部下を生かす上司の心構え~新任係長級研修で行った講義から(2014.12.6のFBノート)

私も自分の組織を持ち、部下という職員を持つようになって8年になりますが、組織の運営について考えない日はありません。私は3年前から県職員研修所の特任講師を拝命し、新任課長補佐級研修などで現場の部下指導論の講義を持たせてもらっているのですが、たまたま、先日、ある会合の際に、組織マネジメント論になり、講義の際の内容を話す機会がありました。この際、ここにノートでまとめてご紹介したいと思います。

この研修で話したのは、全部で6つの「部下を生かすための上司の心構え」です。特に、一番最前線である係長級(民間企業では課長に相当すると思います)の仕事を想定してまとめたものですが、当然、どの職位にも適用できるものだと思います。

この講義には前段があり、組織運営のためには、職員それぞれの強みを見つけ、伸ばし、組み合わせることがマネジメントであるということを話した後、後段として、この話をしました。

私は若い頃は、誰でも努力すれば同じ水準になる、一定の水準にならないのは本人の努力が足らないからだと思っていました。それがゆえに、後輩をよく怒鳴ったり、叱りつけたりしていたことがあります。しかし、次男に自閉症と重度の知的障がいがあることがわかり、ほかの子とは同じことができない我が子に向かい合っている間に、人にはその人なりの強み、弱みがあって、周囲が、本人のいいところ、強いところを見つけ出し、生かしていくことがか大事だと思うようになり、その頃から、部下や後輩に対する考えが変わってきました。そんなことを経て、まとめたものです。

とはいっても、もちろん、この全部を私自身が完璧に実践できているわけではありません。ただ、私が自分で考え、普段から何とか実践しようと日々苦闘しているものです。9千字ほどある長大な文で、読んでいただくだけでも大変ですが、何かの参考になれば幸いです。


1 部下の強みを見ようと日々努力すること

人の強みというのは見ようと思わないと見えないというのが私の持論です。まずは毎日毎日じっくり観察する、観察し続けることが極めて大事です。しかし、ただ漫然と観察しているだけでは自分の中に強みは入ってきません。強みを見ようと思わないとダメなんですね。

今の自分の組織でもそうですが、きちっと制度や仕組みを調べ、積み上げていくことが得意な人もいれば、人前で話をさせるととんでもなく説得力のある話をする職員もいます。企画することはからっきしダメでも、細かい事務的な詰めがとってもすごい人もいます。

それに気がつくのは、自分がはじめにその職員に対して持った「先入観」が壊されたときです。

人は必ず先入観を持ちます。風体や話し方、振る舞い、過去の経歴などから、たぶんこんな人なんだろうという印象を持ちます。これはある意味で仕方のないことです。ただ、それをそのまま維持してしまっては絶対にダメです。先入観はいわば「仮説」です。普段の様子を見ていて、仮説が正しいかどうかを検証するんです。

私のところに、割と静かな、おとなしい、きっちりタイプの職員がいました。先入観では、おそらく会計や文書のチェックなどの事務に向いていて、渉外的な仕事は向いていないような気がします。でも、その彼が、外の機関にアポを取らせると、要を得た説明をし、快活に話をして、相手の信頼を得たりするわけです。

こういう場面を見ると、「先入観」が壊されます。それが「部下の強みを見た」ことになるんだと私は思います。でも、これは先入観との突合があって初めてわかることで、見ようと思って努力したからこそアタマに残ることなんですね。

そのために、私は、自分自身に対して、毎日毎日「こいつのいいところはどこだろう」と思い続けることを課しています。これを4年ほど前に、小学校の時の担任の先生に教わりました。

小学校6年生の時の担任の先生が歳を取ってきたからと、下呂温泉で泊まりの同窓会をやったときのことです。深夜に呑んでいたら、先生が私たち一人ひとりに「あなたはこういうことがすばらしかった。あなたのあれはすごかった。」と生き生きと語るんです。私たちが担任してもらったのは30年以上前のことです。それをあまりに克明に話されるので、驚いて、先生にどうしてそんなことまで覚えてるんですかと聞いたら、先生はこう言いました。

「教師の時に自分に課していたことがある。毎晩夜寝る前に、自分のクラスの子どものことを一人ひとり思い浮かべ、今日はこの子はこういういいことがあったということを思い出すようにしていた。でも何人かどうしても思い出せない子がいると、教師としてまだまだだと思って、もっとちゃんと見ないとと思って過ごしてきた。」

感動しました。そんな努力をこの先生はしていたんだ、自分たちもそうやって育ててもらったんだと思って、胸が熱くなりました。そして、自分もこれをできるだけ職場でやろうと思って、毎日過ごしています。30年も経ってから教えてもらいました。恩師はありがたいものです。

2 事もなげにやってしまう仕事を見逃さないこと

ほかにも強みが見つかることがあります。何か仕事を頼み、自分の想定を上回るスピードや精度で仕事が仕上がってきた時です。

この場合、基準になっているのは「先入観」ではなく、自分自身のレベル感です。自分だったら、この書類を作るのにこのくらい時間がかかるだろう、という感覚は誰もが持っています。多かれ少なかれ、人を見る際に、自分の能力を基準にしてしまうのは仕方のないことだと思います。逆にそれを基準にしてしまうわけです。

以前にこんなことがありました。私は議会の答弁や資料を作ってもらうときに、ある程度まで自分で考えてもらい、どうしても時間がかかってデッドラインを超えそうになった時に、「じゃあ、今から考えを言うので、この線でまとめて」と言うことがよくあります。ほとんどの職員は、ノートを持ってきてメモを取ります。

しかし、ある職員にそう言ったら、メモも取らず、はいはいと言って私の言うことを聞いているんです。大丈夫かなと思ったのですが、約1時間後、出てきたものを見て驚きました。その通りの内容が見事に起こされているんです。

それを見て思いました。この子は、私の話をくそ暗記したのではなく、自分の中に取り入れて、自分のストーリーに落とし込んだのです。だから、短時間に完璧なペーパーに仕上げてこられたんです。人の話を聞いて、あっという間に輪郭をつかみ、組み立て直せるんです。これは大変な才能だと思いました。

他にも、何食わぬ顔で、あっという間にイベントのロジをつくりあげたり、とんでもなく精緻な段取りを仕上げたりする人もいます。こんなことは私にはできないと脱帽するような仕事をするんです。

こういう何食わぬ顔でやってしまう仕事というのは、たいていの場合、その人の強みが発揮されていると思います。これを絶対に見逃さないことです。そのためには、自分自身にある仮定のスケールを持って、それと照らし合わせるという作業を常にしていることが大事だと思います。

3 各自の強みを生かせる仕事を割り振ること

強みが見つかったとき、上司のすべきことは、強みに合わせた適切な事務を与えることです。公務員の場合、4月に異動することが多いわけですが、その時点で、「事務分掌」という仕事の役割分担が決まっています。しかし、これを考えるのは、3月の人事異動の後です。しかも、それを考えるのは、前の人たちで、新しくその所属にやってくる人がどういう人か知らないことがほとんどです。

その人がどういう人物で、何が強みかと言った情報はほとんど与えられないまま、仕事の分担を考えますから、これまで歩んできた所属などのイメージから判断して決めていくしかなく、結局のところ、「当てずっぽう」になってしまいます。

でも、人の強みは上でも書いたように、見ようとしないと見えないものです。なので、例えば、きっちりした数字を追う仕事が得意だと思って、そういう仕事を割り振ったら、逆で渉外的な仕事がむいていたと言ったことが起こるわけです。

私は、係長、課長補佐時代から、必要だと思えば、事務分掌は月単位でも変えるべきであると言う考えで、実際にそうしてきました。よりよいと思った仕事を割り振り、パフォーマンスが上がるのなら、みんながハッピーになると思うからです。

数年前の新任係長級研修でこの話をしたら、「それをやったら、イヤな仕事を押しつけられて苦労する人がでるのではありませんか」という質問が出たことがあります。なるほど、そういう見方もあるのかと思いましたが、実際にはそういうことにはならないものです。

なぜかというと、組織というのは複数の人がいて、性格も考え方も異なる人が集まっているものです。組織の中で強みを生かすということは、比較の中でより強みのある人を起用し、その組み合わせで組織を運営していくということだからです。

誰がやってもイヤだと思うだろうなという仕事があったとします。私はこんな仕事したくないという特定の部下の意見だけを通し、他の誰かに押しつけるということではなくて、今の組織にいるスタッフの中で、最もイヤと思う度合いの少ない、あるいは少しでもつらいと思わずにできる人は誰かを考え抜き、比較して最も少ないエネルギー=高いパフォーマンスを出せる人を割り振るということなんです。強みを生かせる仕事=やりたい仕事であることばかりではないわけで、その中で、最も力を発揮できるようにするということなわけです。

これを前向きに考えてみると、例えば、新しい事業を企画するのがニガテな職員がいたとして、それは別の職員が潜在的に秘めている企画能力を発揮できるチャンスかもしれないとも考えられるわけです。私の尊敬する友人である楽天大学学長の仲山進也さんが、「誰かの凸はほかの誰かの凹を活かすためにある」と言いますが、まさしくそういう見方をすることが大事ではないかと思うんですね。


それでも、どうしてもある分野の仕事が合わない、逆に言えば、他の分野の仕事の方が明らかに得意で強みがあり、能力を発揮できるということもあります。県庁の場合、企業と異なって、仕事のバラエティの多さが特徴ですから、ある分野がニガテでも、別に能力を発揮できる分野、仕事があるものです。

ですから、今の所属よりも他に能力が発揮できるところがあれば、所属を変えてやることも大事なことです。そこまでの権限がない係長であっても、所属長に対して、適切な所属への異動を進言することは大いにやるべきことです。実際に、私は係長時代もよくそういうことを言いました。もちろん、今も言います。

その時に、仕事ができないからうちから外へ出すんだという単細胞な考え方は絶対にとってはいけません。その人にとって、よりよい仕事をしてもらうことで、本人も組織もハッピーになることを考えるんです。

中日GMの落合が監督の時、鉄平を楽天に放出したことがありました。その後、鉄平は首位打者をとり、中日もバカなことをしたものだと言われたのですが、当時、楽天でヘッドコーチをしていた橋上秀樹の本を読んだら、落合から連絡があり、鉄平のポジションは、いまのうちではレギュラーで一杯で使えないが、高い能力を持っているから、ポジションが空いている楽天なら必ず本人が活躍できると言って推薦してきたのだというようなエピソードが書いてありました。さすが名将落合です。

要はこういうことなんです。その職員が最も強みを発揮して、活躍できる仕事を考え抜いて割り当て、それでも無理があれば、他の所属に活躍できる新天地を探してやること。これが上司のやるべきことなんだと思います。

4 ねぎらい、評価すること

組織のパフォーマンスが上がるときというのは、個々の職員のパフォーマンスが上がるときです。だから、同じエネルギーをかけた場合に、より力を発揮できるようにすることが大事なわけです。

強みを見つけて、強みを伸ばす仕事を与えるというのが、そのひとつの手段ですが、これはクルマに例えれば、車体にあった、あるいは用途にあったエンジンを用意したということになります。しかし、エンジンはガソリンがないと動きません。しかも、ガソリンは、入れ続けてやらないと動きません。

仕事をする際の「ガソリン」に相当するのが「モチベーション」です。これも仲山進也さんが言うことですが、モチベーションの正体は「自己重要感」です。つまり、お前の存在は大事なんだ、お前の仕事は役に立ってるんだ、お前のおかげで仕事が進んでいて、助かってるんだということです。

同じく私の私淑する小阪裕司さんという方が、著書の中で、「魂のごちそう」ということをおっしゃっています。自分の仕事、存在が世の中のためになったということを伝えられることが、自分の心の最大の「快」になるんだということです。小阪さんは「自分の成し遂げたことが誰かのためになり、そのことに対して与えられたフィードバック」と書いておられ、これが人の心にスイッチを入れ、人間の持っている根源的な力を発動させるんだと言われるのです。これがいわゆるモチベーションであり、自分の心がその快楽を求めるんですね。

そして、モチベーションは、自己重要感を感じさせるメッセージがきちんと、言葉で本人に伝えられた時にはじめて生まれるんだと私は考えています。


メッセージを発する方法は、「ほめる」ことです。小阪さんは「ねぎらう」という言葉の方がもっと正確だといいますが、いずれにしても、別にワーワーと褒め称えるというのではなく、やったことをしっかりと評価するということだと私は思っています。

自分自身のこれまでの人生を振り返ってみても、仕事にしても、何にしても原動力になってきたのは、「ほめられる」「評価される」ということであったように思います。ほめられたり、評価されたりすることはうれしいものです。一旦、その楽しみを感じると、また、うれしい思いをしたいと思うようになります。だから、また頑張ろうと思うんですね。

私が仕えた上司の中で、梶原前知事は上手に人をほめる人でした。普段は、それは厳しい人で、どれだけ叱られたかわかりませんし、面と向かってほめられたこともありません。でも、外の人に「うちの秘書はよくやる」とか言ってくれるわけです。そうすると、それが伝わってきます。直接自分に言われたよりも、うれしいもので、叱られていることなどどこかに吹っ飛んで、自分も役に立ってるんだ、評価されてるんだ、もっと頑張ろうと思ったものでした。ほめられたことが、自分の快になり、エネルギーになって、エンジンを動かしていたように思います。

きちんと評価し、ほめるということは、私なりに心がけてやっています。例えば、書類が回ってきて、よくできてるなあと思ったときには、「これよくできてるなあ」と口に出して、みんなの前で言うようにしています。別に難しいことではなく、思ったことをそのまま言えばいいわけです。

努力を評価するときもあります。例えば、自分がほとんど全てを指示し、その通りにできてきたというときがあったとします。この時に、「こんなもん、オレが言ったままだ」と思うのか、「オレは口で言っただけで、実際に苦労して資料に仕上げたのはこいつだ」と思うかによって、出てくる言葉は異なります。

やっぱりやってもらってるんです。決して自分だけでやってるのではないんです。だったら、「よくやってくれた」とか「よくまとまってよかったなあ」と言うべきなんです。できるだけ、部下の職員の努力を認める方向で考えることによって、言葉は変わります。

さらに、もう一工夫することもあります。例えば、先ほどのように書類がよくできてるなと思った際に、課内の職員が出張していたり、席を外していたりして、人が少ないときがあります。こういうときは、なるべく多くの人が来るまで待って、人が多くなってから、少し大きめの声で、「おお、これよくできとるなあ」などというようにしています。

部長とか知事・副知事に説明するときも同じです。自分で考えて、指示したわけでなく、担当者が自分でつくりあげて、出してきてくれた案やデータ、分析、資料などを使うことはよくあります。それを説明した際に、部長などから「これよくできてるね」と言われることがあります。その瞬間、どう言おうか逡巡します。何も言わなければ、自分の手柄になってしまうし、人間誰しもそうしたいからです。

でも、その際に、「うちの○○くんが作ってくれたんです」「やったのはうちの○○です」と言おうとすれば、必ず部下の成長につながります。そこできちんと部下の手柄にしてやることが上司の大事な役割だと思うんです。それに、そのようにキチンと言うと自分自身の気分もいいんですね。

それで、どう思ってくれているかはわかりませんが、少しでもモチベーションが上がるほめ方、ねぎらい方、対応の仕方が大事だと思うからです。

一方で、「ほめることが大事だ」というと、「ほめてばかりでは甘やかすことになって、努力をしなくなる」という人がいます。しかし、ほめることと甘やかすことは全く次元が違います。

仕事の中身は絶対妥協せず、よりよいものになるまで徹底して練り直し、やり直していくべきです。しかし、それで、ひとつの形ができあがり、満足ができるものになったのなら、その時は「よくできたなあ」「いいものになったなあ」というべきなんです。これが「ほめる」ということだと私は思います。

私もよく「自分のモットーは「手抜きせず、妥協せず」なので覚悟しておいてね」などということがありますが、「厳しく高みを目指しつつ、その人なりの水準に達した時はその努力を率直に認めること」。これがほめるということのように思いますね。

ただ、ほめるということは、自分の心からある気持ちを取り除かないとできないことです。それは「部下と競う気持ち」です。次はそのことに触れます。

5 部下と競わないこと

何食わぬ顔で自分の能力をはるかに上回る仕事を目の前で見せつけられたとき、人はどう思うでしょうか。これは人によって大きく異なるでしょうが、大きく言って二つのタイプに分かれます。一つは、「すごいねえ」と賞賛するタイプです。もう一つは、「そんなこと俺にもできる」と思ってしまうタイプです。

自分が部下職員を持った時、絶対に捨てないといけないのは「そんなこと俺でもできる」と思ってしまうマインドです。これを私は「部下と競う気持ち」と言っています。

この気持ちがあると、強みを見出そうとする目が曇り、きちんと評価ができなくなります。そして、何より、いいことをやっても評価されなくなるので、部下のモチベーションが下がります。

私の経験上、国から地方に来ている人などはこういう系統の人が多いですね。国からやってくる職員は、若い年齢でやってくることが多いのですが、実際には、本人自身が、地方自治体の職員よりも経験が不足していることを知っているのです。でも、課長だとか、部長だとか、責任あるポストに着任すると、誰しも「バカにされてはいけない」と思います。そうすると、唯一の存在意義は、「自治体の職員よりも優秀であること」なので、それを頼みに仕事をしていくことになります。つまり、はじめから、自分の方があらゆる面で優位に立っていると思うことが支えになっているんですね。

そうすると、仮に自分の組織にいる職員の仕事がすごいと思っても、それを認めてしまうと自分の存在が不確かになります。だから、認めたくなくなり、ちょっとけなしてみたくなるんですね。

これが端的に出る言葉が「そんなこと知ってるよ」です。国からの出向者に限らず、組織の中でもこういう言葉を言う人は結構たくさんいます。これは「部下と競っている」んですね。私は、この類の言葉を発する人は、自分の能力に不安を持ち、焦っているんだなあと思ってみています。

上司と部下の関係の中においては、なにも競う必要は全くありません。いい仕事をしてくれれば、組織としてパフォーマンスが上がるから本当はそれでいいはずなのですが、自分の能力が劣っていることを認めたくないという気持ちがじゃまをしてしまうことがよくあるんです。

もっと言うと、自分の方が職位が上なんだとか、できるんだとか、思っているときは、「自己愛」が露出しているときです。自分自身がかわいくて、つい人をけなしてしまうんです。でも、これをやってると、部下職員は何をやっても評価されることはないことになってしまいます。絶対に避けるべきことだと思います。

6 ポストに守られる意識を捨て、自分自身がとにかく勉強すること

組織を運営する際に、大事なのは仕上がりのイメージを持つことです。農林商工系、医療福祉系、環境生活系、スポーツ文化系などの業務の多くは、研修やセミナーのような人材育成系の施策、補助金や助成金などの給付型の施策、人と人とをつなぐ交流系の施策などで成り立っていますが、その企画をしようと思うと、とにかく勉強して、どのように事業を進めていけばいいのかについて、自分なりの答えを持たなければなりません。

ある程度ルーティンワーク的なものであっても、ある一定期間にどのように仕事をさばいていくのかについてのイメージが必要です。これを自分自身でしっかり持つのが上司の役割だと思います。

ところが、管理的なポストに就いた途端、自分が考えなくても、部下やスタッフが答えは持ってきてくれると安心してしまい、早く出せとケツをたたいてさえいればいいと思っている人がいます。上司という立場が恐ろしいのは、それで通っていってしまうことなんですね。つまり、ポストに守られてしまうんです。そして、こういう人に限って、ある仕事がうまくいかなくなると、「うちの担当がちっともいい案を考えないもんで」というような言い訳をするのです。

1年ほど前のことですが、ある課長さんが、会議の相談で私のところに来ました。いい案がないというので、いろいろとアイディアを出したら、「うちの担当はちっとも案を出してこんのやて」というので、私は「だったら自分で考えて、指示すりゃいいじゃないですか」と言いました。ぎくっとしてさらに言い訳をされていましたが、要は自分の考えはまるでないわけです。

これがポストに守られるという典型的なケースです。表面的に聞いていると、自分は考えを持っているんだけれども、ろくな部下がいないから仕事が進んでいないのだということになってしまいます。でも、その課長が自分で努力し、勉強し、答えを出せばいいわけで、期限が間に合わなくなったら、じゃあこれでやれと自分の案を指示すればいいんです。

とにかく上のポストになればなるほど、勉強しないといけないんですね。本を読み、ネットなどで情報を調べ尽くし、そして、現場へ自ら足を運んで、事業の全体像をつくるのです。定型的な業務でも、自分が最も詳しくなれるように、徹底的に勉強していくわけです。

確かに、若い頃ほど手を動かして作業するということはなくなってきます。職掌も広くなりますから、一つ一つ同じことができなくなるのは道理です。でも、それは何もしなくてよくなるということではなくて、今まで以上に勉強しなくてはならなくなるということです。

もちろん、考えても、勉強しても、答えが出ないこともあります。その時は、部下の案を採用するか、おとなしく一緒に考えることです。自分の身の程を知って、できないのなら、部下に全部任せる、そして一緒に苦悶し、最後まで最善を尽くし、その結果は責任を持って引き受けていく覚悟が必要だと思います。

かく言う私自身も、仕事で答えが見つけられず、苦悶し、逃げ出したくなるときがあります。ここで、担当の職員に「考えるのがお前の仕事だ」といって投げてしまえればどんなに楽だろうという悪魔のささやきが頭をよぎることもあります。あるいは、何だかんだ言って引き延ばし、異動で他の職場に行けばチャラになると思うこともないではありません。しかし、そのたびに、「これを言っては、これをやっては人間としておしまいだ」と自分に言い聞かせて、また苦悶を繰り返しています。

一方、自分の意見、考えがしっかり組み立てられ、答えが作れている場合は、どうすればいいのでしょうか。私は、やはり一度任せるべきであると思います。全部指示してしまっては、部下職員はただの機械になってしまいます。人が育たないのです。

相手を見て、どの程度まで具体的に指示するかを考え、自分で考えることが得手な人にはアウトラインを、苦手な人には、具体的な企画のヒントを与えて、しばらく待ちます。そして、期限を見ながら待ち、答えが満足行かなければ再度考えてもらい、期限と作業量を見極めて、これ以上は無理というタイミングで、一気に具体的な指示を出して間に合わせるということが大事だと思います。

我々は給料をもらって仕事をしているプロです。楽な仕事もないし、逃げるところもありません。苦しくなったら、勉強するか、とにかく外へ出て、人に会い、現場を見て、自分自身でヒントをつかむ以外にありません。たぬまぬ勉強と精進、ポストが上位になればなるほど、その厳しさが必要になると思います。(おわり)

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