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メノッティー監督からビラルド監督がアルゼンチンサッカーを継承して世界一へ!

 1982年スペインワールドカップをもって、アルゼンチン代表監督を退いたメノッティー氏の後を受け継ぎ、1983年監督になったのが、カルロス・ビラルド氏だ。
 前回大会に出場した選手は、パサレラ、バルダーノ、マラドーナの3人だけとなり、一気に世代交代を敢行する。1985年のメキシコワールドカップ南米予選では苦戦するも突破。マラドーナのケガや守備的布陣により、周囲の評価は今一つだったが、本大会に入ると絶好調のマラドーナを生かすバルダーノやブルチャガ、ウィングの攻撃参加も絡め、順調に勝ち上がっていく。決勝トーナメントのイングランド戦では、「神の左手」やドリブルで、相手DF5人を抜いてのゴールなど、正に「マラドーナ」の為の大会となった。
 決勝では、前回大会準優勝のドイツと対戦。2対0から追い付かれるも、マラドーナのアシストによるブルチャガのゴールが決勝点となり、アルゼンチンが3大会ぶり2度目の世界王者となる。
 この結果、1990年イタリアワールドカップも、引き続き代表監督を務めるビラルド氏だったが、世代交代が上手く行かず、マラドーナもケガによる不調で、守備的な戦術を取らざるを得なくなり、攻撃はマラドーナとカニーヒャのカウンター頼みとなる。しかし、粘りながら決勝まで辿り着くも、4年前の決勝と同じ西ドイツに敗れ、連覇はならなかった。
 ビラルドは2大会連続決勝進出を達成したものの、彼の守備的なサッカーは非難を浴び、現在においてもワールドカップ・イタリア大会は守備的で退屈な大会という悪いイメージを与え続ける一つの要因となっている。
 この後、アルゼンチンがワールドカップを手にするには、イタリア大会から32年の月日を要することになる。
 2022年秋のカタールワールドカップで、メッシを中心としたメンバーで、3度目の世界王者となった。(1986年メキシコ大会以来、36年ぶり)

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