カルテ22:自分の加害姓

最近「そんなに邪悪ではないはずが何の因果か他人を踏みにじる・尊厳を奪う側になる人物」という要素を持つ作品をよく観る気がします。
パッとあげるだけでも、進撃の巨人、歌われなかった海賊へ、ゲゲゲの謎、そして最近「ここはすべての夜明け前」が加わりました。
ちょっとネタバレになってしまうのですが、作中の主人公もかつて搾取される側だったのですが、愛の渇望ゆえにある人物の人生を搾取した(してしまった)という要素があるのです。

というより自分の琴線にどこかにあるのかもしれません。立場が変われば今まで悲劇の最中にいた人間さえそういう志向にねじ曲げられるという可能性を突きつける要素に対して。

人間ただでさえ「自分も世界の出来事次第で何の因果もなく死に至る」という想像をどこかでみないことにしてるだろうに、もしかしたら「誰かを踏みにじる可能性」に至ってはもっと目を向けないだろうなと思います。

もちろん自分も出来事次第で何の因果もなく"踏みにじる側"とやらになるかもしれません。
というかわりと容易くなりうるかもしれません。




自分は、認知症の祖母の介護を母と共にやってたことがあるんですけども、その祖母が転倒の危険があるにも関わらず勝手に散歩に行こうとしたことがしばしばありまして。


そして止めに入った時母の言うことは不承不承ながら聞くのですが、孫の自分の言葉は大抵聞かなかったわけです。

祖母の認知症はタバコとかそういうのの不摂生が原因を結構大きく占めてたわけですけども、めちゃくちゃ言うことを聞かなかったとき「恨むなら注意してもタバコやめなかった過去の自分を恨め」と何回か言おうとしたことが何度もあったんです。

本人に言っても内容忘れる(しかして怒られたという事実は覚えてるらしい)し、後で自分が空しくなるだけだから言わなかったんですけど、
少なくとも心の中で「世代的に因果応報と子どもに躾けただろう言葉を返せばそれに縛られざるを得ないだろう」という腹積もりがあったわけです。
実際そういう言葉を己が子どもに言ったのかはわからないので完全に偏見です。

とにもかくにも一番の本質は「他人の流儀・信念を逃げ道をなくすための呪いとして使用する」という汚い部分が自分にもあるということですね。
社会的な力がほぼ皆無な今でさえ「社会に出たら通常発達の持ってる社会観を逆に相手を雁字搦めにするするぞ、自分に害をなすなら」という腹積もりはやはり消せてないところがあるので、
きっと社会的強者になったら多分やってしまうタマです。

それが今の自分に有り得る加害性ですかね。
考えれば「社会的強者であればある種の一貫性のある言動というものを恣意的に放棄できるのならばお前と俺たち発達障がいとの壁はなくなるぞ」という脅しで他人を動かせれば、普通の社会的労力にのみ注視すればよくなるため、ある意味魅力的と言えば魅力的です。

さて長々と自分のもち得るだろう加害性について語ってきましたが、出来るかどうかは脇において、やろうと思えばやることはできるでしょう。
しかし今後は自分の格を落としながらやってることに自覚的にならねばならないでしょう。

出来るなら弱者であることを武器にしてる下劣な行為を無自覚にやりたかった。社会で生き抜くならその方がものすごく楽だったから。一種の「余計なことは考えない」に該当するであろうから。

そういえば話の冒頭にあげたゲゲゲの謎の主人公・水木。戦争で上官に良いように特効させられたことと復員後親戚に私財をほぼ奪われたことで、金持ちを見返すべく出世欲に取り憑かれるというキャラ造形なんですが、映画終盤に愛に溢れた人物に成長していくんですが、きっと出世欲より大事なものを知ったからなんだなとふと思いました。

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