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コロナ禍のリスクコミュニケーション

新型コロナ第四波の感染拡大が顕著になってきた頃から、飛騨市の相談窓口への相談内容が少し変わってきています。これらはホームページでも公開していますが、ストレスが高まっていることがわかるものが増えてきました。

この大型連休後も、県外の方に移動自粛メッセージを出してほしいという内容の問い合わせが入りました。その文中にはこんな記載があります。

「このGWは数多くの県外ナンバーの車を見かけ、緊急事態宣言はあってないようなものとなっています。こちらは自粛を求められて日々生活しているのに、県外からは無関係のようにやってくる。これでは、自粛している側としては不公平を感じずにはいられません。」

「本当に感染を防止したいのであれば、県外の方へも同じように自粛メッセージを発信していただきたいと思います。それができないのであれば、市内への人々への自粛も意味がないし、自粛している側からすれば不公平でしかなく、自粛の要請もやめてほしいと思います。」

県外からの来訪者についての飛騨市の考え方

飛騨市は、これまで県外からの来訪者へのメッセージは出していません。これは、新型コロナの性質から考えて、感染拡大地域からの旅行者が来ても、これらの方々と無防備に飲食したりしない限り、見かけた、すれ違った程度で感染するリスクは低いと考えられるからです。

実際に、この連休中の例を見ても、友人や家族でのバーベキューや飲食が主な原因となっており、旅館・ホテル等でも、旅行自体で感染が拡大した例はほとんど見られていません。

したがって、これは自分自身の問題であり、外からの来訪者を無闇に怖がるのではなく、自分自身が感染のリスクのある行動を取らないことが重要であるというスタンスを取っています。

しかし、ここに書かれている市民の方の声は、偽らざるお気持ちだと思います。「不公平である」と指摘されているように、割り切れない感情に基づくものであり、私自身も理解できます。

合理的な説明の必要性

新型コロナの感染拡大以降、社会経済活動は大きな制約を受けてきました。それは生活者レベルで見ると、理不尽なものであると感じられることは事実です。

昨年の春頃、私は県の対策本部員会議で毎回のように要請の根拠を示すよう求めていました。当時、飛騨では全く感染者が出ていなかったにもかかわらず、休業要請や外出自粛要請があり、割り切れなさが広がっていたからです。

その時の県の説明は、「感染リスクは県内どこも同じだから」あるいは「オール岐阜で対策を取ることが重要だから」でした。私は納得ができず、「そうであれば、もし飛騨市内でクラスターが発生したら、岐阜市内で感染者が出ていなくても、岐阜市内の飲食店に全て休業要請をかけると約束してもらえますか。」と言ったことがあります。

県が示した対策を合理的に納得できる理由がほしいと思ったのです。不公平感に代表されるような割り切れなさを解消するためには合理的な説明が不可欠なのです。

明確な説明不足から生まれる不公平感

それから1年余。明確な理由が示されたかと言えば、決してそうではありません。特に変異株による第四波が拡大してからは、政府もエビデンスの有無に関わらず、つぶせる可能性はつぶすという動きとなっており、余計にわかりにくくなってきました。

例えば、飲食店や公共施設の時短の要請です。先日も県の方針に従って、公共施設の開館時間を21時から20時にした際、市民の方から、「1時間開館時間を繰り上げたら感染しないのか」と尋ねられました。実際に、20時にしたから感染リスクが変わるということはありません。

飲食店の時短要請でもそうです。19時で酒を止め、あるいは酒の提供を止め、店を短時間で閉めれば感染しないのかと言えば、そんなことはありません。16時から大いに飲んでしゃべっていれば同じことです。

誰もがこう思うから、割り切れない気持ちを持っているのです。それにもかかわらず、我慢して、自らが望む行動を制限しているわけです。

一方で、自分自身はかからないだろうという正常性バイアスのようなものが働きます。このために、自分が我慢している行動は世の中にコロナを蔓延させないためにやっているのだと考えるようになります。これは自分自身を納得させるためといってもいいと思います。

そうすると、本来は自分が感染しないように我慢しているはずなのですが、自分は世の中のために我慢しているんだという考えに変わっていきます。

だからこそ、要請を守っていない人を見た時に、「不公平だ」という気持ちが生まれるわけです。

尾身茂政府分科会会長の発言

先日、今月号の文藝春秋を読んでいたら、新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂先生のインタビューが掲載されていました。

そこで尾身先生は、感染の場が見えなくなっていることや、職場や学校、高齢者施設等でのクラスターが増え、的を絞った対策が難しくなっていること、要請に応じない方が増えている事を挙げた上で、「こうなると、感染を減らす対策としては、人と人との接触を思い切って減らすことしかない。」とされています。

そして、「今回、政府は百貨店や映画館など、かなり広く休業要請を打ち出しました。これらの場所ではあまりクラスターは発生しておらず、「なぜ休業しなければならない?」という反発の声も耳にします。その気持ちは私にもよくわかります。それでもこの厳しい対策が求められるのは、人が集まりやすい場所を閉めることを通じて、ステイホームに協力してもらいやすい環境づくりをするためです。」と話されています。

決して合理的な説明ではありません。しかし、尾身先生は、それを分かった上で、国民に納得してもらうために言葉を尽くそうとしておられることがよくわかります。

今求められるリスクコミュニケーション

今、新型コロナの対策方針を決めている立場にある国などに求められるのは、こうした説明であると思います。まさしくリスクコミュニケーションです。

不要不急の外出や県を跨ぐ移動を自粛する効果はどのように生まれるのか、まん延防止等重点措置地域や緊急事態宣言の対象となっている都道府県に行くのを控えると、どういうメカニズムでどういう効果があるのか。これが理解されれば、不公平感や割り切れなさは多少なりとも和らぎます。

十分な因果関係が説明できなくても、この対策にかけるしかないんだという率直な言葉があれば、人の気は収まります。その積み重ねが大事なんだと思います。危機管理時に必要なのはこういうことです。

新型コロナ対策は、初期段階からの感染防止の呼びかけから、次に厳しい行動制限、さらにそれによる社会経済的な影響の軽減や補償、経済活動と感染対策の両立と続いてきましたが、変異株の出現で、振り出しに戻りました。今また改めて説明が求められるフェーズに入っています。

しかも、一年前とは経験値が違います。この一年の経験をしている現在だからこそ、誰もがなるほどと思える説明が求められていると思います。

感染対策の方針を決める立場にある方々には、わかりやすい率直な説明を期待したいと思いますし、我々飛騨市もできる限り、納得していただける説明ができるよう、自分たちなりに考えていきたいと思っています。

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