詭弁は見抜ける
2022年に発表した論文『DNA解析と「アイヌ民族否定論」:歴史修正主義者による先住民族史への干渉』(解放社会学研究 35)は、ダウンロード数が1万8千回を超え、本業の固体物理学(特に低次元系)ではとても考えられないほど多くの方々にご覧になっていただきました。もちろん最初から内容などまともに読む気がなく、ただケチをつけるだけの人もいることでしょうが、自分の観察範囲ではこの論文によって新しい動きがいくつか生まれています。そのうちの一つともいえるのが、同紙の最新号(第37巻)に、東村岳史氏による論文『バイコロニアリズムの実線としてのアイヌ遺骨研究』が発表されたことでしょう。拙稿に関する記述を以下に引用します。
研究者の眼でこの文を読めば、拙稿はさらなる研究に進むステップとして活用するべきということになります。これこそが研究の醍醐味でしょう。
さて、この論文が公刊され、毎日新聞2022年7月31日京都版で紹介されたあと、「的場塾」というYouTubeサイトで2回にわたって反論と称する動画が公開されました。査読を経た学術論文に対して、何のチェック機構も存在しない動画で「反論」するというのはナンセンスとしか言いようがないのですが、残念ながらそちらの動画だけを見て判断してしまう人も今どき珍しくないので、ひとつの教材として見ていくことにします。この記事で対象とするのは第32回です。いくら注意しても、先に動画を観てしまうと詭弁に引っかかってしまうおそれがありますので、このあとの解説を読んでから、じっくり味わうことをお勧めします。
まずは第32回から見ていきましょう。論文の内容とは全く関係ない話が延々と続きます。ようやく動画開始から21分01秒(以下[21:01]と書きます)から「歴史修正主義っていうのはね、これお若い方はわからないと思うんだけど、まああのソ連と中共がですね、マルクス主義を巡ってですね、カンカンガクガクのですね、議論をやった時に相手を修正主義という風になじった言葉ですね。ですから、こういう言葉が出てくる、あるいは使うということは、まだまだ共産主義の尾っぽ 引きずってるんですね。」と言っています。言葉の意味というのはそれを使う文脈によって規定されます。したがって、単に言葉だけ抜き取って、それに別の意味をくっつけて批判するのは、「藁人形論法」という初歩の詭弁です。仮想の相手を叩いて勝っているようにみせかける手口といえばわかりやすいでしょう。的場氏は「反日左翼」に対して戦っているというポーズを見せることが重要なので、共産主義という言葉を使いたかっただけでしょう。
武井彩佳著『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中公新書、2021)という書籍がありますので、こちらを参照すると、次のような記述があります。
これを読むだけで、歴史修正主義という言葉が「共産主義の尾っぽ」と限定される理由がないことがわかります。繰り返しますが、言葉の意味は文脈によって規定されます。もちろん、その言葉で表すものが対象とかけ離れてしまえば文章が成立しませんので、発話者と読者の間に共通認識が得られることを暗黙に期待しているわけです。今の文脈では、戦後日本における右派論壇によるものを指すことは説明を要しないでしょう。
つぎに、Twitterに投稿したウィンチェスター氏が北海道新聞の配信前に情報を入手していたという話に移ります。これも本来は論文の内容と関係ないのですが、的場氏がどのような手口をつかって視聴者に先入観を与えていくかということがわかりますので紹介しておきます。ここで問題としている投稿は次のものです。
この投稿に関して、動画では次のように言っています。
これをご覧になっている皆さんの環境では、投稿の日付が「2017年6月6日」となっているでしょうか。少なくとも私の環境では「2017年6月7日」と表示されています。動画で表示されているウィンチェスター氏の投稿に何らかの細工がなされたと考えるのが妥当でしょう。もっとも簡単なのは、時刻設定を変更して、日付変更線をまたいだ地域にすることです。例えばこうなります。
「午後15時58分」に投稿されたような画像ができました。私たちは、こういう小細工をするような相手に対して、正攻法で問題点をひとつづつ明らかにしていくしかありません。実際、私の論文で最も重要な指摘は、篠田氏の講演録の内容を、的場氏が引用に際して一部を省略することによって講演で主張している内容とは逆の話に変えてしまったことです。
動画の方は論文と関係のない話が延々と続きます。的場氏の意図をこちらが汲んであげる必要はありません。東北縄文人と北海道縄文人のDNAに関する話はすでに解説しましたのでこちらの記事をご覧ください。動画ではあたかも論文に問題があるかのように話していますが、論文投稿時点で言及していない後付けの理屈について、本来は関知する必要がないのは明らかです。
最後に、先住民族の権利に関する国連宣言について指摘しておきます。[54:06]より次のように言っています。
動画をよく見ると英文が載っているのがわかります。
ところが、先住民族の権利に関する国連宣言の英文原文をいくら探してもこれと一致する文章はみつかりません。Article 30に相当するようですが、細かいところで違いがあります。実はこの動画(そして的場氏の著書)で、採択された国連宣言を参照した形跡が全くありません。一方で草案を見ると、第28条に同じ文章が見つかります。それに加えて、先住民族宣言に実効性を持たせるための議論や、どのようにして修正案が作られて国家と先住民族代表で合意されたのかについて一切考慮せず、ほぼ妄想に近い
ということを主張しているわけです。確かにこれでは誰も相手にされなさそうですが、なぜか一部の人々はこれを真に受けてしまい、先住民族宣言は我が国にとって危険な存在であるというデマを信じ込んでいます。そんな危険なものを、そうでなくても人権後進国の我が国が賛成するわけもないし、国会決議が通るわけがないというくらいの想像力は持ってほしいと思うのですが、一度放流されたデマはどんどん尾ひれがついて広まってしまうのでそう簡単に回収することはできません。実態はこれも詭弁の一種であって、間違った前提から始め、それを批判しているわけです。
論文に対する反論はおろか、対象を正確につかむことすらできていない。小細工が仕込んであったり、条文が採択したものとは異なるという動画に対して、何をどう反応していいやら困惑するだけでしたが、学問的な意味では決着がついている話ですので、間違い探しの材料にするくらいが丁度いいのではないでしょうか。
2024年5月14日 旭川医科大学 稲垣
参考文献
東村岳史『バイコロニアリズムの実線としてのアイヌ遺骨研究』解放社会学研究 37、pp. 50-79 (2024)
武井彩佳『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』中公新書(2021)
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