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継続の難しさ

先週のV6解散宣言から、まだ少し立ち直れていないのですが、決して前向きにとらえていない訳ではないのです。

Jrの卒業年齢を定めたこと。
あの人が亡くなって、事務所の体制を変えようとしていること。
そんな中で、あの人の時に契約していたメンバーにも、契約内容が変更になるであろうことは何となく予想していたので。
そして、年齢的に考える時期が「不惑」。

厄年ともいわれる年齢です。
「厄年」が悪いのではなくて、体力的にも、精神的にも、人生を考えるタイミング。
きっと、幅広い年齢のグループだから、その時、その時で誰かが考えていたのかもしれないし、そんなことを言っていたのかもしれないけれど、これがトニセンの誰かではなく、カミセンの誰かが言ったから。
そして、トニセンもそれを受け入れるだけの土壌を持ったから。
そんな気がします。
もちろん、それだけではないのかもしれませんが、決断に対し、それを受け止めようとしているところです。

ファンクラブ会員ではないので、こんな風に思うのはおこがましいのかもしれませんが、関西の大地震の時に、チャリティグループを結成した3グループのうち、2グループが居なくなる。
名前は残る、歌も残る、記録も残る。
事務所に残るメンバーもいるのだから、合意の上での解散宣言。

でも、もしかして・・・と思うのです。
「わがまま」を言って、番組に出させてもらったという言葉。みんなでまた集まってやりたいという宣言。
全国ネット、一応、カットすることも出来たはずの宣言をオンエアーしたのは、裏で解散宣言を知っていたのかもしれないと・・・
そして、もし可能なら、事務所を離れた親友も呼んで、何か出来るのではないかと思ったのではないかと。
そのことを彼は止めたりしないと思います。
二人が3グループの集まりを好きだったことはファンなら知っているから。
だからこそ、自分たちが言うことが一番角が立たない。

二人もいつかは「解散」するだろうと思うこともあります。
いくら大丈夫と思っても、一人の大人として、そういう考えを持つのは悪いことではなくて、自分たちが夢を見ているのだと。
でも夢を与えることで、成り立つ職業でもあるわけです。
そこまでを鑑みて、どこまで自分の中で落とし込めるか。

ファンあっての活動だということは分かっていても、ファンのためだけの自分として生きていくのは、生身の人間としては難しすぎると思います。

今回の件で、事務所を離れることを検討するのは、半年や更新月に限ったことではなく、もっと前から、ずっとずっと課題として全員が検討しているということが分かりました。

TOKIOもV6も数年越しに検討を重ねて、結論を出した。

二人も同じように結論を出す時が来るかもしれない。
二人を箱推しする私としては、そんな日が来ることを恐れているけれど、どこかでは永遠なんてないと思うようにしている。

継続の難しさ。

それは、「継続したい」と思うことが、無理をする始まりだということなのかもしれない。

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