リーダーというもの(2016.11.3のFBノート)

ファイルを整理していたら、2年前、岐阜県職員時代の2014年の夏頃に書いた小論が出てきました。もっと書き足して推敲しようと思っていて、そのままになっていました。「未完成」ですが、書き足す時間もないので、このままだとパソコンの中に眠らせておくことになります。しかし、それも惜しい気がするので、ノートに残すことにしました。読み返してみると、基本的な考え方は今も変わりがなく、2年前の自分に改めてリーダー論を教えられたような気がしました。1万5千字くらいあります。長大なものですが、興味をお持ちでしたらどうぞお読みください。

1 「指揮」というもの

(1)指揮者が語る指揮者論

最近、指揮者が語る指揮者論を読んだり、聞いたりした。一つは先日テレビで見た小澤征爾のインタビューである。こんなことを言っていた。

○指揮者の役割は作曲家がどう演奏してほしかったのかを読み解いて、それをオーケストラに伝えて弾いてもらうこと。

○実際にどういう音がするか、オーケストラが鳴る前に自分のアタマの中で聞こえてないといけない。オーケストラが鳴ってからでは遅すぎる。

○昔の作曲家の作品の場合、既に世界中でたくさん弾かれているが、もしかしたらそうじゃないのかもしれない、と考えていかないといけない。

小澤征爾は同じことを谷川俊太郎との対談の中でも言っている。

「スコアを見て、頭の中でどのくらいいい音楽が鳴るかということが、一番本質的な音楽家としての生活ですね。それを今度はオーケストラのところに行って、自分の耳の中で鳴った音をどのくらい引き出すか、それが指揮者の技術ですね。いくら技術を持っていても、はじめに頭の中で聞こえた音楽がすばらしくなかったら音楽はよくないでしょう。技術の勉強することはそんなにむずかしいことじゃないけど、頭の中につくるのはとてもむずかしいことじゃないですか。」

次に、佐渡裕の「棒を振る人生」である。最近、東京からの帰りの新幹線の中で読んだ。佐渡はこんなことを言っている。

○指揮者はオーケストラが鳴らす音を聴きながら、常に三つのことを同時に判断していなければならない。まず、これから何をならすかという指示。次はどこへ行くかという方向性を与える。そして、三つ目、実際どうなったかという過去。

○最も指揮者にとって大切なのは、「自分の音」を実際にどうならすか。オーケストラの想像力を呼び起こすように、イメージを言葉で表現して伝えること。

○指揮者はただオーケストラを指示通りに動かすために指揮をするのではない。まして拍子を合わせるためのものではない。指揮者は指揮をすることで、その場の「気の塊」を動かしている。指揮者のテンションが低いと、明らかにオーケストラに伝わる。究極の指揮法とは気のコントロールだ。

同様のことは、中野雄という人の書いた「指揮者の役割」という本の中でも読んだことがある。引っ張り出してみたら、次のように書いてあった。

「書かれてある何千何万という音符の一個一個が現実に音となり、音楽として空間に放たれるときのイメージが指揮者の脳髄に確実に刻印されていなかったら、聴き手を納得させ、感動させるような「音楽」を奏でることは決してない。だから指揮者は勉強しなければならない。100人の楽員を束ね、自分の考える音楽を演奏させるためには、たゆまず勉強せねばならず、失敗を辞さずできる限り、それを克服することを学ばねばならない。」

おわかりのとおり、これらには共通項がある。つまり、指揮者の役割とは、楽譜を読み解き、自分なりの音楽のイメージを頭の中でつくりあげ、それをオーケストラに伝達し、全身から発するオーラで演奏者の気の塊を動かしていくということである。そのために、指揮者は徹底した勉強をし、オーケストラへの伝達能力を磨き、自らが目指す音楽を作り続けるのである。

(2)指揮棒を振った経験

私も恥ずかしながら、指揮棒を振った経験がある。高校生の頃だが、地元で行われた小さなオーケストラのコンサートで、途中で「1分間指揮者コーナー」みたいなアトラクションでのことだ。元来、音楽を聴くのは好きだが、実は楽譜が読めず、指揮法も全くわからない。ただ、よく聴く音楽だったので、テレビで見る指揮者のように振ればいいと思い、手を上げた。

最初、テンポが無茶苦茶遅くて、会場は爆笑であったが、幸いすぐに立て直すことができた。その時に、自分のアタマでイメージした音が、次の瞬間に現れるんだということに気がついた。テンポを早めていったわけだが、ちゃんとオーケストラがついてくる。振っている棒が、何かやわらかい、大きな塊みたいなものを動かしているような感じである。

何とか演奏を進めると、今度は素人指揮者コーナーなのに、ティンパニや弦楽器の人が指揮を見ていることに気がついた。最後のところで、思い切ってアクションを大きくすると、楽譜を見ているプレーヤーもそれに反応するのである。これも驚いた。たぶん、1~2分のことだったと思うが、いろいろなことが感じられた長い時間であった。

その時に、何となく、指揮というのは自分のイメージが持ててないと振れないものなんだということと、オーケストラは全体的な体のオーラみたいなものを感じて演奏するんだということを体感した。

(3)リーダーに必要なこと

最近、私は、こうしたオーケストラの指揮というのは、組織のマネジメントそのものであり、指揮者に求められるものというのは、組織のリーダーに求められるものと同じであるという思いを強くしている。

最近、人と話していて、リーダーに必要な資質とは何だと思いますかと問われたことがあった。その時に答えたのは、次の三点である。

○第一に取り組もうとすることの仕上がりのイメージを明確に持てる能力

○第二に目指すものを実現しようとする溢れかえらんばかりの情熱

○第三に自分の意志や考えを人に伝え、説得し、実現していく技術

これは私自身、いろいろなリーダーの謦咳に接し、また、自分自身が、トップの立場ではないにしても、実際に新しいプロジェクトや事業に取り組んできた経験の中で思っていることである。これが結果的に、先ほど見てきたような指揮者のやっていること、指揮者に求められるものに酷似している。

この3つの揃った人物はなかなかいない。イメージがつくれ、情熱があっても、それを実現していく技術に欠ける人もある。技術はすぐれているが、肝心の何をしたいかが組み立てられない人もいる。イメージもあり、実現していく技法もあるのに、情熱がなく、人の心を動かせない人もいる。

この3つを兼ね揃えた人になりたいというのは、私の人生の目標でもある。しかも、将来の目標というよりも今現在の目標でもある。

県庁でも、今は昔と違い、若い人たちでも一人で自分のまかせられた仕事を実現しなければいけない状況に置かれるケースは多い。かつてのように、細かい仕事でもチームでこなすということではなくなってきており、役職のあるポストでなくても、若いうちから数名を束ねて事業をこなすようなケースもたくさん見かけるようになった。思い返してみると、私自身も若い頃に同様の思いをしたことは何度かある。

その意味では、今や年齢を問わず、役職を問わず、リーダー論は自分自身のこととして考えるべき時代になっていると思う。指揮者に求められるものと比較しながら、自分なりの考え方をまとめてみたい。

2 すぐれたリーダーになるために必要なこと

(1)仕上がりのイメージをつくる

まず、自分自身の中に明確な仕上がりの像がないといけないと感じることはとても多い。小澤征爾がいう「オーケストラが鳴る前に、自分の頭の中ですばらしい音楽が鳴っていないといけない。」というのがこれにあたる。指揮者が楽譜を読んで、実際の演奏をどれだけ克明にイメージできるかと同じように、やろうとすることの結果のイメージをどれだけ強く持てるかは、我々の仕事でも極めて重要である。

例えば、これまで手がけてきたネットショップ支援事業やBCP普及事業、障がい児者医療事業などでも、自分のイメージが明確になっているときは、たいていうまくいく。しかし、シンポジウムや講演会などにしても、イメージしている内容がぼやけていると、準備の段階で講師の選定や演者との打ち合わせ、講師への趣旨の伝達があいまいになり、結果として、思ったような内容の講義、講演にならなかったりすることがある。

組織づくりなどはさらにその度合いが強い。こういう集まりを作りたいというイメージが強く持てると、道筋が見えてくる。そのイメージがないと、途中で頓挫する。

商工政策課時代に、ぎふネットショップマスターズ倶楽部という組織を立ち上げた時がそうだった。最初は実は自分の中のイメージが曖昧で、人は集まったものの、数回で行き詰まった。参加者の像が描けていなかったので、雑多な人たちが増え、評判を落としたのである。その反省から人数が少なくても、志高い人たちのコミュニティをつくることが重要だということに気がつき、イメージが描けたら、途端に道が開けた。メンバーの純化を図り、コミュニティづくり機能を強化し、現在に至っている。

総合政策課時代に、県長期構想の策定をしたときは、特段の指示が全くなかったこともあり、策定の最後までの全体を自分自身で企画・遂行していくことが求められたが、やはりその時その時に結果をどうイメージするかが成否を分けるという印象を強く持った。走りながら考えなければならなかったので、じっくり考えて計画を立ててということではなく、つくっては走らせる「自転車操業」状態ではあったが、強いイメージを持てた部分(若い職員による県将来構想研究会や県民との意見交換など)は問題なく進み、曖昧なイメージを持っていたところ(中間報告など)は行き詰まりがあった。

仕事の仕上がりをイメージするときに、私は具体的な風景を思い浮かべるようにしている。例えば、大きな見出しがついて報道されている新聞記事、支援プログラムに参加した人にありがとうと言ってもらえた様子、セミナーや勉強会の参加者がいきいきとお互いに語り合って、笑顔で参加されている様子などなどである。

こうした仕上がりのイメージから逆算して、事業を組み立てるのである。例えば、新聞記事にしてもらうにはニュースバリューが必要である。となれば、この事業は何が新しく、何が効果的なのかを明快に説明できないといけない。そこが曖昧なら、詰め直し、効果が感じられるプログラムに修正していく。想定される質問を考え、どこからでも答えが出せることを目標に、事業の細部を組み立てていく。この作業を繰り返していると、仕上がりのイメージがかなり鮮明になっていく。アタマの中で鳴る音楽がすばらしいものになっていくということである。実際にこうして想像した風景が目の前に現れた時は、本当に感動する。これが見たかったんだ!と叫びたくなる。

ネットショップの支援事業をやっているときに、強くイメージした結果の風景が、全く交流のなかった岐阜県内の店舗の方々が集まって酒を酌み交わし、そこに全国のすばらしい店舗の方が加わって、夜が更けるのも忘れてショップの運営についてアツく語り合っている姿であった。そのために、コミュニティづくりや他県の方を招いての交流会などを繰り返していた。異動前の最後の段階で、思い描いていた光景が目の前に実際に現れた時は本当にうれしかった。

今やっている障がい児者医療でもそうだ。障がい児者医療学寄附講座をつくろうと思い立ち、そこから10ヶ月かけて、地道な交渉や予算の確保を進めた。そして、年度末にイメージしていた協定締結式が行われ、思い描いていたように新聞記事になり、そして、いま、想像していたように寄附講座の先生が主催する施設での実習が行われようとしていて、それを喜んでくれる親さんがいる。

この魅力にとりつかれ、また、同じ体験をしたいと思って仕事をする。これが私自身は、仕事をするモチベーションである。

(2)徹底して勉強する

しかし、仕上がりのイメージというのは、簡単にアタマに浮かんでくるものではない。そこでは「勉強」が必要になる。

まず、最低限の知識がいる。その分野の人たちが普通に語っていることの理解ができないと、考える糸口も見つけられない。音楽でいえば、「楽譜を読む」ことに相当する。

私の場合、異動などで新しい仕事に就いたときは、まず本を読む。今はアマゾンなどで古本が簡単に安く手に入るので、良さそうなものを買いあさり、あるいは図書館で借りて読みまくる。本を読むことは欠かすことができない。

しかし、たいていの場合、ぼんやりとはわかってくるが、何となくもやもやした感覚が残る。仕組みや理屈、いろいろな事例などはよくわかるが、実感がわかないからである。音楽でいえば、楽譜の音がどのように鳴るのかがわからないのである。小澤征爾や佐渡裕がいうように、アタマの中で音楽を鳴らすには、楽器の実際の音、それが組み合わさった時のハーモニーのイメージを持たないといけない。

なので、次は現場に行く。役所の仕事は、「支援」が多い。支援を受ける人たちの様子がわかっていなければ、支援する内容を考えるのは無理である。

人に会いに行き、企業であれば工場や商品を、医療機関や福祉施設であれば、中での様子を自分の目で見て、自分で感じる。しかも、なるべく五感で感じることが大切である。私は重症心身障がいの方々のお宅にお邪魔するときは、手を握ったり、顔を触らせてもらったりすることが多い。こうすることで、自分の中に入ってくる情報量が格段に変わる。

そうすると、百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、本を読んで勉強していたときのモヤモヤ感はあっという間に取れ、書いてあったことがどういうことなのかが理解できる。同時にやるべきことがすぐに見つかる。しかも、どうすればいいのかのヒントもある。

「現場には課題も答えもある」とかつてご一緒した上司によく言われたが、その通りだと思う。政策立案はここからしか始まらない。

ちなみに、よく若い人のアイディアや発想をと言われる。なぜ若い人たちが期待されるかというと、組織に長い間いると、この現場感が失われるからである。組織になじんでいないうちは、一般ピープルと感覚が近い。したがって、課題も答えもわかっているケースが多いからである。逆に言うと、いくら若くても、現場感を持っていない人からはなにも出てこない。学生時代に色々な経験をしておくといいというのは、その時の経験そのものが生かせるかどうかではなく、様々な分野の現場感を得ていることを期待しているからだと私は思う。

だから、年をとっていても、現場感が強く、様々な経験を積極的にしている人は若々しいということになる。年は若くても、硬直した、あるいは狭隘な現場感しか持っていない人は、老人と同じである。

こうやって情報をたくさんインプットした後で、考えに考え抜いていると、ようやくある一定のイメージの強さになっていく。まさしく「たゆまぬ勉強」が必要なのである。

このことは、長くお仕えした梶原前知事がよく言っていた。アイディア知事と言われた方であったが、「みんなアイディア知事と呼ぶが、思いつきではない。考え抜いて、勉強して、ようやくアイディアは出てくるものだ。なかなかそういうことはわかってもらえんでな。」と言われたものである。

実際に毎日、深夜に帰宅されてからでも、よく勉強されていた。読書量も豊富で、いろいろな方に会いに行き、常に考えておられた。クルマの中で、じっと考えておられて、何かの考えに至り、すぐに電話で指示されるようなことも多かった。

前知事には「ずっと毎日考え続けていると、磁石に吸い付けられるように情報やヒントが吸い付いてくるようになるもんだ。それがパズルのように組み合わさっていく。」ともよく言われた。実際に細かい情報をよく覚えておられたので、県庁の職員から、とんでもない記憶力だと評されていたが、近くに仕えていてよくわかったのは、関心のない情報は単純なことでもすっからかんに忘れておられたことだ。つまり、単に情報を記憶されているのではなく、普段から興味と関心を持って考え続けているテーマがあるために、小さい情報が目につき、パズルがはまるように、自分が求めていたところにはまっていったのだと思う。

上司やリーダーの役割というのは、こういうことだと私は思っている。とにかく、部下やスタッフの誰よりも、徹底して勉強し、人に会い、自ら考える。そして、仕上がりのイメージを作り上げていく。このイメージの質がいいほど、実際の事業は成功する。

しかし、管理的なポストに就いた途端、自分が考えなくても、部下やスタッフが答えは持ってきてくれる、早く出せとケツをたたいていればいいと思っている人がいる。思っているだけでならまだしも、そういうことを口に出して話してしまう人もいる。実際に、管理職になって、「これで下が考えてくれるので、なにも考えなくてよくなった」とおっしゃた御仁がいる。愚かという以外に評する言葉がない。

確かに、それでも仕事は回っていく。特に優秀な人物が組織にいれば、仕事はどんどん進んでいく。しかし、自分自身はどうなのか考えてみると、一人の人間の人生として、まことにお粗末なことになる。しかも、自ら勉強と精進を怠っている間に、能力が劣化していく。そして、退職を迎えるころには、使い物にならない人物になってしまう。

もちろん、組織が大きくなると、一つひとつの仕事に自分から手を動かすことはできなくなる。手掛けている範囲と業務が極めて大きいからだ。しかし、もっと重要な事業内容と結果の構想は、職位が上位になればなるほど求められる。

かく言う私自身も答えが見つけられず、苦悶しているときなど、逃げ出したくなるときがある。ここで、担当の職員に「考えるのがお前の仕事だ」といって投げてしまえればどんなに楽だろうという悪魔のささやきが頭をよぎることはある。あるいは、何だかんだ言って引き延ばし、異動で他の職場に行けばチャラになると思うこともないではない。しかし、そのたびに、これを言っては、これをやっては人間としておしまいだと自分に言い聞かせて、また苦悶を繰り返す。

我々は給料をもらって仕事をしているプロである。楽な仕事もないし、逃げるところもない。苦しくなったら、勉強するか、とにかく外へ出て、人に会い、現場を見て、自分自身でヒントをつかむ以外にない。たぬまぬ勉強と精進、これしかないのである。

(3)イメージを修正し、アップグレードする

描いたイメージが、実際に事業を動かしていく過程の中で修正が必要だと思うことも多い。その修正をしていくことも、リーダーの大切な役割である。

佐渡裕が言う「これから何を鳴らすか、次はどこへ行くか、実際どうなったかの三つを常に判断していなければならない」というのはこれに近い。実際に音楽が鳴り、イメージと異なった場合、修正していかなければならない。加えてハプニングも起こる。

小澤征爾も、「実際の演奏は忙しい。いろいろなハプニングが起こるので、それに対処し続けないといけない」と言っていたが、実際にどうなったかを見て、うまくいかなければ、随時修正していかないといけない。

小澤征爾が率いているサイトウキネンオーケストラのリハーサルをテレビで見たことがある。オーケストラのメンバーから、演奏の方法について異論が出た時に、その方がいいと小澤征爾がさっと採用していくような風景が記録されていた。このオーケストラは、小澤自身が一人のメンバーであるような意識でいるということもあるが、圧倒的な尊敬を集め、まさしくトップである小澤征爾がそうした柔軟な姿勢でいられるのは、自らが学ぶということについての謙虚さがあるためであろう。

役所が最も苦手とするのが、この「修正」である。その元々の原因は、役所の仕組みにある。役所は予算を作って、議会を通し、それを執行していくのが基本的な仕組みである。議会の議決をもらうということは、理論的には県民、市民の承認を得ることである。予算で議決をもらった内容を修正するには、議決を要するのが本筋である。しかも、予算はざっくりいくらくらいというようにラフな形では作られていない。何百何十円の交通費を、かける何回というように積算したものを積み上げて作られている。

そうすると、簡単に修正というわけにはいかなくなり、修正するにしても、ものすごい労力になると思うので、やめておこうということになる。また、一度約束して作ったものを簡単に修正したら、元の予算がいい加減だったのかと批判されると思うから、余計に腰が引ける。特に首長と議会の関係がよくない場合、細かい変更などが思わぬ議論や批判を招きかねないので、年度途中での修正などには一段と消極的になる。これを何十年も続けているうちに、組織のマインドとなり、役所は硬直しているとなる。

だが、誤解を恐れずいえば、そこまで議会では審議されない。主な事業について、だいたい何をするのかを議論するくらいである。だから、細部の細かい経費まで決まったとおりにやらないといけないというのは、実態とかけ離れた議論である。それどころか、議員の大半は柔軟に予算を使って効果的な事業を行うことを望んでいる。一度決まったからといって、そのプロセスの中で積み上げに使った細かい計算の通りにやることを求めるような人はいないと断言できる。ただ、そういうことがわかっていないと、理屈のまま動こうとするので硬直してしまうのである。

実際に、私も20代の終わりの頃、予算の組み方を変えて事業をやりたいと言い始めたときに、これで予算が通してあるから無理だと言われ、大議論をしたことがある。ソフトピアジャパンというところに勤めていた時である。その時の予算執行の担当者がいうのは県民への説明責任の観点から問題があるということだった。補正予算に上げるには手間がかかりすぎ、しかも案件が細かすぎる。やるなら来年度にしたら、というのである。

おかしいと思った。この仕組みでいくと、何をやるにも最低でも半年、どうかすると一年近くかかる。その時、私自身はシンガポール駐在から帰ってきた時で、ものすごいスピード感で政策展開をしていくシンガポール政府の仕事を見て、岐阜県もこうあるべきだと思っていたので、こんなことでは岐阜県庁はダメになってしまうと思った。

その時は、たまたま私自身が、ソフトピアジャパンを応援する企業の会の担当をしていて、その会費が数百万あったので、これを使って実質的に事業をやろうと考え、実際に実施した。どのお金を使っても、得られる効果が同じならいいわけである。この時に、使えるカネを探してきて使うということを覚えた。

その後、秘書をやっているうちに、予算で細かいところでやりとりをしているのは担当者だけで、知事や副知事、幹部レベルでは、億単位の予算がわずかな時間のうちに決まっていく実態を見て、一度決まった細かい積算や事業名にこだわることには、実質的にもほとんど意味がないことを知った。

また、他県の秘書や担当者と交流する中で、一度決めた事業を自在に変えながら実施しているところも多いことを知り、法的にも、道義的にも、柔軟な事業執行に問題はないことを知るに至った。

その頃、岐阜県でも部局単位である一定枠の予算を自由に使える仕組みが導入されたことがあり、若い頃におかしいと思ったことが、解消できる道筋があることも見えてきた。そして、自ら事業実施を手がけるようになった商工労働部時代以降は、柔軟な事業執行を最大限に実行している。

まず、新しくやりたいことができたら、手元の金を確認し、使えるカネをつかむ。計画してある事業をもっと安い経費でできないか考える。浮いた金を作り出したら、それを使う。必要に応じて、「節」と呼ばれるカネの使途の区分を変える。担当者が抵抗するときは、彼らが何にこだわっているかを見極める。ほとんどは上司へ説明である。そこで、自分でその上司に話をして、了解を取り付ける。

金がないときもある。その時は、他の課などに使えそうな金がないか探す。理屈を付けて使えそうなものがあればもらってくる。担当者がイヤがって滞っている事業、次の展開に行き詰まっている事業などがあればチャンスで、これを引き取ってくる。ほとんどの場合、ありがとうといって引き渡してくれる。

一時期、たくさんあった緊急雇用創出基金事業、地域人づくり事業、今の仕事だと地域医療再生基金や医療介護総合確保基金などの国の基金は、自由度が高い。BCP普及事業をやったときは、防災課から事業そのものをもらってきて組み替えた。

こうやると、結構予算は確保できる。少なくとも、はじめから無理だなどとあきらめてはいけないし、決まった人が、決まったとおりにやらなければならないなどということは全くないのである。

その上で、事業をやっていく際に、大事なことは、反省することである。セミナーや研修会などでも、やっている途中で、しまったな、こうすればよかったと思うことは多い。私は、思ったそのときにメモを取り、反省点を記録していくようにしている。そして、終わった次の日に、反省点をまとめるようにしている。

大きな事業であるほど、終わるとほっとし、気が抜けてしまうか、成功に終わるとよかったよかったと言い合い、安心することが多いが、この時に自分に冷や水を浴びせることが大事である。

これは事業が終わったときだけでなく、その過程でもいえることだ。何かアイディアが浮かんだときでも、いったん自分で考えたことは、常に批判的に見ていないといけない。素晴らしいことを考えたと思っても、それ以上にすばらしい結果が待っていると自分に言い聞かせる。そうすると、決めた流れを変えることは何ということはなくなる。

私はこれを「昨日の自分にバカと言え」という標語にしている。常に自分に冷や水を浴びせ、よりよいものを生み出すための自分への叱咤である。

(4)イメージを伝え、事業を動かす技術を身に着ける

最近必要だと思うのは、自分のイメージを伝えるチカラである。これはとても難しい。しかし、これなくして、人に動いてもらうことは不可能である。

佐渡裕がベルリンフィルを指揮した時のドキュメンタリーを見たことがあるが、佐渡のイメージがつかみきれないオーケストラがいらだち始め、関係が作れずにいるときに、チェロのパートのイメージを「白黒の世界の中でチェロだけに色があるように」と伝えたことをきっかけに関係ができあがってくるという様子を紹介していた。

音楽なので、こうした抽象的なイメージを言語化していくということになるが、私たちのような仕事の場合、文字で具体的に示すことがとても大事である。

私は企画を作るときは、必ず自分で企画案を紙に起こし、それをスタッフに渡して説明するようにしている。重視するのは何を始めようとしているのかのコンセプト、その企画で実現又は解決しようとしている課題、そして仕上がりの内容と大まかな進め方である。これが事業のいわば基本設計図である。

これを書こうとすると、イメージが曖昧なところはすぐにわかる。自分のアタマの中でできあがっていないということなので、その点を詰め直す。そのためにも必要である。

ただ、ここで問題なのは、自分のイメージができあがっているとして、どこまで書くかである。書き足らないとスタッフが何をしていいのかわからなくなる。書きすぎると、今度はスタッフが指示されたことをやるだけになってしまい、成長に繋がらない。

これは普段の書類の調整などでも同じことがある。手元に来た書類を見て、こういうのを作りたいんじゃないと思い、書き直してくれということがあるが、その時に、その場でしゃべり、そのまま口述筆記で書いてもらうのが一番楽だ。しかし、それだと、担当者はただのディクテーションの機械になってしまう。

もちろん、時間の制約があるときなどはその方法をとることもあるが、本来は、大まかな方向性だけ伝え、デッドラインぎりぎりまで本人に書いてもらうようにすることが大事だと思う。この過程を踏むと、自分で書いたという実感がもてる。もちろん、その間、考えに考え抜く。それが経験につながり、成長につながると思うからである。

自分自身を振り返ってもそうだ。こう直せと指示されたとおりに直した経験はもちろんあるが、浄書をしているだけなので、あまり印象に残らない。でも、趣旨とイメージをもらい、その中で自由に自分で書いたものは、結果として指示されたとおりであったとしても、自分で書いたという経験として蓄積される。

これは指示を受ける側にとっても大事なことだ。知事秘書時代、知事の指示を受ける部長などの幹部を見ていてそう思った。

知事のところに上がってきた書類に対して、知事自身が筆を入れるのではなく、こんなふうに直してほしいということがある。例えをすることもある。

これに対して、知事が言った一言一句をノートにメモし、書き起こそうとする人がいる。こういう人が返してきたものを読むと「付加価値」がない。付加価値とは、知事が指示したことをもとに、自分自身の考えや情報を付け加えて、膨らませて返すことである。おまけに、たまたま例示したものを真に受けて後生大事に書くので、ピントがずれることもある。これでは、まるで入りたての職員とやっていることは同じである。

指示を受けるときに大事なのは、指示を出すに至った思考回路を読み取ろうとすることだ。つまり、言葉そのものではなく、イメージをつかむのである。イメージで読み解いていると、そこに具体的にどういう言葉や案を与えていくかは自分の裁量になる。したがって、できあがったものは自分の作品になる。

知事にしても、自分のイメージがさらによりよいものになって戻ってきたのなら、歓迎されることが多い。実際にこれはいいと素直に喜んでくれることもよくある。

私自身は、今でも上司から指示を受けるときは、そのようにしている。大まかなイメージはこうですねとその場で確認し、私なりに考えてみますといって帰ってくることが多い。発せられた言葉をそのままコピーするようなやり方は、部下の仕事の仕方としてはレベルが低いのであり、そうしたレベルは超えていきたいと思っている。

慣れてくれば、指示をヒントにこうしてみました、といって持っていくこともできるようになる。もちろん、外れていたということもないではないが、それでも自分にとっては大きな成長になる。

オーケストラで言えば、文章を書いたり、実務をやる者は楽器を弾いて演奏するプレーヤーである。指揮者は音を出さない。実際の音を出しているのは、オーケストラの団員である。イメージを伝えられた楽譜の音符をいかに美しく演奏するか、そして、指揮者のイメージをさらにふくらませて、ステキな音が出せるかはプレーヤーの力にかかっている。

組織でも同じで、実務をやっているのはスタッフたちである。だから、指示する側は、事業や企画のイメージを具体的に伝える力を磨きつつ、そこに工夫を凝らせる自由度を含ませる技術が必要だと思う。そして、ぎりぎりの期限を見極め、そこまで我慢して、いいものが仕上がってくるのを待つこともリーダーに求められる能力だと思う。

(5)強い気持ちを持つ

話は佐渡裕に戻るが、彼がこんなことを言っている。

「指揮者は指揮をすることで、その場の”気の塊"を動かしている。究極の指揮法とは、気のコントロールだ。音は単に空気の振動だ。だが、その音が人の思いで鳴っているとき、それは音楽になる。」

私も仕事をする中で、近年痛切に思うようになったのが、このことである。我々公務員の仕事は幅広いが、農林商工系、医療福祉系、環境生活系、スポーツ文化系などの業務の多くは、研修やセミナーのような人材育成系の施策、補助金や助成金などの給付型の施策、人と人とをつなぐ交流系の施策などで成り立っている。これらの特徴は、自分たちが何かをやるのではなく、いずれも人を動かすきっかけを作るタイプの仕事であることだ。そして、それを実行していく際に、佐渡裕の言うような「気」が事業の成否を左右することが多い。

例えば、事業実施にあたり、人に会いに行くときなどが典型で、一つの事業を成し遂げるために、何とかヒントを得たい、勉強したい、岐阜県のためにこれをやりたいという強い思いを持って面談に臨むと、相手の方がぐっと身を乗り出し、前向きに協力してくださることが多い。逆に、実際にかつて経験したが、ノルマを課せられて企業などに話を聞きにいったときなどは、真剣さが足らないせいか、相手との会話が進まなかったり、何か物足らなさを感じ、その後付き合いが続いていくことが少なかった。

事業を始めてからでも同じで、例えば行事で挨拶をするときなどにそれを感じる。着任後間がない時期のように、自分の中に現場感がなく、何をしたいのかがはっきり自分の中で形成されていないときには、用意された原稿を読むような挨拶になってしまう。こういう時は、来ている人の熱量は上がってこない。短くても、つたなくても、自分の思いを伝える挨拶をすると、会場の集中度がみるみる高まっていくことが手に取るようにわかる。自分の言葉で自分の思いを伝えることはとても大切なことだ。

秘書時代、いろいろな行事に随行し、首長や企業のトップ、団体の長などの挨拶を聞く機会が多かったが、この人は何をしたいと思っているんだろうと思って聞いていると、だんだんと「気」があるのかないのか、すぐにわかるようになった。

中には、話のうまい人もいて、ユーモアたっぷり、話題満載で、流れるような挨拶をするのだが、後で考えてみると、何を言いたかったのかさっぱりわからないという人がおられた。たまに会う人はいいが、ずっとシンパとしてつきあってくれる人は少ないのではないかと心配したくらいである。県庁の幹部で、新しく部長になった方から、半年くらいしてから、「ようやく挨拶のパターンがわかった。これに当てはめれば、大体その場は凌げるようになった。」という話を聞いたことがある。この人の挨拶がつまらない理由がわかった気がした。いずれも「気」がないのである。

逆に、話はあちこちに飛んで、聞きやすくはないが、気力と迫力に圧倒され、何か手伝わせてくださいと思わず言いたくなってしまうような話をする方もいる。これをやりたいという強い思いは、どんな話し方をしても、人に伝わる。どちらがリーダーとしてふさわしいかは論を待たない。

佐渡裕が、空気の振動である音が、気によって音楽になると言うのは、こういうことだ。指揮者が技術を駆使して、オーケストラをドライブしても、「気」がないと、客席に音楽として伝わらない。同様に、空気の振動である言葉も、予算の執行にすぎない事業も、「気」によって人の気持ちを揺り動かす力になるのである。相当強い熱量を持って仕事をしないと、受けてである県民、県内企業などには伝わらないと思っている。

現場に行く、ということは、前述のように、やるべき事業のイメージをつくりあげるためと同時に熱量を上げるというところに眼目がある。例えば、重い障害をもった子どもさんを24時間介護している親さんに会いに自宅に行く。実際に子どもさんに会い、家の生活を見て、どんなに大変かを聞く。そうすると、受け止め方の程度こそあっても、必ずそのご家庭の生活を追体験する感覚を得ることができる。自分の体に中に入ってくる。そして、何とかしないといけないと思う。ここが熱の発生源であり、エネルギーの源泉になる。

ネットショップ支援を始めたときもそうだった。中山間地の昔からの自宅商店に帰ってきた若者が、生まれ育った故郷で商売をしていて住み続けたい、そのために色々な人にあって学びたい、という話を聞き、私自身強く感動し、私の立場でできる限りのお手伝いをしたいと思ったのが事業を本格的に展開し始めた原点である。県民生活の中にあるエネルギーを、自分の中に転写し、それを熱源に自分自身の熱量を高め、放射していくのである。

小澤征爾の指揮をテレビで見ると、体全体からものすごいエネルギーが出ていて、ホールにいないのに、画面と音声を通じて、見ている自分が圧倒されてしまうことがある。一度だけ、小澤征爾の演奏会を聞いたことがあるが、その時も、「気」がホールを支配するというのはこういうことなのかと思った。レナード・バーンスタインもそうだった。昔の録画画面なのに、エネルギーがすごい力で伝わってくる。

ベートーヴェンは、ミサソレムニスという大曲の総譜に「心より出でて、再び心に至らんことを」と書き付けている。私はこの言葉を座右の銘にしている。仕事のスタイルは人によって様々である。しかし、私は「気」で人を動かし、「気」を求める人たちに伝えていくような仕事をすることを目標に精進していきたいと思っている。

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