イラスト生成AIはなぜムカつくのか?

今月初旬ごろから、イラスト生成AIが話題になっています。

筆者はイラストよりもゲームに興味がある人間であり、ゲームデザイン業を行っていたこともあるため、ゲームデザインにおけるAIの活用には常に関心を持ってきました。

ゲームデザインを支援するAIの話題は、つい先日行われたCEDEC(ゲーム開発者カンファレンス)でも見られ、依然として「熱い」テーマになっています。

ところで、イラスト生成AIに対する反応、特に特定の人の絵柄を真似るサービスに対する反応を見てみると、お怒りの方が多いようです。ゲームデザインAIや、機械翻訳、自動運転など、これまで様々な作業がAIによる支援・自動化の対象になってきましたが、ここまで「怒り」の反応が多かったものはなかったように思えます。これは何故でしょう?

法律などの整理

この記事は、多くの人が何故怒っているのか勝手に考えることが目的ですが、ひとまず法的な問題を片づけておきます(もちろん筆者は専門家ではないため不正確な可能性があります)。

まず、AIモデルをつくるために、著作物を無断で利用することは著作権の侵害に該当しません(法改正によって、ますます使いやすくなりました)。

第三十条の四 著作物は、次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には、その必要と認められる限度において、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
一 著作物の録音、録画その他の利用に係る技術の開発又は実用化のための試験の用に供する場合
二 情報解析(多数の著作物その他の大量の情報から、当該情報を構成する言語、音、影像その他の要素に係る情報を抽出し、比較、分類その他の解析を行うことをいう。第四十七条の五第一項第二号において同じ。)の用に供する場合
三 前二号に掲げる場合のほか、著作物の表現についての人の知覚による認識を伴うことなく当該著作物を電子計算機による情報処理の過程における利用その他の利用(プログラムの著作物にあつては、当該著作物の電子計算機における実行を除く。)に供する場合

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048

また、SNSではAIモデルではなく、モデルが生成した画像のアップロードが問題ではないか、という声もありますが、いわゆる「絵柄」に著作権はないため、そもそもSNS上で問題となるような絵柄の類似の大半は、法的には「類似性」がない(つまり、著作権を侵害しない)ものと思われます。

類似性に関する判例を知りたい方には、この本がおすすめです。

さらに、仮に日本法が改正されたり、社会的な批判に耐えかねて、国内企業のサービスがなくなったとしても、『mimic』の類似サービスを立ち上げるのは技術的には容易なので、海外企業がより「自由な」サービスを展開する可能性があります。むしろ昨今の流れを見ると、有料サービスにすらならず、無料ツールとして配布されたり、既存のサービスやツールに組み込まれる可能性も高いと思われます。

イラスト生成AIの活動が拡大することは不可避ですが、とは言え、イラスト生成AIを国内で活用しようと思えば、社会的・道義的な目線も必要になります。一人で鑑賞して楽しむ分には誰も咎めないでしょうが、ゲーム・漫画・グッズなどへの活用、AI技術を活用したサービスの立ち上げ、SNSにアップロードしてチヤホヤされる等の利用目的がある場合、炎上は避ける必要があります。

同種の流れはイラスト以外の領域にも発生することが見込まれるため、何故人々がこんな怒っているのか考えることは、有意義なことと思います。

1:努力の価値が下がる

自動化・機械化には「人間の仕事がなくなる」という話が定番のように付いてきます。

イラストレーターは膨大な時間をイラスト技術に投資しており、これがAIに代替されることは不快な可能性が高いですし、特にイラスト技術によってお金を稼いでいるプロの方が不安な気持ちになるのは自然です。

しかし、これは機械翻訳にも同じことが言えます。また、現状イラスト生成AIを活用するのが一番得意な集団はイラストレーターなので、同業者がブチ切れてる間に抜け駆けした方が「得」な可能性もあります。

努力の価値低下・経済的な打撃説は、AI技術全般に当てはまることですが、イラスト関連で際立って「怒られ」が発生している理由の説明にはならないので、一旦棄却しておきます。

2:自己目的的である

ゲームのプレイにAIを使うことは大抵「チート」ですし、将棋の対局でAIにこっそり指し手を教えてもらうと大問題になります。将棋界を揺るがす冤罪事件も発生しました。

ゲームの特徴は、通常何の役にも立たないことです。ゲームで負けたくなければ、ゲームをやらなければいい。プレイヤーはゲームをやりたいから、ゲームをやっているのです。このような、それ自体が目的となっていることを自己目的的と言います。そして、行為が自己目的的であるものは、AIの利用に対する反発が強まりやすい印象があります。

創作活動は自己目的的な面が強く、イラストでお金を稼いだり、SNSでチヤホヤされたりする「利益」を得ている人も、元来やりたいからやっていた人が多いのではないでしょうか。イラストレーターの方が、SNSにイラストを載せるとき「落書き」だと主張するのは、謙虚さに加え、自己目的的であること(フォロワー数稼ぎなどの目的がないこと)の主張にも思えます。

この観点で見れば、イラストを何かの目的に利用する意識が強い人、例えばゲームの自主製作をしていてイラストを調達したい人などは、イラスト生成AIを歓迎する傾向が強いように見えます(同様に将棋の定跡の研究などは、将棋に強くなるという目的のための行為なので、AIが活用される傾向にあります)。

自己目的的な行為は何故、AIによる反発を受けやすいのでしょうか?ある行為が、その人にとって自己目的的であるかは、ほかの人からは判別できません。自己目的的でない(そのために、大量に生産できる)ものと、自己目的的な(そのため、時間をかける)ものを同一基準で比較することが、自己目的的であること自体を侮辱されたように感じさせるのかもしれません。
(例1:「そんな時間かかるなら、AIで描けばよくない?)
(例2:「AIで描いたみたいに精巧な絵ですね!」)

3:「自分」が複製されたように感じる

イラスト生成AIの活用法で特に反発が強いのは、絵柄を真似ることです。

注目したいのは、他人の絵柄を真似ることがAIに関わらず反発を招きやすかったことで、ここはエンジニア、研究者や法律家とイラストレーターやファンの文化が衝突するポイントの1つのように感じます。

前述のように、絵柄には何の権利も存在していません。漫画家の田中圭一氏は手塚治虫の絵柄を高い精度で再現していますが、このレベルで絵柄が似ていたとしても、多くのイラストには「類似性」がないものと思われます。

しかし、イラストレーターやそのファンは、絵柄の再現に敏感な人が多い印象を受けます。

もちろん絵柄によって、その人を連想させる、その人の知名度で商売ができる、という実利的な面もありますが、(失礼ながら)それほど有名でない人の場合は経済的な損害は発生しません。実際、商業作品に絵柄を似せたり、他者の著作物の名前を使ったり、コラージュすることは広く行われており、イラスト業界はこれらに対して総じて好意的です。絵柄の再現問題はごく一部の人以外は心情的な問題が大きいと思われます。

先ほど、「ある行為が、その人にとって自己目的的であるかは、ほかの人からは判別できません」と述べましたが、ある人の心情や性格は、他者からすれば通常、その人の言動を外から観察することによってしか推測できません。

特にインターネット上では、観察できる言動が僅かなテキストと創作物だけという例も多く、イラストレーターの創作物の傾向、つまり「絵柄」は、他者から見たときの「その人自身」の大部分を占めていると思われます。
絵柄が成立するまでに、もちろん練習は必要でしょうが、イラスト以外にまつわる人生経験や、その人自身の先天的な特徴などが影響しており、絵柄にはその人自身が含まれています(含まれていると感じられる傾向にあります)。

絵柄のコピーは、自分のコピーロボットが勝手に作られ、コピーロボットが勝手に活動するかのような不気味さを感じさせるのかもしれません。例えば、Twitterなどのログを学習することで、あたかもその人かのように喋るbotがつくれるようになったとして、自分のbotが勝手にインフルエンサーとして活動したり、知らない人と勝手にお喋りしている状況は、多くの人が嫌悪感を抱くものと思われます。故人をAIで現代に「蘇らせる」ことへの違和感も、同種の感覚でしょう。

人間が人の絵柄を「学ぶ」こととの違いは、AIによるコピーは「不純物」を排除できることで、人間による学習は不完全であり、その不完全さは学習者自身の経験や特徴によって生まれます。また、人間が完璧に他人の絵柄を学習できたとしても、その人間に「やめてくれ」とお願いするなど介入するチャンスは多く、その人の絵柄が徐々に変化していく可能性もあります。

機械によるコピーは、不完全性・介入・変化が起こらない(ように思える)ため、その人自身の完全なコピーとして嫌悪感を喚起しやすいのかもしれません。

逆に言えば多くのファンやフォロワーは、イラストのみならずイラストレーターを鑑賞・関心・愛着の対象としているため、自分自身を表現するチャンネルを増やすことはAIに対抗する手段として有力です。

おわりに

「怒られ」の仮説をいくつか挙げましたが、自分はイラストをしっかり描いたことがほぼなく、イラストレーターの知り合いも少ないため、まるで的外れなことを言っているのかもしれません。

いずれにせよ、AIがこれから我々の生活に益々溶け込んでいくことは間違いなく、AIに対する「お気持ち」、つまり感情・倫理の問題も重要です。

すでに学術的な議論は行われているでしょうが、これほど幅広い人が身近なテーマとして、AI倫理に関して議論するようになったことは画期的です。イラスト生成AIの何がムカつくのか、皆さんもTwitterなど表明していただけると嬉しく思います。

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