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私にも父と呼べる人がいたことに感謝したい

プロローグ


父にも母にも遺棄され、この世に存在していること自体を止めたいと思ったことがある。
いったい私は、何のために生きているだろう。常に自問自答していた。
母は私を避け、祖父母には私の存在が迷惑で、微かな記憶にある父だけが心の拠り所だった。
父に会えば、父を知れば、私の人生は開けるかもしれないと信じていた。
父と信じていた人が私の本当の父ではないと知った時、
私は再び根無し草のように行先の分からないまま流されそうになった。
しかし、私の力ではどうにもならないことにいつまでも囚われずに生きていこうと心に決めた。
私は、私が信じる道を私の人生の流れに身を任せて立派に生きてみせます。
きっといつの日か、心の拠り所となる場所にたどり着けると信じて。

ルノさんからの連絡


2020年8月、JFCネットワークの東京事務所に1本のメールが届きました。名前はルノ(仮名)、フィリピン・ミンダナオ島に暮らす15歳の少女からでした。
 
「私は、両親から遺棄されたJFC(Japanese Filipino Children)のルノ・ヤマシロです。父は私が生まれてからずっと支援をしてくれていましたが、私が8歳の時に連絡も援助も途絶えました。母は新しい家族とマニラで暮らすことになり、私をダバオの祖父母に預けて家を出ました。祖父母との生活は非常に貧しく、家には水道がないため、自宅から遠く離れた井戸まで水を汲みに行くことを学びました。時々、私は自問自答することがあります。
 なぜ、私は生きているのだろう、何のために?
 なぜ、私はいつもこんな目に遭わなければならないのだろう。
 なぜ、私が?
 もし、自分が死んだらどうなる?
 私はもう死んでもいいのかもしれない。」 

 ルノさんが暮らしている場所が、ミンダナオ島だったのでJFCネットワークの協力機関であるRGS-COWへ相談に行くように伝えました。RGS-COWにもルノさんという少女から相談メールが入ったので対応してくれるようにと伝えました。
 その後、東京事務所でルノさんのケースの書類一式を受取ったのは、最初にルノさんからのメールを受取ってからすでに7か月が経っていました。貧困が原因で必要書類がなかなか揃えられなかったそうです。ルノさんの自宅を家庭訪問した報告書にはこう書かれていました。
「ルノの暮らすコミュニティは海面にあるスラム地域でした。ルノを養育している祖父母は家を借りるだけの経済的な余裕がないため、この地域に住むことを決めたそうです。」
 RGS-COWの聞き取りによれば、ルノさんの母のドミンゴ(仮名)さんが静岡県のクラブで働いていた時に、お客として来ていた山城(仮名)氏と知り合い、二人は恋仲となりました。しばらくして、ドミンゴさんは妊娠し、フィリピンへ帰国しました。妊娠の事実を知った山城氏はとても喜び結婚の約束もしたそうです。
 ドミンゴさんが妊娠6カ月の頃、山城氏はフィリピンを訪れ、2週間ほど一緒に過ごしました。その後、山城氏は日本に帰国しましたが、次第に連絡が途絶えがちになりました。「残業が多くて仕事が忙しい」というのが理由でした。
 2006年9月、ドミンゴさんは女の子を出産しました。山城氏は仕事が忙しく、出産に立ち会うことは叶いませんでした。しかし、名前を「ルノ」にして欲しいとドミンゴさんに伝えました。山城氏が好きな画家の名前にちなんだそうです。
 ルノさんが1歳4か月になったころ、山城氏はフィリピンを訪れました。そして、フィリピンの出生証明書の「認知の宣誓供述書」と「父の姓を使用することの宣誓供述書」に署名をし、ルノさんはフィリピンで法律上、山城氏の子となり、ルノ・ヤマシロとなりました。
 ルノさんが7歳になるころまで、山城氏は毎月の送金をしていました。しかし、その後に送金が途絶え、ドミンゴさんはドバイへ家政婦として働きに行くことを決めました。しかし、そのずいぶん前から、ドミンゴさんは新しい家族と一緒にマニラで暮らすため、ルノさんをミンダナオ島の祖父母に預け、家を出ていました。

ルノさんの陳述書


 その後、ルノさんの陳述書が届きました。
「私は現在祖父母と一緒に暮らしています。母には新しいパートナーがいて、二人の子どもたちと一緒にマニラで暮らしています。母は5人きょうだいの2番目です。母の父は建設作業員として働いていて、仕事場の倉庫に家族が暮らしていたと聞きました。祖母が5人目の子どもを妊娠中が生きていくのが一番大変だったそうです。母は高校に通い続けるために皿洗いのアルバイトをしたそうです。そこで4か月働いた後、店員として6カ月働き、高校を卒業するための学費を工面したそうです。祖父母は高校を卒業すれば十分だと母に伝えたそうですが、母はどうしても大学に行きたかったので自力で大学に入学し、コンピュタサイエンスのコースで学び始めました。しかし、貧困のために学業を続けることができなかったそうです。
 母はその後、知りあいから日本への出稼ぎをすすめられ、2003年、エンターテイナーとして日本で働きました。その時に私の父と出会い、恋人同士となったそうです。
 母は妊娠したことを知った時、中絶をしようと思ったそうです。しかし、祖父母がそのことを知り、中絶を許さなかったため、私が生まれました。(※フィリピンではカトリックの影響もあり、中絶は禁止されています。)
 私は一時期、母と一緒にマニラで暮らしたことがあります。その頃、私は父と電話で話をしたことがあります。父は日本語で話したので私は父の言葉が分からず、母が紙に書いて説明してくれたのを記憶しています。私が理解した言葉は「愛している」「恋しい」という言葉だけでした。今でも、父の声が私の耳に残っていて、その響きを思い出すと心が和みます。
 しかし、私が6歳の時、母は私をミンダナオ島の祖父母のもとへ預けてマニラへ戻ってしまいました。その理由は、母の新しいパートナーが私と一緒に暮らすことを拒んだからです。
 小学校1-2年生の間は、父が経済的に支援をしてくれたので私は私立の学校に通いました。母とは年に1度しか会えませんでした。小学校3年になると公立と私立が半分半分のセミプライベートスクールに転校しました。その頃から、私の人生は少しずつ変わり始めました。
 私が8歳になると、父はこれまでのように経済的な支援をしてくれなくなり、電話もしてこなくなりました。父はまるで泡のように私の前から消え去ってしまったのです。学費が払えない状態が続き、その額はもはや祖父母には返済不可能な額になっていました。
 そのため、私は小学校4年生の時、自宅から離れた公立の小学校へ転校しました。前に通っていた学校は、私に学費の滞納があったので転校に必要な成績証明書を発行してくれませんでした。それでも私は勉強を続けることを諦めず、公立学校へなんとか転校しました。
 私は、電気も水道もない祖父母の家で寝起きをし、家から遠く離れた公立学校まで歩いて通いました。のどが渇いてもお腹がすいても歩いて通いとおしました。井戸から水を汲み、学校ではバカにされ、いじめられ、近所の人達が私を見る眼が次第に憐みの眼に変わっていくのを感じました。毎日毎日、祖父母から辛い言葉で罵倒され、心をナイフで突き刺されたような気持ちでした。私は悲しみの深い海に溺れてしまいそうになると、本を読みました。私は本に救われ、本が私の世界となりました。そして、私は神に救いを求めました。神は私の強みであり、私が逃げ込める唯一の場所だったのです。
 私の人生は困難に満ちていましたが、私の学校の成績は高得点を維持していました。私は優秀な成績で表彰されることが幾度かあったのですが、時にはそれが嫌になることがありました。同じように表彰台にあがる同級生は陽気で誇らしげで、一緒に祝ってくれる両親や友人たちといるからです。私はその光景が羨ましくて、一緒に祝ってくれる友人も家族もいない自分が嫌になり、自分には価値がなく、そこにいることが恥ずかしいと感じて涙が出てしまいます。
 ある日、私は勇気を出して、SNSを使って父を探し始めました。「長い間、行方不明になっている日本人の父親を探すにはどうしたらいいか」とインターネットで検索し、私はさまざまな機関や組織に相談しましたが、どこからも返事をもらうことができませんでした。しかし、JFCネットワークにメールをした時、はじめて返事をもらうことができ、私の中に希望が生まれました。そして、JFCネットワークから相談に行くように勧められたRGS-COWの連絡先をすぐにメモをしてすぐに連絡をしました。
 RGS-COWの事務所を訪れた時、以前にもここに来たことがあることを思い出しました。しかし、その当時は、母がいないので私のケースを受けることはできないと言われました。しかし、今回は、結果がどうであれ、私は挑戦することを心に決めたのです。
 『善い行いをするたびに、小さな光が暗闇を遠くまで照らす』これはRGS-COWのシスターが言った言葉です。
 私は両親がいないことを恨んで育ちました。悲しい時、アドバイスが必要な時、両親はそこにいませんでした。頼れる両親がいて欲しいという憧れと同時に心の中には空虚感がありました。両親への怒りや恥ずかしさ、そして拒絶感は、私の心をおぞましいものにし、私の心の中は両親への憎しみが募るばかりでした。
 しかし、今、私は、母がそばにいなくても、日本人の父に実の娘としての権利を求め、新たな道を開いていきたいと思っています。」

 山城氏との交渉


 2021年4月、JFCネットワークはルノさんの父に手紙を書きましたが、返事はありませんでした。そのため、弁護士にルノさんのケースを受任してもらうことになりました。しかし、調停を申立てるにあたり問題がありました。通常、子どもが未成年の場合は認知や養育費の請求権は法定代理人の母にあるため、母が弁護士の委任状に署名をすること必要でした。しかし、ルノさんのケースの場合、母が非協力的だったため、書類に署名をもらうことができるかどうか、が問題でした。さらに、認知や養育費の調停を申し立てるにあたり、母にインタビューをして山城氏との出会いから現在までの話を聞き取って陳述書を作成する必要もありました。
 ドミンゴさんはマニラにいて近々海外へ働きに行くという情報を得、ダバオのRGS-COWはマニラのRGS-COWの協力を得て、母に接触を試みてもらい、なんとか陳述書や書類に署名をもらえたのは、奇跡としか言いようがありませんでした。
 担当の弁護士さんは、例え、親権者母として調停が申し立てられたとしても、合意(調停審判)や養育費の合意に至る最後のところで、母と連絡が取れないと、認知の合意や養育費の受取りが出来ないという事態が生じるリスクがあるので、母に連絡がとれる今のうちに、母からいくつかの合意書に署名をして欲しいと言いました。
(1) 認知請求等の手続を経て最終的に子どもの父親から認知を受けるための合意をすること。(2)父親からルノさんの養育費を受領するための合意(合意時点において受任弁護士が相当と考える内容)を父親との間ですること。(3) 父親から受領した養育費をJFCネットワーク経由でルノさんに交付すること。
 これらがあれば、最悪、途中で母と連絡が途絶えても、事前の同意に基づき、手続を進め、合意や金銭を受取ることができます。ルノさんのケースは非常にレアなケースでした。事実上、子どもが親権者の母から遺棄されている中で、法的には母が養育費の請求権を有するという前提で申立人になってもらっています。養育費に関しての審理の中では、例え母子が一緒に暮らしてないとしても、その母親の家計収支等は問われてしまいます。そもそも、監護を全くしていないということになれば、親権者であっても、監護者ではないため、養育費の請求権者として不適格と言われてしまうと、養育費請求自体が却下されかねません。
 そのため、一応、監護の意思と間接的な監護をしているという言い方をしなければなりません。他方、ルノさんが一緒に暮らしている祖父母も法的な監護権や法定代理人としての資格を持ってなく、祖父母にも請求権があるとは言い難い状況でした。そうすると、未成年の本人が単独で養育費請求権を行使することも難しいので、結局、請求困難と言われてしまうリスクもありました。15歳の子ども自身が主体となり認知や養育費を求めるのは、JFCネットワークでは初めてのケースでした。
 2022年4月、第1回の調停期日がありました。調停に山城氏は出席し、恐らく自分の子どもだと思うが確証はないということでDNA鑑定を実施することとなりました。母はすでに海外へ行ってしまったため父子鑑定を実施しました。
 その後、弁護士さんから鑑定結果を知らせるメールが届きました。結果は「父子関係の可能性は0%」でした。私たちはあまりのショックにしばらく茫然しました。RGS-COWのスタッフはルノさんにどのように伝えればいいのかとかなり悩んだ後、言葉を選んで慎重に事実を伝えました。ルノさんはしばらく言葉を失い茫然としていたそうです。ルノさんから母を問い詰めたが「他に関係を持った男性はいない」と言われただけだったそうです。
 しばらくして、東京事務所にはルノさんからの数枚の手紙が届きました。弁護士さん、スタッフ、そして山城さんへ宛てた手紙でした。
 山城さんへ宛てた手紙には、ルノさんが山城さんをダディと呼んで電話で話したこと、日本語が分からなかったが、「元気にしているかい?」「会いたい」「愛しているよ」の言葉を覚えていること、本当の父でもないのに、遺棄されたといって訴えてしまったことへのお詫び、自分がフィリピンでヤマシロの名字を名乗る資格などないと感じていること、7歳まで支援してくれたことへの感謝などが綴られていました。
「この残酷な真実を知るまで、私の父親でいて下さったことに心から感謝します。この先に何があろうとも、あなたが誰かの心と魂の一部であったことを忘れないでいて下さい。」
手紙の最後はこう締めくくられていました。

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JFCネットワークでは、裁判等の書類の準備が困難なケースの支援、困難を抱えるJFCへの支援のための基金として、「JFCサポートファンド」があります。ルノさんのような子どもたちも対象となります。
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