新しい生き方
最近のメンタルの乱れ具合がヤバい。
不条理な理由で仕事を失った。
このことは何度も書いた。
理由はどうあれ、自分は社会と共生するために「障害者」として生きる道を選んだ。
実際は、障害と言っても軽いものだ。
ただ人間不信と自分に対する不信感から社会に出るのが怖くなった。
だから、人間関係のトラブルに配慮してくれるA型作業所という場所で働くことにした。
このことは(これも何度も書いた)、自分にとって屈辱的なことだった。
屈辱という言葉が適切かどうかは分からないけども。
最近、自分の病気とされるものが本当に病気なのか疑問に思う時も出て来た。
ストレスが蓄積されると身体に症状が出る。
目まいや歩行不能。
しかし、目まいぐらいだったら、いわゆる健常者でもストレスたまれば感じるものなんじゃないかって。
それの、ちょっと極端な形な症状が歩行不能なんじゃないかって。
つまり性格によるところが大きいんじゃないかと。
もっと言うと、たんにワガママな性格なだけ。
確かに自分の身内には、とんでもない富豪がいる。
こう見えて(?)、自分も計算高い部分もある。
コツコツと、真面目に会社員やって稼ぐより、身内の金の恩恵を受けた方がずっと楽に稼げるんじゃないかって。
これって、他人から見れば「甘え」とも取れるし、いけすかないと感じる人も多いだろう。
そんな生活を長い間、続けた。
そして、こんな年になって、その恩恵に預かるのは難しい状況となった。
それは自分の健康のことを考えるとそうせざるを得なかったと思うのだけど、今まで後ろ盾にしていたものがなくなった。
僕は、ただのイチ人間となってしまった。
そこに残ったものは…甲斐性のない一人の中年。
こんなものに何の価値があるのだ!?
…と書くと、言いすぎかも知れない。
何故そう感じるのかというと、今まで驕り高ぶった面が自分にあったんじゃないかと思う。
しかし、それは後ろ盾があったからゆえの驕りであって、今の自分は驕ってたりすると単に調子のいいヤツになってしまう。
本当に人生の大きな分岐点だったんだなーと思う。
何がどうあれ、過去は変えられない。
自分は今、自分が置かれた立場を受け入れるより他はない。
しかし、それがなかなか受け入れられない。
これが今の自分の苦悩だと思う。
「物事のある一点に焦点を当てると悲劇なんだけど、視点を引いて俯瞰から眺めると、それは喜劇になる」と言った人がいた。
確かにその通りなんだろう。
でも、まだ自分の中で喜劇に昇華できない。
ここ最近、しでかした奇行
・職場で知症の人にキレた
・職場の担当部署を変えてもらって、その先にいた女性の性格がキツくて根を上げて相談し、二人きりの時間が無くなるように人を増やしてもらった
・休みの日はデパス プチODで寝逃げすることが増えた
・ODして意識が朦朧としてる間に、キャスに30万課金
・同じくOD中に、ツイッターのDMで八つ当たり
・同じくOD中に、父親に積年の恨みを長文メールで送りつけた
こうして箇条書きにすると、結構しでかしてるなと思う。
だから、最近ひとと交流するのが怖かったりする。
でも本来の調子のいい部分が出て、他人とめちゃめちゃ絡む時もある。
「考えすぎ!」とツッコまれそうだ。
けど、それも元々の性格なんだよな…。
本当、こんな年になって性格まで変えなきゃいけない状況に追い込まれたのはキツい。
しかし、そのせいで他人に八つ当たりしたり、不快な思いをさせていいという話でもない。
他人に迷惑かけるのは、病気の有無と関係なく良くないことは分かってる。
人間の内心は自由だが、それを表に出してはいけない。
気をつけてるつもりだけど、まったくそれが出来ていない。
自分の生き方を模索しなくては…。
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