変わる議員の役割(2011.3.10のFBノート)

昨日の夕方、ある新聞記者の方が訪ねて来られ、県議会の課題とか現状とかをどう見たらいいんだろうという相談を受けた。といきなり言われても困るのであるが、私なりに思っていることをいくつか申し上げた。その中の一つを記しておきたい。

 今回の統一地方選で岐阜県議会は改選になるが、今期(07年~10年)は議会にとって大きな転換期であったと思う。特に大きなことは、地域への利益誘導の役割がほぼ無効になったことではないかと思っている。

 前々期になるが、補選で何年かぶりに復帰された高齢の県議がおられた。何かの挨拶に知事のところへおいでになった際に同席していたのだが、その時に、亡くなられた同一選挙区の県議の実績を指摘し、「他の地域には県の大型施設などがどんどんできているのに、自分の地元にはそういったものがない。前の人たちはいったい何をやっていたのか。」という趣旨の話をされ、ぜひ何が大型事業をやってくれと言われたことを強烈に覚えている。

 かつて、県議会議員の役割は、自分の地元に県の仕事、とりわけ公共事業を引っ張ってくることであった。少なくともつい10年前までは間違いなくそうであった。知事が行事に出席する際の資料作成は秘書課の重要な仕事の一つであるが、、特に県議会議員に関わる行事に出席する際には、各地域にどのような県の事業があるのかをリストにして整理し、知事に提供することになっていた。それほど、各地域にどの程度県の事業が配分されているのかは重大な関心事であったのである。しかし、県の財政難とともに、その状況は一変する。その点について言えば、ここ数十年の県政の歴史の中で、この4年間ほど劇的な変化を見た期間はない。

 議会の今任期の初年度である平成19年度は、私にとっては長期構想の策定を始めた年になるが、ここで提起したのは人口減少というテーマである。人口減少は、実は行政にとってはタブーとされたテーマの一つである。なぜなら、経済成長の低下、税収の減少を招き、大きく伸びゆく地域の姿が描けないからである。当初は庁内外ともに反発を招いた。しかし、人口減少というテーマは、すぐに受け入れられていくことになる。それは人々の実感に合っていたからに他ならない。

 次に我々が満を持して提起したのが財政難の問題である。前知事時代まで、県の財政は健全度において全国トップクラスを誇り、あらゆる場面で語られてきた。しかし、我々は平成16年度頃から、もう1~2年で県財政はかなり厳しい状況になることを知るようになり、いかにその問題を内外に提起するかが大きな課題となっていた。知事が交代し、行財政改革大綱の策定に踏み切る背景にはそうした流れがあった。

 その本格的な流れが始まったのが、やはり平成19年度である。長期構想の策定に合わせ、我々は現在の財政状況がいかに危機的なのかを図示して発表する取り組みを始めた。この流れが、現実に予算上の抑制を伴う行財政改革アクションプランへと続いていく。最初は県の説明にはウソがある、実際にはカネはあるはずだという意見があったが、現実の前にそうした意見は消えていく。そして、それが受け入れられるに連れて、カネがないことを前提にすることは常識になっていったように思う。

 次に訪れたのがリーマンショックである。平成20年の秋だ。今振り返って、当時の景気のよさを「バブルだった」という企業の方がおられるが、現実に名古屋圏ではそうした状況もあったように思う。東海環状自動車道が開通し、工業団地が飛ぶように売れ、労働力不足が起こり、派遣労働者と外国人が大量に流入した。アパートが林立し、該当地域の建築業界も活況を呈していた。加えて、東海北陸自動車道の全通で飛騨地域には人が押し寄せ、まさしく「明るい未来」が開いたように見えた直後、皮肉なことにリーマンショックが起こったのである。その後は、ご承知のとおりである。

 県政におけるリーマンショックの意味は、人口減少や財政状況の悪化は実はウソではないか、本当だったとしてもすぐによくなるだろうという根拠のない期待を打ち砕いたことにある。そして、好むと好まざるとに関わらず、右肩下がりの時代になったという現実を受け入れざるを得ないことをほとんどの人たちが悟ったのである。ほぼ同時に職員も教員も警察官も、そして、県議会議員も給与のカットも始まることになり、アタマで理解していた現実を肌で感じるようになったこともこれに拍車をかけた。

 ここに至り、ついに地域への利益誘導という、かつての議員の役割は方向転換をせざるをえないことになったと思う。現実に、かつての県議会で頻繁に見られていたインフラ整備の重要性を訴えるような内容の質問は劇的に減ったように思う。きちんと統計を取ったことはないが、長年、議会の質問を見てきた感覚から言うと、県土整備部、都市建築部関係の質疑が大きく減少しているように思える。大型のインフラ整備やプロジェクトをめぐって、大きな議論になることも見られなくなった。カネがないのだから当然のことだ。実は、このことは県のみの事象ではない。実は国においても、市町村においても、多かれ少なかれ同じことが起こっているのだと私は思う。

 いつも言うのだが、右肩上がりの時代は、今年よりも来年、来年よりも再来年の方が税収が増えることが前提になっている。だから、今年と同じことを維持しつつ、上乗せされた税収をどう配分するかが、つまり「利益配分」が行政や政治のテーマになる。しかし、右肩下がりの時代は、今年やっていたことから必ず何かを減らしていかないといけない。つまり「不利益の配分」がテーマにならざるを得ないのである。

 こうなると、地域への利益誘導ではなく、どうやって配分される不利益の説明をするかがテーマになってくる。増えるカネをどう使うかではなくて、減るカネをどう有効に使うかが問題になる。昨今、話題の減税論議も、こうしてみると、減税によって財政の総枠を強制的に抑制することで不利益配分を行政内部に集中させると同時に、自然減以上に行政内部に配分される不利益相当分を市民に還元しようとしている手法であって、基本的に時代の流れに沿っていることがわかる。

 では、今後、議会、行政に求められるのは何なのか。一言で言えば、「知恵の創造」である。今、私たちは日々いかにカネを使わず、世の中に貢献できるのかを毎日テーマに仕事をしている。行政の強み-例えば世の中に対する影響力や情報発信力、制度を動かせることなど-を生かすことで仕事をしようということである。19年度に「ゼロ予算」という手法を提起した時には庁内外の批判にさらされ、翌年度にはその言葉を封じられたが、今や「ゼロ予算」的手法は普通になっている。それどころか、ここ数年、それを徹底して繰り返しているうちに、カネを使わなくても仕事はできる、喜んでもらえるということが少しずつではあるが、庁内に浸透し始めている。これが「知恵」である。

 行政マンの立場から言えば、議会は知恵を戦わせ、知恵を高める場でありたい。少なくとも、議員の地域への密着度は、行政職員をはるかに上回るものがある。様々な立場の人たちの、様々な問題を肌で知りうる立場にいるはずである。そこで、こうしたらカネを使わずに、あるいはわずかなカネで喜んでもらえる方法があるのではないか、そんな提案がなされ、議論が交わされるような場であってほしいと思うのである。

 誰かがこう言っているよと伝えるだけなら誰でもできる。案を考えるのは行政職員の仕事だと言うのも簡単な話である。しかし、自ら提案をするのは大変なことだ。制度を調べ、仕組みを考え、人を動かす方法を考えるのは並大抵なことではない。それが議会の場で活発に行われるようになれば、すごいことだし、行政そのものも変わっていくと思う。

 次の任期、11年度からの4年間が、県議会と県政にとっての大きな第一歩が踏み出された時であったと、後から振り返ることができるといい。

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