宗教改革と絶対王政とは?
さくっと世界史を見ていくシリーズですが、
今回は大航海時代の裏で起こった宗教改革と後に大きく世界史を動かす絶対王政という考え方を掘り下げてみます。
宗教改革とは主にキリスト教内の反乱を指します。
宗教改革の説明の前に話すことがあります。まずは当時のキリスト教は大きく分けて地域別で宗派が決まっていました。ひとつはギリシャのキリスト教 ギリシャ正教。もうひとつはローマのキリスト教 カトリックです。ギリシャ正教はひとまず置いておいて、話の要点はカトリックになります。
カトリックの特徴としては教会が派手で、信者を増やすために手段を選びません。詳しくは私のマガジン→宗教から該当の記事を読んでみてください!
そんなカトリックですが、ドイツにてカトリックは免罪符という天国へのチケットを売ることで信者を獲得していきました。それに怒ったルターらによってカトリックは大批判を受けます。これが宗教改革のあらましです。
宗教改革によりルターやカルバンらはカトリックから身を引き、プロテスタントという宗派をつくりました。プロテスタントとは派手なカトリックとは裏腹に聖書さえあれば良いといった質素で、教会も地味なことが特徴です。ちなみにヨーロッパの観光名所となる教会は派手なことが多いので大半はカトリックです✨
このプロテスタントは各地で呼び名が異なり、イギリスではピューリタンと呼ばれました。ピンときた人がいれば嬉しいですね!
このようにカトリックやプロテスタントだけではなく、ロシア正教やイギリスの国教会などにより宗派が分裂し過ぎたキリスト教はさらに世界に広まるだけではなく、絵画やクラシック音楽にも独特な個性や革命をもたらしていきました。
絶対王政とは王様が最強であるという考え方です。後にフランスにも広まり、革命のタネとなりました。
元はと言えば神聖ローマ帝国の皇帝カール大帝がスペインの王妃と結婚することでローマの国王とスペインの国王を兼ねるようになり、権力が増大していったことが絶対王政のスタートとなります。ちなみにルターらも彼によって迫害されてしまいます。
またカール大帝の兼任と同時期に各国が内乱によって混沌としていたため、王様のような1人の大きな権力者を民衆が求めたということも絶対王政に繋がっていきます。
そんなカール大帝の跡を継いだフェリペ二世はポルトガルとスペインの王を兼任することになりました。これによりスペインは植民地を大量に増やし、スペインの支配する国はいつもどこかで昼である、つまり夜が来ない国として「太陽の沈まない国」と呼ばれました。またスペインは当時最強の海軍を保有しており、海の覇権は一時期スペインにありました。まあ後にイギリスによって敗北するのですが、、、
余談になりますがフェリペ二世の出身はハプスブルク家という各国の王様を多数輩出する有力貴族です。これが第一次世界大戦に繋がる話はまた別の機会に!
スペインの支配力は長くは続きませんでした。
イギリスのエリザベス女王はスペインの海軍を打ち破ることで権力を我がものとし、イギリスの存在感を世界に知らしめました。今思えばここがスペインという世界の支配者からイギリスへ覇権交代するきっかけになったとも言えます。またスペインの領土からオランダが独立し、貿易によりすぐに力をつけていきました。
一方、フランスではハプスブルク家の血を継ぐルイ14世がベルサイユ宮殿を建設したり、ロシアではピョートル大帝による王政が行われ、スペインだけでなく、イギリスやフランス、ロシアにも絶対王政という風潮は広がっていきました。
今回は以上です。
次回はそんな絶対王政が崩れる瞬間を見ていきます。庶民がブチ切れるんですね。
「産業革命」「フランス革命」「アメリカ独立戦争」の3つを見ていきます!お楽しみに!
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