を言ったところで聞き入れてもらえなかったとしても仕方がない。
そんな僕にとって、母だけが最後の頼みの綱だった。
あの人は、こんな体たらくになった僕に変わらない態度で接してくれた。
こんないい歳をして、親に手間をかけさせて恥ずかしい限りなのだが、事実なのだから仕方がない。
でも僕はあの人がいなかったら、死んでたかもな。
そんな母の要望で、今年からまた働き始めた。
自分は自分のことが信用できなくなってたので、何も出来る気がしなかったが、心療内科の医師からA型作業所の見学を勧められたこともあって、そこに身を寄せることにした。
4月から世話になってるから、もう9ヶ月も席を置いていることになる。
最初はそこでの時間が受け入れ難かった。
それまではそこそこいい仕事をさせてもらってたので、ダンボールの箱をひたすら建てたり、延々とシールを何時間も貼り続けたり・・はっきり言ってそこでの仕事は馬鹿みたいなことばかりと思った。
馬鹿でも出来ると言った方がいいかも知れない。
しかし、それが今 自分が置かれた状況なのだなと、次第に思えるようになった。
このところ、何も考えないように努めている。
考え出したら、また前みたいに腕を切ったり顔を切ったり、薬を馬鹿みたいに飲んだり、ネットに100万以上課金してクレジットが止まったり・・そんなことをしでかしかねない。
思えばあれは悪あがきだったのだと思う。
もう余計なものは自分の中に入れたくない。
眉村さんのライブに行きたい気持ちも山々だったけど、やっぱり無理だ。
忌まわしいものも含めた過去が自分の身にまとわりついて、離れない。
過去は過去で、もうここにはないのだが、それでも忘れられないことがいっぱいある。
結果がすべてだとするのなら、もう自分は誰とも関わりを持たない方がいいと思う時も最近ある。
自分は普通の人とはちょっと違った境遇で育ったので、普通の人のことが分かってなかった。
しかし市井の人となった今は、少しは分るようになったのかも知れないと思ってる。
となると、自分って居ても居なくてもいい人なんだなと思う。
まあ、それは自分にだけ言える話ではないのだけど。
もうしばらくは何も考えない。
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