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「人生の正解とか正しい世の中とか」

最近すごく考えるけども
正解ってあるのかなと思う

何に疑問を持っているかというと、経済競争の件

これ以上発展して幸せになるのかな、、

知り合いにすごいサラリーの人たちがいるけども、みんなそう言った高収入の人の実態?プレッシャーを知らなすぎるのではないかと思う。

当然収入が大きいとそれだけのものが求められる

そういう意味では世の中よくできているなあと思う

理不尽なのは、ある真ん中と上層に関してはしんどさと収入が比例しているかなあと思うけども、中層から下に関しては理不尽な設定になっているケースもあるなあと思う。

そこは是正する必要があると思う。

介護とかなんであんなに収入が低いのか、カウンセリングや臨床心理士がなぜあんなに収入が低いのか、まあ納得はいかない

話を戻します。

これ以上の経済発展を追求していくことに幸せがあるのかという話

もちろん、無理がない範囲での発展は全然いいと思う。
でも、かなり無理していると思う部分がある。
それは必要ないのではないかと思う

もっとミニマムに、思想に焦点を当てて、みんなが平和に暮らしていけるための思想を広めたらいいのにと思うけども、それをやると共産主義になってしまって、今度は周囲に信頼をいけなくなって惨めな生活になってしまう。本当に人間は難しい。

みんなが同じように考えていけばうまくいくと思うけども、そこに我慢が生じるから、そこに反発する人間が出てくると結局うまくいかない

集団は難しい

話をまた戻します。

で、中国史の話になりますが
面白いのが、頭がめちゃくちゃいい人は史実にもやっぱり出てくるし、立身出世もする。

しかし、史記に描かれていたのが面白いけども、めちゃくちゃ頭がいい人の10倍くらい頭が良い人がいたそうな、そしてそういう人はもれなく世捨て人になったという 笑

要は自由人を選択し、人生を全うしたということだった

これが面白い。

老荘思想を紐解いていくと、まあ上善如水、つまり磨かれていき、良い方向にいけば行くほど水のように下方に流れていくという、頑張らないという、ただ無意に生きていくというのが素晴らしいのではないかという考え方。

世界のインテリが今中国では寝そべり族。アメリカではDOOMER、日本ではネオニート、みたいな形で労働を拒否している。

しかし、何も生み出さないわけじゃない

彼らは本はたくさん読むし、活動はする

しかし、大量消費はしない、静かな暮らしを好む

これが正解なんじゃないか?と思っている自分もいる

正解なんてないんだけども、幸福を基軸に置くと、そうなるんじゃないか

一般人のわかりやすい成功を描いてみる

・学歴で上位数%
・大企業、あるいはキャリア官僚、外資系大手に入る
・生涯で約5億稼ぎ(一般との差は2倍)家族を養う
・家を買い、車をもち、子供はインターナショナルスクール、妻は美人
・健康状態も良く、平均寿命よりも少し長く生きる

みたいなことだと思う。

でも、これはできる人はどれだけいるか
おそらく全国民の数%だと思う。

そして、その数%も健康とか幸せという基軸でいくと家庭の中は揉めまくり、子供はぐれまくり、健康はイマイチみたいな人も結構いる

さあ、そうするとどうするべきなのか?

これは無理が生じているからだと思っている

無理をしなくてもいいというのが私の考え方

でも、それには諦めが必要になる

ここが問題だと思っている
諦めがなぜいけないのか?積極的諦めというのを私は推奨したい

生きる力を弱めるんじゃない、人間は収入だけが喜びじゃない

・お金は困らないくらい
・そして(ここが重要)お金の過多で人を差別しない世の中考え方になれば
あとは周囲の人を大切にして、それぞれの人の健康状態に合わせて生きていけば、それなりの人生になるはずだと思っている

正解が1つで、全員がそれを目指すという形に疑問がある

すごい人はすごいということで全然いいと思う

でも、すごくなくても別にいいじゃないというのが考え方

もちろん、そこですごくないのにすごい人の人生を求めてしまったらうまくいかないから、そこは諦める

そうすれば平和に生きていけると思っている

どうやって成り立たせるか考えている。

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