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推し活動

2024/4/30 推しのFCが閉鎖となります。
本人たちが決めたことなので、そこをとやかく言うつもりもなく、ただ、記念に書いてます。

彼らのFCに入会したのは、20世紀だったなぁと思い返し、長年応援している自分にも驚いていたりします。
もちろん、熱心なファンとは言い難くはあったものの、「やめる」ということは一度も考えたことはありませんでした。
それだけ彼らはファンに対し真摯に向き合ってくれていたし、もちろん今も向き合ってくれているからこそ、FC閉鎖というのも一つの区切りであり、彼らが前を向くための活動の一つだと思っています。

昨今の彼らを取り巻く状況は、傍から見ていて、こんなことになるんだと心を痛める一方、今までも同じようなバッシングはあったので、ファンとしてバッシングだけはやめてもらえないかと切に願っていました。

今は「過渡期」なのだと感じます。
彼らがスケープゴートのような形になりましたが、業界にも小さく小さく波打っていたものが、少しずつ大きくなっているのだと感じています。
「世界を目指す」
そう考える後輩が出てきたことを嬉しく思う一方で、どの国でもショービジネスが上手く使われてきたことも知っていて、ある意味、日本よりももっと根深いものがあったりもするわけです。
いろんなカルチャーがあり、日本が先陣を切っているものもあれば、ものすごく遅れているものもあります。
そして、自分たちを発信させるためのツールとしてSNSがあり、日本の中にいたとしても、海外に発信することが出来る。
世界に認めて、世界で名前を覚えてもらうためには、SNSくらいでは難しいのかもしれませんが。

「世界を目指す」という言葉が曖昧過ぎて、いまいちピンとこないのは、私自身が世界を見ていないからかもしれませんが。
彼らがそこを目指すなら、ファンとしては応援したいと思っています。
でも彼らは「世界に行く」のではなく、「自分の出来る範囲で自分のための音楽」だったり、「日本に見に来てもらうための舞台」だったりと、少し感覚が違うので、その辺はファンとして見守っていきたいし、応援したいという気持ちになるのかもしれません。

無理をしなければ、それなりのキャパでライブも出来るし、観客も呼べるだけの知名度はあるけれど。
それだけの知名度を作ってくれた先代に対してのリスペクトを忘れていない姿勢が推す一番の理由です。

もちろん、色々な問題があり、もうそれに対し真偽を問うことは出来ないのですが、そのこととを否定はしません。
自分はされていないし、見てないので・・・

でも、彼らがしてきたことは実際に見てきているので、そちらを否定することにはならない。
一人は、舞台を作りなおし、音楽を作り、独自の空気を纏う舞台を作り上げて継続している。
一人は、ライブをするにあたって、自分が活動するだけだといって、会社の名前を使わず、一から手探りで会場を作り、観客をつかみ、新しい音と出会い、その音に共鳴するメンバーが集っている。

どちらもその界隈では、「一人」できちんと立っているのに、揃うと最初のライブのように、フワフワと柔らかい空気になる。
それがファンとしては嬉しいのかもしれない。

一人一人が独自で立っていて、それはそれは格好いいのに、揃うとフワッとした温度になり、揃った時にしか出ない温度感が伝わってくる。

私はそんなところに惹かれて、個人と揃った時のギャップにやられているのだと思う。

FCが閉鎖しても彼らを応援することはやめない。
そして、彼らが彼らでいることを選択している限り、応援することをやめない。

決意表明でした。

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