笑ゥせぇるすまんにおまん子ちゃんと呼ばれた日。
私は20歳の頃、某ミュージックスクールに通っていた。
ある日そこの初期、クラスメイトで、意気投合した友人AとAの彼氏と飲みに行く事になった。
Aの彼氏が友人を連れてくると言い出し
四人で飲みに行くことになった。
このAは私より少し年下なのだが
父親程の年上好きのおじさまキラーで
当時の彼も私の父親と同じ歳だった。
私の父と母はかなり若く、
その周りの友人皆が、周りではじめての子供として、とても可愛がって皆で私を育ててくれた為、私は歳上すぎる男性ははっきり言って父のよう、兄のように感じ、性的に無理だった。
紹介とかもし、そーいう類だったら私は無理だと言う事は事前に話し、「ただのご飯で大丈夫だよ〜」という事なので足を運んだ。
自分では行けないようなお高いお店に気持ちは「祭りじゃ祭りじゃだんじりじゃぁぁい」でテンションMAXライドンタイムな私
最も好きな感じの和食魚介類のお店だったので、
久しぶりの高級料理に心も身体もスキップをしながら待ち合わせのお店前にたどり着いた。
「はじめまして〜」と一通り挨拶をし
友人彼氏よりまだ歳上に見える男性と、4人での飲み会が始まった。
「好きなもの食べて良いよ」という言葉に甘えつつも少しばかり、遠慮しつつ酒と料理を嗜んでいた。
だが酒が進むにつれ事件は起こる。
「…んこちゃん達はさ、どこで知り合ったの?」
「へぇ〜そうなんだ。そっちの…んこちゃんは
さ、休みの日は何してるの?」
「…んこちゃんは北海道ってきたことある??僕その○代目で旅館経営してるんだよね。遊びにおいでよ」
おいちょっと待てよ。は?
「え?なんて?」
にわかには信じがたい事なのだが、
私のことを女性器呼称「おまん子ちゃん」と読んでいる。女性器のおまん子に、ご丁寧に「ちゃん」をつけなすっている。
そして友人であるAの事も
「おまん子ちゃん」と呼んでいる。
二人合わせて「おまん子ちゃんズ」
と呼ばれているのだ。
若い子抱いて叩き売ってるアイドルのプロデューサーでも、もっとまともな呼び方をするだろう。
売れないAVデュエットか。
内心まじで、出会った事のないタイプのドクソジジイにはらわた煮えくり返りボンバーで
なにこの焼け野原頭のくそえろじじい。
「ドーーーン」でおなじみの
笑うせェるすまん喪黒福造を加工アプリ「TAMAA」で金タマにした様な面しやがって
「お前の名前、今から玉袋福造」と心の中でニックネームを決めた。
そしてマイルール、
「1おまん子ちゃん呼びにつき、値段が高いアテ、酒を1つづつ頼んでいくことにしよう」と
友人の彼氏の連れだしと心をなだめやり過ごしていた。
玉袋福造「おまん子ちゃんはさ」
はい!早速イチおまん子ドーーン!
私ことおまん子ちゃん「すいますぅぇ〜ん、店員さぁあん!ノドグロ、焼き、すだちで下さい」
TAMAAで金タマ加工済みの玉袋福造「こっちのおまん子ちゃんはさ(友人の事)」
はい!二おまん子入りまぁぁす!ドーーン!!
私ことおまん子界の天使「すいますぅぇ〜ん、獺祭くださぁ〜い、あ、スパークリングあります?あとついでに百年の孤独ボトルで、お茶割りがいいんで緑茶ピッチャーで下さい」
玉袋ドーーン「ねぇ、おまん子ちゃん北海道きたことある??いつくる?おいでよスイートあけておくよ?」
ドドドーーン!!!(ぶっ殺助)
私ことおまん子ヴィーナス「すいますぅえぇん〜アワビの肝あえ、あと獺祭のおかわりと、うまずらハギ、一匹つぶしてくだすぅぅあ〜い、それと本マグロ中トロ、あとチェイサーに割りのお茶追加でお願いしまぁぁす」
こんなやり取りをカケル30ぐらいしている間に
もう食べてない高級魚のメニューもなくなってきたしで「もう、私頑張っただろう。もう許されるだろう」と帰ることにした。
女が皆女性器に見える病に犯されている喪黒福造
「帰るの〜?おまん子ちゃん、電話番号教えてよ」
私「はぁぁい!ごちそうそまでしたぁぁぁあ」
竹内力にそっくりのヴォイスを持ってこの世にイカツク爆誕したミナミの建築士、ことマイ父親の電話番号を教え、帰路についた。
あれから驚く事に十年近く経った。
記憶力が頗る悪い私でも未だに、印象に残っているほど、ドギツイおっさんだった。
今なら例え、友人の大事な人の友人であろうとも、女を一括りに「おまん子ちゃん」などと呼ぶ失礼極まりないおっさんには
秒ライターで、ケツ毛着火ファイヤーし夜空へ打ち上げ「金、た〜〜〜まや〜〜〜」と叫びながら永遠にケツが痔瘻に侵される呪いをかけてすぐ帰路につくだろう。
私はもう二度と、高級魚に釣られたりはしない。
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