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私の見た真実。6 第三次酪農危機 第三章

2022年11月24日
加藤獣医先生から電話がきた。
「金谷さんさぁ、30日農水省前のデモ、ちょっとマイクもって話してくれない?3分くらい」
とのこと。俺が?国の農政を司る最高位機関の農林水産省で?マイクもって?何言うの?
二つ返事で快諾したものの、そんな思考がしばらく頭から離れなかった。電話の最後は
「かましちゃってよ!」
とのこと。さて、どうかますのよと思った。
程なくしてデモの主催、農民連の満川さんから連絡が来る。すごく慣れた感じで一回目の電話から百戦錬磨という印象を受けた。後から知ったが実は本当に百戦錬磨だった。
どうやら農民連は共産系の組織らしいが、特に共産党に関して良いも悪いもイメージは無い。そういった偏見もなにも感じる事なくただデモ活動の概要を教えてもらった。
そこからは30日までひたすら酪農家からの聞き取り活動開始。
飯田さんとはよく夜中の2時くらいまでラインで現状の問題点を論じた。西岡さんは普段から馬鹿話しかしないのだが真面目にラインで食糧危機の回避策を話した。佐久間さんは勉強熱心な酪農家さんなので輸入乳製品の問題などよく話したと記憶している。加茂さんには今回のデモで話す際のおおまかな流れを考えて進言いただいた。加茂さんは酪農教育ファーム(小学校に牛を連れていって出前授業をする)において第一線で理解醸成を図っている酪農家さんだ。自身の時間を割いてそういった活動をずっと前から続けている事に以前から尊敬の念を感じていた。高橋憲二さんにもお世話になった。私の言うことを何も言わず最後まで聞いてくれる。その後、意見を言ってくれて、良いと思うよと背中を押してくれる。電話で憲二さんと話した時は涙が出てしまって最後は話ができなかった。その他にも何人も話をしたが、一番世話になったと間違いなく言えるのはHさんだ。本人に聞いても「俺なんかの名前は出すな」と言うだろうから勝手にイニシャルにしておく。後進である私の肩身が狭いのを察してか共進会でもよく気さくに話してくれて感謝していた。Hさんは最後に決定打になる一言をいただく事になる。
そんなこんなで第一稿が出来た。その間どうしても私の頭から離れなかったのは「牛はモノではない」という言葉。早期リタイヤ事業に関してどうしても納得がいっていなかった事からその思いは確実に大きくなっていて原稿を書いていてもモヤモヤしていた。11月27日朝の搾乳中に思った。「子牛連れて行こう」「生きていることを見せよう」。朝8時に西岡さんにラインを送って相談する。それともう一人手伝いが欲しいので検定員で世話になっていた仙北谷さんに協力を依頼するも、予定が空いていたためその場で快諾を得る。更に西岡さんも親父さんが自身の子牛を連れて行く事に快諾してくれて、思いつきで朝8時に言い出した農水省前に子牛を連れて行く作戦は午前中にその全貌が完成してしまった。当日の流れとしては子牛班二人が軽トラに子牛を乗せて農水省前まで行く。私はスピーチの後に農水省内で要望書提出に立ち会う話をしていたので完全に分業制だ。日当を払ってもいいくらいに二人ともよく意見を出してくれて大変助かったのだが、日当は断られた。これは酪農業界全員の問題だ。仲間で立ち向かう事にお金など発生しないと。
はてさて、子牛を連れていく作戦はその概要が決まり後はなにを訴えるか。いろいろな人から集約した意見の第二稿はほぼ完成していた。皆一様にこの窮状下で農政に関して不満が募っていた。その不満を集約した文章なのだから怒りに満ち満ちていたのだ。私はこれを農林水産省前で読み上げるのか、大丈夫だろうか?そんな事を思っていた11月28日のこと。原稿を協力者の方らに読んでもらってOKをもらったのだが一人だけHさんが「俺は伝わらんと思う」と言ってきた。これはちゃんと話さねば、と思い電話で話した。言われたのは金谷君の言いたい事を言うのがいいよ、と。確かにこの第二稿は私自身の言いたい事ではない。いろいろな皆の思っていた事が文章になっていたが、自分の想いが100%は載っていない。破棄しよう。28日深夜に改めて原稿を作り直した。一番に言いたいことは消費者の皆様にありがとうと言うことと、牛乳を飲んで消費拡大をお願いすること、だ。フェイスブックで書いていたのと結局同じ事になるが私の一番の想いはそこだ。それを農林水産省に向かって言うのか?ちょっと違うな、と思った。だから消費者の方が横で聞いていて窮状が伝わるように農水に対して補助金をお願いする形にした。また、カレントアクセスなどの乳製品輸入に関しても不満があったが漠然としていて声高に言う気がしなかったので原稿には入れなかった。現状の窮状を伝えて助けてもらう必要がある、それも早急に。その上で壊滅するとどうなるか、牛はモノではない。私の知り得る範囲で一緒に仕事をする仲間、良くしてくれる関係業者、酪農協の職員など、顔を思い出しながら書いた。もうこの時点で涙が流れていた。そしてこれを聞く消費者の方全てが理解できる文章でなければいけない。これが私の想いだ。そのままだ。以下スピーチの原文そのままに記載する。


千葉県の酪農家 金谷です。
まずは農民連にお礼を申し上げます。貴重な場をいただき深く感謝します。ありがとうございます。
 さて、野村大臣、農水の方々!今日は酪農ヤバいです、とお伝えしにきました。
最近、酪農業界のしんどさをよくテレビやネット、国会でも取り上げてくれますがこれほぼほぼホントです。しかし厳密に言うとすこーしだけ違います。それは今日もまた赤字が増えるってことです。我々自身が最前線で赤字を増やして牛乳を生産しているので何日か前のネットニュースを見ても過去のことなんです。北海道の1000頭飼っている大牧場社長が年間1億円の赤字だと言っていました。近所の家族経営の酪農家はエサ代の支払いが480万だ、また借入しないと、と一昨日言っていました。私んちは夏の電気代、燃料代がとんでもなくて来月の運転資金と合わせて200万借りました。
1日また1日と悪化しています。年を無事に越せない酪農家がほとんどです。クリスマスも金借りないといけない、モチ代も金借りないといけない。
いつ返せるかわからない増え続ける借金をし続けながら365日休みなく牛乳を搾ってます。辞めればいいじゃん、そう聞こえそうですけども辞めれないんです。増産せよの号令にしたがって牛舎建てたり機械買ったりしたから、辞めて返せる金額じゃないんです。
 もうそんなことを半年以上続けているんです。いつか底が来るだろう、いつかグっと乳価があがるだろう、子牛、成牛の販売の相場も戻るだろうと淡い期待をもっていましたが、ゆっくりと時間をかけてわかったんです。希望が見えません。
 来年3月から早期リタイヤとか焼石に水の対策金とか全くあてになりません。この冬を越せないのに来年自給飼料を作るなんて考えれません。チーズ作ろうって言われても設備投資なんてできません。需給ギャップがどうのこうの言っても今日の生活がままなりません。
 ただ、牛はエサをくれと言ってきます。搾らなければ搾ってくれと言ってきます。生きているんです。モノじゃないんです。
 ボロ儲けしたいと言っているんじゃない、ただ牛を飼って普通にご飯食べたいんです。もうそれが出来なくなってしまう。限界にきています。酪農ヤバいです。
 俺が思うに11月の乳価値上げも経営苦に効果がなく、年内で諦めて年始から廃業に向かう人が大量に出ます。残りは3月まで待ってから早期リタイヤを使って廃業を考える人も出るでしょう。今後継続できる牧場は1割に満たないと思います。
 断言します。このまま1年たてば需給ギャップは無くなるどころか足りなくなります。スーパーの棚から牛乳が無くなります。毎日の食卓から牛乳が消え、学校給食も牛乳は廃止となるでしょう。物価の優等生のあだ名も返上です。更に牧場が9割壊滅すれば当然ながら関係する業種も9割以上壊滅します。
牧場の従業員、獣医さん、エサ屋さん、機械屋さん、酪農ヘルパー、酪農協の職員、県酪連の職員、指定団体の職員、クーラーステーションの職員、集乳車のドライバー、動物用の薬屋さん、牛の種屋さん、削蹄士さん、検定員さん、コントラさん、農業高校畜産部の方々、乳業メーカー、酪農教育ファームの方々、などなど。俺は今言ったすべての人の顔を知っています。
この人らに謝ることしかできません。みんな仕事を失います。
もう一度言います!
酪農ヤバいです。酪農壊滅の危機です。
野村大臣、今すぐお金を落としてください。
でなければ、酪農の灯を消した大臣として歴史に名をのこしますよ!
検討するではなく、今すぐにご対応ください。どうかよろしくお願いします。
 最後にこの場を借りておつたえしたいことがあります。
消費者の皆様!国産畜産物の値上がりにご理解いただきありがとうございます。
皆様の家計の苦しさは私共も同じです。ですが国民の食卓を守るため、また年末年始の牛乳廃棄問題を回避すべく引き続き消費拡大にご協力をよろしくお願い申し上げます。
ご清聴ありがとうございました。


完成した。読めば解ると思うが完全に口語体で正確な日本語ではない部分もある。蛇足だが第三稿を書き終えた時点では実は「酪農ヤバイです」は「酪農ヤバいっす」だった。こんな事大臣に向かって言えるか。直した(笑)

2022年11月30日
朝の搾乳を終えて朝飯を食べる。身支度を整えるのだが服装を決めていなかった。子牛を連れてく訳だしスーツって事は無いなと思っていた。普段の作業着でいくつもりだったがちゃんと準備してなかったので作業着のカラーボックスをあさる。どうしたものかキレイ目な作業服が見つからない。そしたらカラーボックスの底に以前共進会で着ていた白服がキチっと畳まれて入っていた。これだ。これを見たとき、10月千葉県共進会で県内酪農家がこの窮状でも真剣に牛を引く姿を思い出しながら袖を通した。マスクは「ちかばの牛乳」ロゴ入りの青マスク。AM10時半、子牛班の西岡さん、仙北谷さんと合流。なんだろう。三人とも解っていた。今までいろんなことがあったからか、家を出る時点で泣きそうだった。あとはやるだけだ!そんなことを西岡さんが言っていた。私が思っていたことを察してくれていた。子牛班と別れ一人霞が関に向かう。言葉に表せない混沌とした気持ち。熱くなっていた訳ではない。しかし冷や汗をかいていた訳でもない。幾人もの期待と想いを胸に秘めて電車に揺られる。その間、原稿を読んでイメージトレーニングをするも、涙が出る。4回読んだか。やっと泣かずに読めた。もし戦争末期の神風特攻隊の人と話せたなら話が合うのではないかと思う。自ら討ち死にに行く、そんな心境。
現場に到着する。農林水産省、大きく見えたものだ。農民連の満川さんにご挨拶させていただき、農民連会長の長谷川会長もご挨拶させていただいた。その後も何度も何度もお世話になるお二人だが、正直この時全然話せなかった。目を見てまともに話すと泣きそうなのがバレる(笑)後から子牛班が合流した。ちょうど加藤獣医先生と千葉県の酪農家Iさんも来た。さてどうしたものか。平静を保つのに必死だった。加藤獣医先生には原稿は読んでもらっていなかったので事前に読みますか?と聞いてみたのだが「いいよ!思い切りかまして」と読まなかった。それも任せてもらった感を受けて気持ちを昂らせた。私ならなにを言うのか気になってしょうがないから読む。その直後か高橋憲二さんから電話が来る。「第二稿の方がいいんじゃないの?」と言うのだ。3秒迷った。が、もう自分の言いたい事が言いたい。ここまで来て戻すことは出来ない。「酪農ヤバいです」で行きますとお答えした。

デモ活動開始。鈴木宣弘先生のビデオメッセージが流される。その他の参加者の方もスピーチを行う。申し訳ないがすべてのスピーカーの話を聞けていない。全く耳に入ってこないのだ。畜産農家のスピーチの中で私の出番が最後だった。正直もうこの時はひたすら仲間と馬鹿話をしていた。「早く帰って酒飲みたいね」そんな事だ。それでしか落ち着かせられない。もしここで独りだったならばどうなっていたことか今になって怖い。
さて出番だ。子牛を連れてきた二人の助けがあって、皆の想いを背負ってマイクを握る。

スピーチ中、心臓が高鳴ったりはしなかった。どうしても泣きそうになる場面はあったがなんとか読みきれた。子牛もおとなしくしていたし、いい合いの手の鳴き声を出してくれた。大きな声で全部出し切った。これは動画を見てもらえば解ると思う。YouTubeで「酪農ヤバイ」で検索して見て欲しい。惜しいのは、最後の一番言いたかった消費者へのお礼と消費拡大のお願いが、時間の関係が気になってしまって駆け足になってしまったことだ。もっとゆっくりはっきり言うべきだった。
余談だがこの時農林水産省に向かって声を張り上げていたのだが、その声は建物にぶつかって道路を挟んで向かい側の外務省にぶつかって、後頭部からこだまとなって返ってきた。なんとも静まり返った霞が関に文字通り私の声が響き渡っていた。後にも先にもこんな経験は二度とできないだろう。

終わってから子牛を積み込む。終わった安堵感からか、積み込みが終わり仲間と顔を合わせて涙が出た。また他にも加藤獣医先生や高橋憲二さん、他にもラインで良くやった!涙が出た、と言っていただけた。私も感無量だった。その後、子牛班は早々に帰路につく。私は農水省の中での要望書提出と意見交換会に参加した。そこでは参加者全員の窮状を訴える声がまさに農水職員にそのままダイレクトにぶつけられた。その求めに対して出る言葉は「検討します」だった。机をバンと大きく叩いて不快感をあらわにする方もいた。私も一頭一万円の補助金ではとても足りない、5万円はいただきたい、10万円ならば随分耐えられるとお伝えした。もうスピーチの後だったからか記憶が薄れてしまっている。抜け殻だったと思う。

霞が関から帰り、家に着く。着替えてから搾乳を始めてようやっと正気に戻った感があった。本当に燃え尽きたと思う。

その晩は仲間と集まって酒盛りだった。また馬鹿話していたけども皆満足だったと思う。出し切れたし気持ちがスッと楽になった。

終わったのだ。そう思っていた。

どっこい全然終わりじゃなかった。まだまだ酪農危機は終わっていない。今後も続く窮状を訴える活動の入口にすぎなかったことは気づいていなかった。

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