私の見た真実。4 第三次酪農危機 第一章

こんばんわ。千葉県の酪農家の金谷です。

このノートは私の見て知った現実を整理整頓して自分の考えをまとめるために徒然なるままに書き記していきます。
第三次酪農危機の第一章を書き記します。
今後、出来る限りかかわった方のお名前を実名で書きたいと思っています。必ず了承を得てから書きますが、書けない方もいらっしゃる旨、ご理解ください。

第三次酪農危機1
2021年末。前年の年末にも同じような話題があったと思うが、牛乳大量廃棄問題が広く世間に表面化した。このままでは大量の処理不可能乳が廃棄される可能性がある、と。すると当時の農水大臣が、また、総理大臣が飲んで応援!と言ってくれた。おかげ様で応援消費で消費が伸びたらしい。大量廃棄は免れたようだ。後から知ったことだがこの一件は異例中の異例というのを知った。他の作物の業界から国産農産物応援してくれ!うちの野菜も!米も!お肉も!とかってなるからだ。ありがたい事だと後から感じた。
2022年2月ロシアがウクライナへ侵攻したことで戦争が始まった。この時代に戦争が起こるなど誰もが想像できなかっただろう。当時は遠い国の戦争のニュースにあまりに非現実的でへぇーという感想だった。それが自分の酪農業にどれだけの影響を及ぼすかやはり全く想像できなかった。この時点ですでに毎月の搾乳代はほとんど残らなかった。子牛の販売のみで毎月の支払を済ませていたような状況だ。4月にまた牧草の刈り取りをしたが、天候は最悪。3日置きに雨が降りまとまった晴れ間が期待できない。そんな中でも強行して刈り取りを行ってなんとか平年並みの収量を取れた。周りの牧草を作っていた酪農家に話を聞くと、まともに牧草が取れないのにエサ代は高くすでに搾っても搾っても赤字、といった状況ができていたと思う。全て輸入飼料でまかなっていた酪農家も当然に同様だろうと思う。この時点で配合飼料は1kg61円、輸入乾草(スーダン)66円。前年末から更に上がっていった。この状況が6月まで平均的に毎月右肩上がりで推移していたと思う。一方で乳価は上がらない。牛乳余りの状態が改善しないからだった。指定団体では乳価交渉が始まったと聞いた。生産者から求められた交渉額は10月に値上げで30円というのが当初の話。30円上がってくれたらコストは吸収できる。これならなんとかなるだろうと感じていた。

第三次酪農危機2
7月。右肩上がりに高騰していたエサ代が更に加速して暴騰した。配合76円、スーダン74円。もうこの時点でほとんどの酪農家は採算が合わなくなったのではなかろうか。私はそろそろ運転資金は底をついてしまうな、と思っていたが子牛の販売もまだ価格は落ちていたものの多少の稼ぎになっていた。指定団体の乳価交渉が決着したのもこの時だ。交渉は30円ではなく15円で行われたとのこと。結果は11月から10円の値上げだった。このニュースには心底絶望した。なぜ30円で交渉って話のはずが、15円での交渉に変わったのか。なぜ15円で交渉して10円なのか。なぜ11月なのか?1か月の違いはなんなのだ、一刻も早く上げて欲しいと思った。自分以外の酪農家はどうなっているのだろうか。平気なんだろうか。
8月。子牛の販売価格の大暴落が起こった。本当に8月に入った瞬間からだ。原因は私の周りではエサ代の高騰だと言われていた。子牛を買ってくれる牧場もエサ代が高騰していて子牛を買ってきて食べさせるとお肉にしても損をする、という話を聞いた。北海道では大規模な最大手の肥育業者が破産した影響とも言われていた。全国的に同時に起こるのだから魔訶不思議だ。この時、私んちで出荷したホルスタインの雄子牛が販売手数料など引かれて手元に来たお金で3000円というバカみたいな値段の時があった。管理に問題は無いかと言えばそんなことは無いと思うが、3000円ですか、、、。以前のオリンピックの時期などはお肉需要も高かったらしくホルスタインの雄子牛で15万円の時はもあった。15万円が3000円です。本当の話です。もう子牛用の粉ミルクを買って育てるなんて赤字を作るだけだと思って、自分ちの牛乳を飲ませるように切り替えた。このタイミングで明らかに収支がマイナスになった。配合飼料76円、スーダン75円。これからデントコーンの刈り取りがあるのに運転資金は尽きるタイミングがはっきり見えた。

第三次酪農危機3
9月。デントコーンの刈り取りを行う。収量は平年より多め。平時ならばこれで安泰だ、って収量。平時ならば。それでもまずは当座の運転資金が必要だった。その時、組合で無利子の貸付を行ってくれたので100万円ほどお借りした。すぐに溶けてなくなるとは思っていたがまずはデントコーンの時にも人件費がかかる。払うもの払って収穫をしっかりやらないと。金が無い時は本当に苦しい。
10月。牧草の種まきをする。デントコーンの収量が多かったので一日一個のロール使用だったのを一日二個にする。これで乳代残んないなんてあり得ないと思っていた。結果少しだけ残ったがそこから払う電気代が払えない。借りた資金がすぐ無くなってしまう。もうお手上げです、って思ってました。なんともならんぞ、と。そんで近所の同世代の酪農家、西岡さんに相談してみた。同じ状況のようで向こうも金借りないと無理だ、と。だよね、と思いどうにかできないもんかと話ていたがどうにも解決策が見つからない。乳価を上げるしか直接的な方法が無いのは解るがその上げ方が解らない。とりあえず春取れた牧草が潤沢にあったので少し分けてあげた。台風の時もそうだ。困った時は助け合わなければ乗り越えれない。

第三次酪農危機4
10月末、千葉県の共進会があった。牛の美人コンテストの事だ。県内有数の酪農家が牛を持ち寄って見せあい順位を決める。かねてより父が共進会に熱心だったこともあり、出品はできなかったが必ず見に行っていた。フェイスブックにその時の話とその後の話と書いていたので切り抜いて+αして記載する。


共進会会場にて「最近ヤバくないですか?」と幾人かの酪農家に聞いた。答えは全て「ヤバイね」だった。しかしながら、共進会自体はなにごともなくいつも通りに進行し無事に終わった。自給飼料を作ってたおかげか、そのヤバさ度合いが少し違ったのかもしれないとはこの時思った。想像以上に他の方は深刻なのかもしれないとも。同時に千葉県酪連(千葉県の酪農協を総括している上部団体)の野嶋参事がいらっしゃったのでお話を聞いてみた。
「最近エサ代高くてどうにもなりません、みんな言ってませんか?」と聞いたら「そうですね」と。
「乳価どうにかならないもんすかね」と話したところ「11月に上がりますが焼石に水ですよね」と。
「みんな乳価をなんとかしてくれ」と言っていませんか?と聞いたところ「それがそうでもないんです」と。
「え、そんな余裕な人いませんよね?」と聞くと「もちろんそうだと思います」と。重ねて「ヤバイってことを言ってくれないのがヤバイです」とのこと。
「酪農家から声が出てこない。どこか諦めてしまっている雰囲気を感じる」とのこと。
私は乳価交渉に関しては自分ひとりでどうこうじゃない、みんなわかってるから合う乳価になるよう交渉してくれるだろう、頑張ってください、県酪連と関東生乳販!と思っていた。11月の期中値上げにしても足りないのはもっともなのだがそれ以上を望むのは難しいだろうと私も諦めていた。しかしながら現状では年末年始に向けて毎年の恒例になりつつある牛乳大量廃棄問題がちらつく。おかげで強くも言えない、全量出荷させてもらえるだけマシ、ありがたいと思っていた。
しかしながら一体何キロ搾ればいいのか、エサ代は抑えるためにはなにができるのか、を考えたところで毎月エサの単価が配合から乾草、おまけに燃料費、電気代もすべて上がる。毎月だ。もう11月に乳価値上げが決まってからいくらのエサ値上げがあっただろう。もう希望が持てない、10円値上げの話ですらもう10月のエサ単価で計算しても溶けて無くなる。さらに言えば新物の乾草はさらに値上げとなると聞き、為替という目に見えない大変な災害にもう為す術が無くなった。渡りに舟の補助金もこの円安の暴威の前に一か月以内に溶けて無くなる、希望が持てない。でも続けるしかない。
同じく10月末、同じ組合の若手の同士酪農家、飯田さんのところにヤバいっすよね、と話しにいったところ「もう無理なんで来月末で廃業を考えています」と出合い頭に言われた。もう貯蓄も無くなりこれから毎月借金が積み重なっていく、これでは無理です、と。もういますぐ乳価が11月の値上げ分よりもはるかに上がってくれないと続けられるわけがないです、と。ごもっともです、私もそのくらいの乳価がいいのに、と話したが二人でその場で話しただけで値上げされるわけもなく止める術が無い。同じ若手、助けたい、そう思いできることはないものかと話したところ
「もう乳価を上げろストしかないです、集乳拒否して牛乳をバキュームで廃棄してデモするしか、、、やりましょうよ!」と。
もちろん止めた。もちろん周知の事実ですが、我々の乳代が無くなることは完全に自殺行為だ。さらにいうとここからの年末年始の牛乳の不需要期にそれをやっても処理する生乳の量が減って逆に喜ばれることになってしまう。なんなんだこの終わりの無い地獄は、と感じた。しかしながらそうでもしなければ我々酪農家の艱難辛苦が伝わらない、いまここで本気を見せないと!と。もう言うのもはばかられるけども、それでもこれしか言えないから「まだもう少し頑張りましょう!」と伝えた。もうなにをどうしていいやら。そこからは組合に相談していますぐに酪農家を助ける方法はないか、県酪連に相談して乳価をどうにかしてくれ、と頼んでも牛乳余る状況では、、、と。他の同士の酪農家に相談しても同じ状況、、、。借金が増えだした、来年を無事に迎えられるかも怪しい、と。話しても話しても解決策が見つからない。これでは半年以内に酪農家はほぼ全滅してしまう、来年の元旦の朝から真空ポンプを轟かせて搾乳する当たり前の正月も迎えられない酪農家がたくさん出て、変わりにガランとした牛舎と返しきれない借金が残る。そんなことにはしたくない。壊滅してしまえば今のスーパーの牛乳棚はほぼ無くなり毎日の食卓に置いてもらうこともできない。そして一度辞めたら元に戻せない。状況がよくなったらまた始めようっていう商売じゃない。牛はモノではない。



そうこの時だ。牛はモノではない、と思ったのは。誰かに言いたかった訳ではない。あえて言うなら世間に言いたかったのかもしれない。ここから始まったのだ。終わりの見えない、相手の見えない戦いが。

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