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性欲強めのわたしがセックスに積極的でいられるようになるまで

30代後半にもなり、性とかセックスの探求をポジティブにできるようになってきた。
自分も相手も、もっと気持ちよくなれたらいいなとつねづね思っている。

積極的受け身だった10〜20代

元々セックスは嫌いじゃないし、性欲も強い方だと思う。
だけど積極さは最初から持ち合わせていたわけではなかった。
というよりも、積極性は受け身の姿勢として発揮していたと思う。
それはつまり、相手が、求める・喜ぶと思われることをする姿勢だった。

セックス自体、相手がしたいと思ったときにするもので、
(自分からは求めない)
内容も相手主導で求められた中で楽しむもので、
(求められたことはなるべくがんばる。受け身の中で超積極的)
リアクションも相手が喜ぶことを意識して行っていた。
(いわゆる演技というやつだった)

自分にも性欲があるから、今日はするのか・しないのか?と相手の様子を伺いながら、心の中でモヤモヤすることもよくあった。

そんな相手主体な行いでも、好きな相手とするということで、わたしの心は満たされていたし、ふつうに気持ちがよくて楽しいものだった。
だけど、今思い返してみればその指数はむちゃ低いものだったと思う。

自分にとっての「いい」が、わからなかった

そもそも、自分にとって何が気持ちよくて、何が好き、みたいなことがわかるようになるまでには、私にはある程度の経験と時間が必要だった。

そして、自分の嗜好が徐々にわかってきてからも、こういうのが好き!してほしい!みたいなことを相手に言うのは特別に勇気のいることで、ちゃんと言えるようになったのは30歳を超えて以降のここ数年のことだ。

わたしがわたしに、「女らしく」あることを求めていた

言えなかった理由は、
女性が言うものではない、言うのは下品・ビッチなことであるみたいなステレオタイプな考えが自分に根付いていたこと、そして、それを言うことで相手に嫌われたくない・引かれたくないという気持ちからだったと思う。

自分の中での一般論としては、女性に性欲があるのは当然だし、性に前向きでオープンであることを悪いとは決して思っていなかったのだけど、でも、それを自分に適用することは怖くてできなかった。

変えてくれたのは彼らで、心を開いていないのは私だった

そんないくつかの出会いと別れを経て、いろんな経験をしていくなかで変わっていった。
私がどういう気持ちなのか、どうしたら喜ぶのか、聞いたり探ってくれる、そして伝えたことを受け入れてくれる、そんな相手といたすことで、私は安心し、私も素直に自分がどう感じているのか、どうしたいのか伝えることができるようになっていった。
そうして解放される感覚を得て、言うことがふつうになっていった。

そんなおかげで、気持ちよい、心地よい、こうありたいと以前よりも思えるようになって、自分の性欲も認められるようになって、なおさら開拓できていくようになったのだと思う。
そういう人に出会えたのはラッキーだったと思うけど、振り返ってみると、実は、年上・年下に限らず、そういう人の方が多くて、はなから心を開こうとしなかったのはわたしによるものだったと思う。
(心を開こうとしなかったときの相手には、今思えば悪いことをしたな…)

相手に対するバイアスに気づいた

最近きづいたのだけど、相手の趣味でされていると思っていた所作が、実は私が喜ぶと思ってやってくれていたことだと知った。
つまりそれは、私が喜んでないのであれば彼自らしないことだった。
一方のわたしはそれに興奮したりすることもなく、とはいえ嫌なことでもないので、相手が興奮するならいいかと受け入れていたことだった。

私は無意識に「相手(私にとっては男)がすることは、イコール彼自身が気持ちよくなることである」と思い込んでいたんだと、少し反省したのでした。改めて「男だから、女だから」なんて関係なくて、個々の人間同士の向き合いだよね。

これからも探求はつづくわけだけど、先入観を持たずに、相手や自分を観察しつつ、掘り下げていきたい。

Podcastのおしらせ

最後にお知らせです。
先週と今週公開のPodcastで「セックスをよくするためにしてる3つのこと 」を、エロ担当、ピーコとのんこの2人でお話しているので、もしよければ、ぜひPodcastにてお聴きください。

のんこ

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