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満州~ロシア。残留日本人の過酷な運命を辿って… ニーナ・ポリャンスカヤさん

ソ連に生きた日本人残留孤児

日本名不明のニーナ・ポリャンスカヤさん(2020年、約75歳没)


中国以外で孤児が確認されたのは初めて。  2004年記事

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残念ながら、ルーツも本当の名前も分からないまま
2020年コロナウイルスが原因で亡くなる。 2021.12.26の記事

 ↑ 本文はリンク先へ 
   以下要約 ↓

ニーナさんは現中国東北部の牡丹江市で暮らしていたとみられる。
1945年8月17日、ソ連軍が満州に侵攻し、この地の日本軍は全滅。
防御陣地(トーチカ)の中で、日本人将校とその妻とみられる
男女の遺体があり、赤ん坊の泣き声が聞こえた。

発見場所の草原のロシア語「ポーリャ」からポリャンスカヤと姓と、
野戦病院で世話をしてくれた女性看護師ニーナの名前をもらった。
発見時、ニーナさんは1、2歳だったが、公的文書上の生年月日は
ニーナさんが見つかった前日1940年8月16日となった。

その後、部隊の引き揚げに合わせて、ニーナさんは約5千キロ西の
スベルドロフスク(現エカテリンブルク)に連れて行かれた。
ここで将校クラブを管理していた女性に引き取られ、敵国だった
日本人と知られることを警戒して中国人として育てられた。
ニーナさんが着ていたもんぺ服は、女性の夫が当局を恐れて処分した。
養育者の女性は復員した夫とウクライナに引っ越し、
ニーナさんは孤児院を転々とした。

10歳の頃、ニーナさんを発見した元兵士の男性が孤児院を訪れ、
彼女が日本人と告げ、後に着物姿の赤ん坊が写っている写真を渡した。
男性が救出現場で見つけたアルバムから1枚だけ持ち帰った写真だった。

ゴルバチョフ政権後、1991年12月25日にソ連が崩壊。
「鉄のカーテン」も開く。

2002年夏テレビ放送で、福岡県筑紫野市の副島浩さん(82)が
シベリア抑留者の墓地を捜しにエカテリンブルクへ来訪。
ニーナさんは副島さんに、写真を託して日本政府への連絡を頼んだ。
2004年、副島さんの尽力でニーナさんは日本人残留孤児と認定。
中国以外で初めて残留孤児と認定され、この年、祖国の地を践んだ。

以来、ニーナさんは度々日本を訪れ、自分捜しと肉親捜しを続けてきた。
情報が寄せられれば、訪ねて確かめたり、時にはDNA型鑑定もした。
2013年、ロシアを訪問した安倍晋三元首相とも面会していた。
「私が誰かということが本当に知りたい。
自分はいったい誰なのか。名前とそして両親を」

ニーナさんが突然亡くなったのは昨年10月26日。原因は新型コロナだった。
昨年1年間、新型コロナの感染拡大で予定された来日が中止になっていた。

副島さんは毎年、クリスマスのプレゼントをニーナさんに送っていた。
亡くなる2日前に到着したプレゼントのお菓子を、
ニーナさんは友人らを入院先の病院に集めて一緒に食べたが、
それから間もなく、昏睡状態になったという。

副島さんは言う。
「ニーナさんの人生は壮絶だったけど、
ルーツを捜す彼女の『旅』は、
多くのロシア人、日本人に助けられてきた。
双方のいいところに触れることができたのは、
せめてもの救いだったのではないでしょうか」

ニーナさんは2016年、「原友子」という日本名を贈られていた。
送り主はNPO法人「日本サハリン協会」(東京、斎藤弘美会長)。
ニーナさんら現ロシアに残留を余儀なくされた日本人の
一時帰国事業を支援する団体だ。
ポリャンスカヤから「原」を、
日ロ友好への思いから「友」をそれぞれ使った。

協会はこの年、永住帰国を果たした日本人らの共同墓を札幌市に立てた。
ニーナさんは生前、ここに納骨して欲しいという希望を持っていた。
ニーナさんの写真はすでに収められ、名前も慰霊碑に彫られている。

ニーナさんは取材中も
「私は誰なのか、知りたい」と何度も繰り返していたが、
同時にこうも言っていた。「私はソ連人でもある」

12月25日はソ連が崩壊して30年。
この節目に再び、彼女のその言葉に込めた思いをかみしめている。


 関根和弘  朝日新聞GLOBE+編集長
徳島支局を振り出しに、福山、神戸両支局をへて大阪社会部に。
モスクワ大学ジャーナリズム学部に留学後、大阪社会部経由、
モスクワ支局へ。
ソチ五輪、ウクライナのマイダン革命、クリミア併合など現場で取材。
帰国後は北海道報道センターで北方領土問題などを担当した後、
2017年から2年半、ハフポスト日本版に出向。
デジタル編集部、GLOBE+副編集長をへて2022年9月より現職。
YouTuber記者。「オモロシア」。ウサギ好き。


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「私を探して~ロシアで育った日本人残留孤児~」
第12回「PROGRESS賞」を受賞のドキュメンタリー             制作 九州朝日放送
○番組内容
戦争孤児として孤児院で育ったニーナ・イヴァーナ・ポリャンスカヤさん、
本当の名前はまだ分かっていません。
現在、モスクワで月1万円の障害者年金で暮らしています。
人生の転機が訪れたのは小学校高学年のころ。
ある日ひとりの男性が やってきました。
そこで彼は、ニーナさんが旧満州で助けられた日本人だと告げます。
手がかりは、彼から渡されたわずか一枚の写真。
写真をもとに両親のことを調べようとしましたが、冷戦時代の
厳しい環境のなかでは、それはかなわぬ夢でした。
絶望感から自殺未遂、後遺症で身体障害者となってしまいました。
しかし、ある日、突然予期せぬことが。
遺骨探しに訪れた日本人、副島(そえじま)さんとの出会いです。
その後の調査で、残留孤児と認定されたニーナさん。
肉親探しのため、初めて祖国日本へ帰国。
日本での滞在をきっかけに、あきらめていた人生に
生きる喜びを見出し、「私にも幸せがきた」と明るく
語るまでになったニーナさんの心の動きを丹念に追っています。

●ディレクター 持留英樹さんの話
「最初は戦争がいかに人の人生を翻弄するか、というテーマで
取材を始めたが、彼女の強く生きている姿に感銘して、
それも狙いの一つになりました。」

 ↑ ニーナさんがモデルの、なかにし礼さんの小説
「戦場のニーナ」 講談社文庫 2007年1月単行本として刊行
(なかにし礼さんも満州牡丹江生まれ)


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2021年12月24日twitter


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画質は良くなく途中、分単位で何度も止まるが、
TV放送時の動画が見れる。
Youtubeではなくデイリーモーションで2回に分かれている。↓


ニーナさんが発見された牡丹江


ニーナさんが暮らしていたエカチェリンブルク



厚生労働省の
平成16年度中国残留日本人孤児の肉親捜しに係る
中国残留日本人孤児公開名簿について
ページの一番下12番目に記載 ↓


 サハリン残留邦人のための共同墓所 ↓

       ご冥福をお祈りします。



    ===============

満州の丘に立ちて

(На сопках Маньчжурии)  (日本語字幕)


バリトン歌手:ディミトリー・ホロストフスキー
(Дмитрий А. Хворостовский)

1962年10月16日 - 2017年11月22日 (享年55歳)



 ( ついでに
  上記の歌は、「さすらいのギター」として
  日本でポピュラー音楽としても…↓)
https://www.youtube.com/watch?v=HcAeKTiuXok

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