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「どこまで健常者と同じことができるか」で障害者の給与を決めていませんか?

法定雇用率がどんどん厳しくなっているから、障害者は売り手市場になっているー。

そんな話を聞いたことがあるかもしれません。
実はこれ、半分正解で半分誤解です。

確かに障害者採用の場では、一部の障害者の方が取り合いになっています。
給与水準も高く、障害を持つ方が生き生きと働く姿が企業のブランディングとして使われることもあります。

けれどそれは「特定の業種では健常者と同じことができる」ということを重視されている場合が多くあります。

手足の障害なら、デスクワークは問題なくこなせるはず。
聴覚障害なら、目視確認しやすい倉庫作業が向いているはず。

障害者本人にとって、仕事の選択肢は狭まっていることが少なくありません。

ただ、それでも状況はかなり恵まれています。

実は障害者雇用の現場を全体として俯瞰すると、まだまだ待遇は十分とは言えない現状があります。

最低賃金でも仕事があるだけいい、という根強い価値観

「そこにいてくれるだけでいい」
「生きていてくれるだけでいい」
「健康で幸せなら、なお良い」

そんなふうに自分を受け入れてくれるのは、多くの場合家族やパートナーが多いでしょう。
もしかしたら、友人の中にそんな人がいるかもしれません。

でも、仕事となると話は別です。
「あなたは私の役に立ちますか?」
「会社の売上に貢献できますか?」
という問いに取って代わられます。
その代わりに、お金がもらえるのです。

世の中には最低賃金というものが存在するので、時間あたりそれ以上の金銭的価値を会社に与える、と会社側が判断しなければ、仕事をすることさえ許してもらえません。

障害が重い方の中には、最低賃金を大きく下回る賃金で働く場合もあり(就労継続支援B型)、さらに利用料を負担する必要がある場合もあります。

ひどい話だ、という意見もある一方で、支援が必要な運営体制を鑑みれば仕方のないことなのかもしれません。

「最低賃金であっても、仕事ができるだけありがたい」
こういった価値観が、会社側のみならず障害者本人やその家族にも根強く存在しているのです。

ここにもやはり「健常者とどこまで同じことができるか」という考え方が根底にあります。

精神・発達障害は「隠して」働く人が多い

身体障害と違い、精神障害や発達障害の場合は、パッと見てわかりにくいことが少なくありません。

彼らの中には、障害を隠して働くことを選ぶ人もいます。
「隠して」と表現すると聞こえが悪いかもしれませんが、これは「障害をクローズにするかオープンにするか」という言い方で、就職する際に本人にとって大切な選択になっています。

会社全体にクローズにする場合や、採用時はオープンにして配属された部署の同僚にはクローズにする場合もあります。

先に述べた賃金格差の存在や、就職後の周りの目を気にした結果、このような選択に至るのですが、クローズ就労は1年後の定着率が3割まで下がるというデータもあります。
(※「障害者の就業状況等に関する調査研究No.137」 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構 障害者職業総合センター)

障害者雇用枠ではなく一般雇用枠でオープン就労する選択肢もあるのですが、クローズ就労を選ぶ方が依然として多くいるのが現状です。

健常者にできることが念頭に置かれた給与水準

このような現状の背景には、「障害がある=できないことが多い」という認識があります。

健常者と比べてできないことが多いのだから、その分給与も差し引くのは当たり前というわけです。

でも、少し立ち止まって考えてみてください。

そもそも健常者を念頭に置いて給与テーブルを作成するから、こういった考え方になるのではないでしょうか?
障害者は数が少ないから、給与水準を考えるときは例外扱いになってしまっているのです。

確かに、その人にできることと会社への貢献を照らし合わせて給与を決めることは有効な手段でしょう。
でも、その「できること」すべてが、本当に「会社への貢献」と直接結びついているかというと、実はそうでもないケースもあるのです。

ガツガツプログラムを書くエンジニアには、お客様ににっこり笑いかけて天気の話をする能力は必要ないかもしれません。
3ヶ月かけて動画を10本つくるクリエイターは、最初の月に1本もできていなくても別にいいのです。
夜型の作家先生に貼り付く編集者は、早起きなんてしなくてもいい。

世の中の給与水準は、そういった「ぼんやりとしたコミュニケーション力」「タスク管理能力」「短期的体調安定力」みたいなものに左右されすぎているのかもしれません。

「健常者と同じ」じゃなくてもいい仕事を創ること

時代は変わっています。

総合職=エリートという図式は崩れつつあり、専門的なスキルが物を言う仕事が多くなってきました。

私はここで「障害者だから、健常者とは違う特別なスキルがある」と言いたいわけではありません。
中にはそういう方もいらっしゃいます。けれど多くの方は、良くも悪くも「普通」です。

普通なのだから、普通に評価したらいいのではないでしょうか。

そのためには、健常者と障害者でできることに差のあることのうち、業務成果に直接関係のない部分を引き算していけばいいのです。

「健常者はたしかにそれができるけど、別にできなくても良くない? 支障なくない?」ということを、どんどん見つけていきましょう。

障害があっても、別に健常者っぽくなるために努力する必要はありません。
自分の出せる成果を、シンプルに評価してもらえばいいのです。

その精査と組織への浸透が終われば、働く上で「障害」を意識することはぐんと少なくなるはずです。

一般雇用枠、障害者雇用枠にかかわらず、そして障害の有無にもかかわらず。
自分の得意や苦手をしっかり開示して働くことは、労働者本人にとっても会社にとってもいいことがたくさんありそうです。

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