草色はきれいな色
たいしたことは書けないけれど、企画に参加しまーす。
編み物…できるかできないかといったら、できません。
昔から、地味に何かを作るのは好きだったので、手芸はわりと下手ながらもすきで、どうでもいいものをこまごまと作ってはひとりで喜んでいるタイプです。でした。
なので、編み物ももちろん、やってはみました。何度か。中学生くらいのころ、すごーく上手な子がいて、あこがれました。仲良しですごい上手な子が2人いて、たまたまだろうけど、2人ともアタマがイイ子でした。がり勉とかじゃないのに、硬いアタマの子じゃないのに、自然に賢い、みたいな。そういう子が編み物上手っていうのが、わたし的には、なんか関係があるような気がしてました。集中力とか。継続力とか。それから、打ち込む力とか。一人で解決する力とか。そういうのがあるような気がします。
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さてさて、書き始めて思い出した編み物の思い出。
中学2年生のとき、家庭科で編み物をすることになりました。安定のマフラーです。「マフラー作るから、各自毛糸をもってくるように」ということで、毛糸を買いにいきました。いまなら絶対100均でしょうけど、当時は手芸屋さんに。
好きな色でいいので、何色にしよう、と思って選びます。わたし、ちょっと渋い色が好みだったので、ちょっと暗めの、草色っていうか、そういう色にしました。きれいだなあと思って。
そして、家庭科、マフラー編みの最初の授業の日。女子たちがみんな「どんなの持ってきた??」と見せ合いっこをしたんだと思います。その辺ははっきり覚えていないけど。
わたしは、草色の毛糸をだして「こんなん買った」と友達に見せました。そしたら、何人かいたその子たちが
「わーっ、なにこれ~、じじむさい」(じじぃ臭い)」
と笑いました。
わたしは、自分がきれいな色だと思って買ったので、それをじじむさいと言われたことがまず軽く驚きでした。え、そうかな。そして、え、そんなん、わたしの勝手やん、と少し腹が立ちました。友達たちは、ピンクや黄色など、明るい色を持っていました。「普通、こんなかわいい色にせん(しない)?」とその子たちは言いましたが、わたしはやっぱり、「そうかなあ」というにとどまりました。とまどったときって言葉がでないもので、あとでじわじわと「なんでそんなこと言われなあかんのかな」という気持ちがわいてきました。小さな出来事ですが、50歳を過ぎた今でも覚えているということは、ちょっとやっぱり自分的に負の感情だったんだろうと、今では思います。
その家庭科の授業が始まり、先生が「みんな、毛糸、準備してきたかなー」とゆっくり席をまわりました。そしてわたしのところに来ると、先生が言ったのは
「わぁ、きれいな色やねえ!!」
わたしは、ものすごくうれしくなりました。
やっぱり、この草色、きれいな色なんだ。わたしのセンス、おかしくはないんだ、と思って嬉しかったのです。
先生がそう言ってくれたおかげで、そのあとは「みんなには、わたしのセンスがわからないんだ。みんなおこちゃまなのだ。わたしはみんなより大人なんだ」と自分で勝手にそう思い、草色の毛糸を恥ずかしく思うこともなく、気に入って編むことができました。
いまでこそ、「自分らしくあればいい」とか、「人と無理に合わせる必要はない」ということをよく聞くようになりましたが、そのころはまだまだ、人と一緒がふつうな時代。そして年代的にもそうだったと思います。
このできごとは、自分は自分でいい、好きなものは理解されずとも、自分が好きならばいいのだ、と思えるようになった、ちょっとした原体験だともいえます。
いま、大人になってこうしてnoteのまちでいろんな方の文章を拝読し、したしくさせてもらうなかで、「昔はまわりに理解されず、辛かった」というような体験も、少なからず書かれているような気がします。
が、会ったことはなくても、信頼できる方に共感してもらったり、励ましてもらったりすることで、ほんとうに自分のままを日々、書けることがとてもしあわせな気持ちです。
家庭科のその先生は、おばさんのベテラン先生で、きっちりした感じの先生だったので、イキリぎみの中学生たちからは、あまり好かれている先生というわけではありませんでしたが、時々、わたしをほめてくれました。
「そうださんは、時間はかかるけど、いつも丁寧にしているよ」
とよく言ってくれました。目立つメンバーに入れることなく、周期的に仲間外れにされるような立場にいたそのときは、「先生に褒められてもなあ」とちょっと思いつつも、やっぱり嬉しかったんでしょう、今でもそう言われたこと、その先生のことは覚えています。
って、編み物と関係ない話にぶれぶれ^^
あんまり明るくない話でごめんなさーい
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