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自由も人権も国家のプライドもない日本でいいのか?

こんにちは、自由主義研究所の藤丸です。
今回は、中国での日本人拘束報道について、思ったことを書きました。


3月下旬、中国・北京市で50代の日本人男性がスパイ行為などを取り締まる国家安全当局に拘束されたことが明らかになりました。
拘束されたのは大手製薬会社のアステラス製薬に勤務する男性。

中国外務省は男性の取り調べを行っていることを認めましたが、
中国の刑法と反スパイ法に違反した疑いがあるということ以外、
なぜ拘束したのかなど具体的な説明は一切していません。


そんな中、4月1~2日に林外務大臣が中国を訪問しました。


この事件については、現時点でほとんど情報が公開されていないので、
詳細は全然わかりません。

林外相が訪中すべきだったのか、行くべきでなかったのかは、
政治的判断になるので、結果的にどちらがよかったのか私にはわかりません。
ただし、日本人拘束が発覚した直後にこちらが相手国へ出向くというのはどうなんでしょう。

また、外務省のHPを見ても、拘束された日本人を何としても解放させる、という決意は全く感じられません。
本人はもちろんご家族や関係者の方々の不安はいかばかりかと思います。
政府は裏で懸命に動いているのかもしれませんが、
少なくとも対外的には「日本政府は、邦人拘束事件を重視していません」と表明しているように見えます。


しかも今回の件は断続的に続く中国による日本人拘束の一例に過ぎません。

中国の習近平政権は2014年以降、国家安全法や反スパイ法を新たに制定し、外国人の監視や取り締まりを強化。
スパイ行為などで拘束された日本人は計17人に上る。
17人は地質調査会社や大手商社の社員、東京の日本語学校幹部、大学教授、日中友好に尽力した「友好人士」ら。
このうち11人は刑期満了などで帰国したが、1人は服役中に病死。今回のアステラス製薬社員を含む5人が未解放のままだ。
現地在住時だけでなく、出張や旅行で渡航後に拘束された人も少なくない。中国側の要請で訪中時に取り押さえられた事例もある。17年3月には中国企業に温泉探査を依頼された地質調査会社社員ら計6人が山東、海南省で拘束された。

産経新聞4月1日記事より(太字は筆者)


中国による日本人拘束だけでなく、北朝鮮による拉致問題もあります。
日本は自国民が他国に拉致・拘束されても、解決できない国なのです。

しかも、このような拘束・拉致事件は当初は社会問題となっても、
徐々に忘れられ、似たような事件がおこっても「またか」というように軽視されています。
本当にこれでいいのでしょうか。
これは大問題ではないのでしょうか。


主権国家が併存している国際社会の現状では、
自国民の保護とは、いうならば自分やその家族を強盗団から守るというような第一義的な要請だと思います。
国内の景気浮揚というような、そもそも国家によってできるものなのかどうかもわからず、かつ人の生命に差し迫った緊急性のないことよりも、
はるかに重要なことです
にもかかわらず、誘拐された自国民保護をおざなりにしたまま20年以上(本の出版時)が過ぎ、小泉全首相が日朝会談を最初におこなった2002年以降、現在に至るまで事態の全容も解明されないままです。
福祉国家を掲げる日本の政治家は、この間、
明らかに重要度の低い国内の社会問題などを論じ続けているのです。
いかにも本末が転倒しているのではないでしょうか。

「リバタリアン宣言」(蔵研也 著)(太字は筆者)



個人から自衛権を取り上げ、
納税の義務の名のもとに、国民の所得の半分も強制的に奪う政府。
国民の生活・経済・教育など様々なものに偉そうに介入してくる政府。

日常の生活・経済・教育・文化などは、
政府が介入しなくても、民間の工夫でやっていけます。
それらに介入し、日本国民を法や規制で縛り上げ、
増税を繰り返すことが政府の仕事ですか?


そうではないと思います。
政府の本来の仕事をしてください。
政府にしかできないことに全力をあげて対処してください。
外国政府による拉致や拘束事件は、民間人にはどうしようもありません。
こういう個人では対応できない事態のために、政府は存在するのではないでしょうか?



繰り返しますが、今回の拘束事件の詳細はわかりません。
また、実際の政治の裏の駆け引きがどうなっているのかは、
情報が公開されていない以上、一般人には知りようがありません。
日本政府は全力を挙げて対応しているのかもしれません。
ただし、それは表には全く伝わってきません。

表に伝わっている情報は、
「日本政府は自国民が拉致・拘束されても、本気で対応しようとしない。相手国に忖度し、自分たち権力者の利益を優先して、庶民の自由や人権は見捨てるつもりだ」という態度です。

このことは、日本国民だけでなく、全世界がそう認識すると思います。

これでは日本は舐められ続けます。

中国や北朝鮮に戦争を仕掛けろとは言いませんが、
「絶対に許さない、自国民を取り戻す」という怒りと覚悟をアピールする必要はあると思います。
保守主義者・古典的自由主義者・リベラルの区別なく、日本国民はもっと怒るべきです。


ここで、大英帝国の海洋覇権に裏打ちされた「パクス・ブリタニカ」を象徴するイギリスの政治家・第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルの有名なエピソードを紹介します。

1850年、イギリス籍のユダヤ人のドン・パシフィコがギリシャで家を焼かれるという事件があった。ユダヤ人差別の感情もあり、ギリシャの官憲はまともに捜査すらしなかった。これにパーマストンが激怒し、艦隊をギリシャに派遣して戦争も辞さずと恫喝した。さすがにヴィクトリア女王を筆頭にイギリスの上流階級からは非難が沸き起こった。それでもパーマストンは意に介さず、議会で歴史に残る演説を行なう。

古のローマ市民が「私はローマ市民である」と言えば侮辱を受けずにすんだように、イギリス臣民も、彼がたとえどの地にいようとも、イギリスの全世界を見渡す目と強い腕によって不正と災厄から護られていると確信できるべきである。

今日では「我こそはローマ演説」と呼ばれるこの演説に、イギリス国民は熱狂した。
(略)
一人の国民の権利を、総力をあげて守るのが主権国家である。
(略)
それを、自由と呼ぼうが、人権と呼ぼうが、とにかく個人の権利が侵害されたとき、最終的に守るのは国家しかないのである。

「帝国憲法物語」(倉山満 著)(太字はパーマストンの演説の部分)

パーマストンは世界の覇権を手にしていた大英帝国だから言えたのかもしれませんが、この気概がないなら、その国はもはや独立国ではなく強国の奴隷です。
日本には、もはや自由も人権も独立国としてのプライドもないのでしょうか?

私は日本で生まれ育った日本人で、家族も友人も地域も日本の社会・文化・自然も大好きですが、日本政府のことはとても残念でなりません。

そして、日本人の拉致・拘束事件に関心のない人が多いのは、
日本には自由主義がないからだ
と私は思います。
「中国なんて危ないところに行くからそんな目にあう」と思う人すらいるでしょう。
日本国内で拉致されても、ほとんどの人が関心を持ちません。

表現の自由・言論の自由には大騒ぎする人が多いですが、
それらは生命の自由・身体の自由が大前提での話です。



古典的自由主義では、「自由」や「個人」をとても大事にしています。
個人が大事だということは、
「全体(公益)のために、個人を犠牲にすることは許されない」ということです。
個人は大事にされるべきです。
言葉だけ読むと「そんなことは当たり前だ」と思うかもしれませんが、
現実には、これらは大切にされていません。
「公益のためには個人の犠牲は仕方ない」との考えが、
先の大戦で特攻という最悪最低の悲劇を生んだのだと思います。

これ以上、自由や人権を軽視し続けるのはやめてほしいです。
国家としてのプライド、日本人としてのプライドを持てる国にしたいです。
そのためには、自由や個人の人権を大事にするように、考え方を変えなければなりません。
多くの国民の考えが変われば、政府も変わらざるをえないと思います。


最後に、大日本帝国陸軍軍人の上原良司さんが残した言葉を紹介します。

「権力主義、全体主義の国家は一時期には隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れることは明白な事実です」
「ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツもまた、既に破れ、今や権力主義国は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。真理の不変さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます」
「現在のいかなる闘争も、その根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です」
「愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました」
「世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした」
「願わくば愛する日本を偉大ならしめらん事を、国民の方々にお願いするのみです」

「あゝ祖国よ恋人よ」(上原良司)

彼は特攻により22歳で亡くなりました。
これは、出撃の前夜に記された文章です。

政治家や軍人にではなく、「国民の方々に」お願いする、という言葉を
しっかり考えていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。



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