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11回目のフルマラソン

趣味を取り上げられて

2020年。1回目の緊急事態宣言を告げる当時の安倍首相の記者会見を見ながら、自分の趣味がもうできなくなるのではないかという寂しさを感じていた。私は基本的に三日坊主なので、長続きしない。そんな中、趣味と呼べるものの中で長続きしていたのが「フルマラソンへの挑戦」だった。2012年の東京マラソンを皮切りに、10回全て完走した。ただ、2019年11月17日の「神戸マラソン2019」で、それまでずっと守っていた4時間30分以内のゴールができなかった。このままでは終われないと思っていた矢先に、コロナ禍が始まってしまった。いつか再開したいと思いながら、ひたすらコロナ禍の収束を待つしかなかった。

コロナ禍が収束の方向が少し見え始めた2020年夏に大会への参加を模索した。再開するなら、東京か大阪と決めていた。コロナ禍が完全に収まっていない状況で、確実に開催できるとしたら東京と大阪しかないと考えた。両大会にエントリーし、大阪から吉報が届いた。

事前準備

大阪マラソンは過去1回(2018年)走っているが、その時と現在のコースは異なる。当選し参加料を支払った後に改めてコース図を見て、頭を抱えた。

現在のコースはスタートとゴールを大阪城公園にしたことにより、コース全体がコンパクトになった代わりに、折り返し点が5か所設けられた。それ以上に気がかりだったのが、25kmから30kmにかけての上り坂だった。千日前通の谷町九丁目から近鉄上本町駅に向かって、高低差約20mを一気に駆け上がる。フルマラソンではよく「30kmの壁」と言われるように、(人によって多少の差異はあるが)30kmまでに何かしらの異変が発生しやすい。30kmを手前に壁のような坂を上るためには、それまでのペース配分をきちんとコントロールしないと乗り切れない。以前出張で上本町に泊まったことがあり、坂がきついことは経験していた。あの坂を上るのか、と思うと先が思いやられた。

そこで、練習コースを変えた。私はこれまでマラソン練習をつくばの学園東大通り・学園西大通りの周回をメインにしていたが、大会が近づいてきたタイミングで、つくばの中心部を貫く「つくば公園通り」というペデストリアンデッキで練習するようにした。ペデストリアンデッキなので平面交差がほとんどなくペースを保ちやすいことに加え、細かなアップダウンがあるので坂の対策を兼ねた。

私は普段早朝に練習する。4時半に起きて、5時前から走るようにしていた。こんな時間に走っている人はそうはいないので、感染対策という意味合いもあった。ただ、何より悩ましかったのが「寒さ」だった。つくばに住み始めて15年になるが、こんなに寒かったのは数えるほどでは?という寒さ。なかなか起きられなかったし、仮に走ったとしても、けがをしてしまうリスクもある。そこで、息子が習い事をしている時間帯に練習を切り替えた。

当日

大阪環状線の森ノ宮駅に着いた瞬間、これはまずいと思った。想定よりも寒かったのだ。慌てて駅構内のコンビニに駆け込んで、フリース生地のネックウォーマーを買った。売り切れてなくてよかった。

私はゴール予想時刻を5時間と申告したので、第3ウェーブでスタートすることになった。エリートランナーがスタートしてから30分後の9時45分にスタートした。大阪マラソンはスタートからしばらく下り坂になる。最初はキロ6分30秒近辺になるように、そろりそろりと走った。(実際は6分28秒だった)。

大阪マラソンの目玉の一つ、御堂筋。普段御堂筋は車がキタからミナミに向かって走るが、以前のコースはミナミからキタへ走った。コブクロの「42.195km」で「夢の御堂筋逆走~」と歌っているのはこのため。現在のコースは逆走部分がごくわずかになってしまい、この写真のエリアだけ。

造幣局を過ぎ、大阪市役所を右手に見ながら走ると、人もばらけてくるため、スピードが出やすくなる。調子乗ってるな、と思ったらGPSウォッチでペースを見てスピードを落とす、を繰り返しながら走っていた。

改源の看板がLEDになったところに、時代の流れを感じるなぁ。

15kmを通過した時のタイムが1時間35分。これならいけるかもしれない、と思い始めたのはこの頃だった。足が止まるような要素は見当たらないし、風が強いので暑くなりそうもない。水をちゃんと飲めば脱水症状にはならなさそう。ここから徐々にスピードを上げていった。

なにわ筋を岸里で折り返し、南海汐見橋線を見られる幸運を味わいながら中間点を通過。難波を過ぎ、国立文楽劇場をちらりと見ながら下寺町を右折、折り返して再び下寺町に戻ってきた時に、坂が現れた。足には余裕があった。近鉄上本町駅手前で上りきり、後ろを振り返った。思わずガッツポーズしていた。

実は、目標とするゴールタイムをはっきりと決めていなかった。会社の上司にレース翌日の有給休暇を申し出た時に、会話の流れで上司から「目標タイムは?」と聞かれ「4時間半が切れればいいんですけどね」と言ったぐらい。坂対策に気を取られ、そこまで考える余裕がなかった。

30km地点のタイムが3時間9分。足が攣るような傾向はなかった。ペースを落とさなければ、4時間半が間に合うかもしれないとは認識したが、できるかどうか半信半疑だった。とにかく、気持ちを切らさないことだけを考えながら走るようになる。

35kmを過ぎ今里筋を走る頃から、徐々に足が重くなっていった。GPSウオッチを見ながら、ペースを確認する。まだいけると思いながら走る。それをひたすら繰り返した。今里筋は単調、と大阪マラソン常連の人から聞いていたが、まっすぐの道で練習していたので気にならなかったし、電車や伊丹空港に着陸態勢に入っている飛行機は頻繁にみられるし、飽きなかった。

大阪ビジネスパークを横目に見ながら、アンダーパスをくぐって訪れた「あと1km」の表示。GPSウオッチを見た。あと8分以内で走ればいい。4時間半を切れると確信した瞬間だった。涙がぽろぽろこぼれていた。

大阪マラソンが公表した大会運営結果によると、完走率は95.3%だったという。走っていて、低体温症になったと思われるランナーを何名か見かけた。ところどころ小雨がぱらつき、時折帽子が飛ぶほどの強風。気温がなかなか上がらなかった状況に加え、私は給食を食べられなかった。給食は何か所かあったのだが、どのテーブルも空。あったのは40km近くの1か所だけ。タイムを優先してあきらめた。私はゼリー飲料を2つ携帯していたので事なきを得たが、備えなしで走ったランナーにとっては厳しかったかもしれない。完走できたのは幸運でしかなかった。

私は、これまで参加したフルマラソンに関する記録をExcelで残している。上の表は、その一部を切り抜いたもの。過去最悪だった「神戸マラソン2019」と比較してみると、タイムコントロールの大切さを改めて痛感した。今大会の記録は過去2番目に悪いタイムだったのだが、タイムコントロールという観点ではベストだったと言い切れる。これからフルマラソン挑戦を続けていくのにとても示唆に富んだ結果だったと思う。
※大阪マラソンの記録はオプテージ社が提供する「ランナーズ・アイ」を元にしていますが、10kmと中間点のタイムはGPSウオッチのログを元に入れています。

謝辞

今回の大阪マラソン挑戦に際し、TwitterやFacebook等で多くのみなさまから応援や励ましのコメントをいただきました。ありがとうございました。
そして、最後までいろんな形で応援してくれた妻と息子に心から感謝。

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