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総合流通No.1 𠮷田繁・JKHD会長の新戦略(上)

JR京葉線の新木場駅(東京都江東区)に降り立つと、一際高い18階建ての「新木場タワー」が目に入る。木材を含めた住宅関連資材全般を扱う国内No.1企業・JKホールディングス(株)(以下JKHD)の本社がここにある。JKHDは、木材・建材の専門商社であるジャパン建材(株)をはじめとする各種企業を傘下におさめる純粋持株会社であり、住宅・木材市場に大きな影響力を持っている。そこで、遠藤日雄・鹿児島大学教授は、新木場タワーの最上階にある会長室を訪れた。JKHDの頂点に立つ𠮷田繁・代表取締役会長兼CEOに、〝未曽有の不況〞を克服する経営ビジョンを聞くためだ。数々の修羅場をくぐり抜け、住宅・木材業界のカリスマとも呼ばれる𠮷田会長の口から、大胆な起死回生策が示される。

年商1千億円では小さい、スケールメリットを追求

平成10年、建材卸業トップの(株)丸𠮷(東証二部)と興国ハウジング(株)(同)が合併、新社名をジャパン建材(株)に変更し、木材・建材業界を驚かせた。平成18年には、社名をJKHD(株)に変更。「快適で豊かな住環境の創造」を企業理念とする、国内トップの総合住宅資材関連企業に躍り出た。現在、同社傘下の主要関連会社は101社、社員は5000人に及ぶ。

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遠藤教授
ジャパン建材(一部上場)が誕生した前年は、山一証券や北海道拓殖銀行が破綻するなど、バブル崩壊が日本経済を激しく揺さぶっていた。住宅着工戸数も138万7014戸と対前年比15・6%減に大きく落ち込んでいた。その時期に大型合併に踏み切ったのは、相当な決断だったと思うが。

𠮷田会長
合併前の両社はどちらも年商1000億円規模。これでは、あまりにも小さかった。事実、バブル崩壊によって赤字寸前に追い込まれていた。米国の木材・建材関連企業は、5000億円程度の年商が普通だ。とにかく合併して大規模化しないと、21世紀には生き残れないと考えた。

遠藤教授
具体的な合併効果として何を狙ったのか。

𠮷田
スケールメリットが追求できる。日本の木材・建材流通のネックは、管理部門の非効率性にある。1人1人の社員の営業能力以前の問題だ。非営業分野の合理化を進めることによって、競争力の高い販売会社に脱皮できる。

遠藤
日本の木材・建材流通には多くの販売業者が介在し、取り扱う商品の種類も多い。

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𠮷田繁・JKホールディングス(株)代表取締役会長兼CEO

𠮷田
そのため供給過剰を引き起こし、過当競争を誘発する。平成8年の消費税アップ前にあったいわゆる駆け込み需要発生のときも、過当競争で利益があげにくい上に販売単価が落ち込んで、各社とも体力を消耗してしまった。こうした弊害を取り除くことも合併効果の1つだ。ジャパン建材の誕生で、業界の体質が多少なりとも改善されたと思っている。

住宅取得に潜在的ニーズ、だが未だ関心が低い

遠藤
ジャパン建材が誕生して10年がたった。この間、メガ問屋による流通再編も進んだ。だが、そうした企業努力を水泡に帰すような厳しい経済危機が続いている。この不況から脱却できるのか。

𠮷田
今回の不況は「100年に一度」といわれているが、80年前にあった「大恐慌」とは違う。震源地の米国が素早い対応を示し、各国もこれに追随している。為替も安定してきており、今後、極端な株安にはならないのではないか。
米国の金融破綻のきっかけになった住宅需要をみても、今年2月の着工戸数は前月比でプラスに転じた。3月はまた落ち込んだが、住宅価格には徐々に底入れ感が出てきている。米国政府は財政出動を追加するだろうから、いずれ景気は上向いていくと期待している。

遠藤
日本はどうか。とくに、内需の中心を占める住宅需要の見通しは?

𠮷田
米国の場合は、国民が身の丈以上の消費をしたためにバブルが発生し破綻した。日本は違う。貯蓄もあるし住宅取得の潜在的能力はある。一昨年10月の改正建築基準法施行後の2か月間は30%程度の落ち込みになったが、今は違う。年100万戸の着工数は維持されるだろう。

遠藤
同感だ。平成14年頃、つまり長いデフレから脱却した後、住宅も木材・建材もイイ線をいっていた。それが改正建築基準法の「官製不況」で落ち込んだものの、潜在的取得能力はある。とくに団塊ジュニアが住宅取得適齢期に入っている。

𠮷田
JKHD傘下の住宅関連企業の動きをみても、住宅は持ち直している。3月17〜18日に東京ビッグサイトで開催した「第21回ジャパン建材フェア」には、平日にもかかわらず2万人強が訪れ、売上げも当初計画を達成できた。住宅展示場に足を運ぶ消費者も増えている。これからジリジリと回復基調に入り、夏頃には変化が出てくるのではないか。

遠藤
その住宅について、𠮷田会長はかねてから、「衣食住の中でいちばん遅れているのは『住』」と指摘しているが。

𠮷田
衣食足りて住に関心が向くわけだが、日本はまだそこまでいっていない。例えば、欧米では女性達が自分の住んでいる家に大きな関心をもち、友達といろいろな面で家の良さを競い合っている。欧米の不動産企業のスタッフも女性が中心だ。これに対して日本の女性は、まだ「衣」の段階に止まっている。やれグッチだ、エルメスだ、シャネルだ…(笑)。ブランド物に振り回されてる。

遠藤
なるほど。食もグルメブーム。未だ衣食足りてない(笑)。その中で、女性を中心とした消費者の眼を住宅、ましてや木材に向けさせるのは至難の業だ。どうすればよいのか。

合板博物館に1年で1万人、時代とともに変貌遂げる

新木場タワーの3・4階には、𠮷田会長の発案で開設された「木材・合板博物館」がある。合板製造100周年を記念して、NPO法人木材・合板博物館が平成19年に設置、運営している。3階は「木を知る」などのテーマ別展示がある。4階では、実際に道具を使って木工作業ができる。セミナー室もあり、小学生などの見学者が多い。

𠮷田
当初は「木材・合板博物館」などをつくっても人は来ないと言われたが、1年間で1万人が来館した。多くの人に木を知ってもらうという地道な啓蒙普及を続けることが、木造住宅への関心を高めることにつながると確信している。

遠藤
「木材・合板博物館」という名前から𠮷田会長の合板に対する思い入れが伝わってくる。𠮷田会長の先代、つまり丸𠮷の創業者である故𠮷田猛氏はベニヤ問屋から身を興したと聞いている。また、JKHDの取扱い商品に占める合板の売上げ比率も大きい。合併前の丸𠮷は、どのような木材ビジネスをしていたのか。

𠮷田
合板の卸売りだ。先代(親父)が昭和13年に起業し、戦後の昭和24年に墨田区に丸𠮷商店(株)を設立した。その頃はセン、タモなどの道産広葉樹を原料とした合板が主流。建築用途もせいぜい天井板だった。その後、プリント合板の時代に移行した。壁材やフロアに使われた。さらに、国産マツを使った型枠用合板(コンパネ)の用途が生まれた。この型枠用合板が住宅の野地板、モルタル下地などに使われ始めて、建築用資材としての需要につながった。その後、南洋材合板を経て針葉樹合板(構造用合板)が主流を占めるようになった。

遠藤
丸𠮷からジャパン建材、JKHDへと、合板一筋で70年が経った。その合板業界も大きな変貌を遂げた。農林水産省の『木材需給報告書』で合板工場数をみると、昭和45年には384(「普通合板専門」)あったものが、平成18年には45工場にまで減っている。(次号につづく)

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一昨年9月に竣工した新木場タワー

(『林政ニュース』第364号(2009(平成21)年5月13日発行)より)

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