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INFJのドアスラムに対してINFJの自分が思うこと

よくINFJについて述べられる時、ドアスラムの項目が入っていることが多い。
もしかしたら、他のタイプではあまり起こらないことなのだろうと考えられます

自分もドアスラムをした経験があって、
他の人伝いに「なぜ連絡が途絶えたのか教えてほしい」と言われたことがあります。
『それは教えられない。』『理由なんて知らなくていいよ。』と相手に対する全てを放ってしまうので何も伝えないですが…

(※前提として、自分の経験を基に話しているので一概に全員がそうという訳ではない。)

自分以外のINFJさんがどのような対処をしているのかはわかりませんが、
基本嫌気や不快を表に出すのは失礼だし、その場の雰囲気を崩してしまったり
自分からの視点だけが全てじゃないと思っているので「この人、なんかなぁ…。」と思い始めたとしても、わかりやすく拒否したりすることは無いです。

↑ここが重要です↑

INFJは大体直感が合っていることが多くその直感に基づいて動きやすいので、相手に対する不信感や疑いを持ち始めたらそれが消える可能性は少ない。

他の人からすれば、ドアスラムって本当に突然のことだと思います。
けれどINFJ当人からしてみると、前から引っかかっていたことなので「ずっと警戒してきたけどやっぱりダメかもな、ここで終わりにした方が良さそう。」という感じ。

もっと言えば
「まぁこの程度だし別の角度から見ればそんなに大袈裟に考えることでも無いか…(様子見)」

「ちょっと嫌な要素増えてきたな…これはまだ決めつけるには早いか。今後これ以上悪くなったら考えよう。」

「もう限界。行き過ぎだわ、関係を断ち切った方が良い。いや、断ち切ろう。」
といった風。

これが自分の心の中だけで進んでいくので他の人からは分からなくて突然の事だと認識するんですよね

纏めて言うと、
相手の状況や考えを想像して許す、みたいな許容範囲がある程度あって
負の感情が積み重なって自分の限界ラインに達したときパタンと途絶える。


これ、自分が周りとそぐわないからドアスラムして消える、というパターンもありまして…

もしかしたらこのパターンが最も理解されづらい可能性がある…


友達が仲良くお喋りしている場に自分は要らないなと判断して消えるんです。
この場に自分の存在が無くても成り立つだろうし、と自然に考える。

多分、きっとこれは利他主義なINFJの考え方なのかもしれません

他の人の利益を優先しがちなのはその方が自分が楽だから。
大袈裟に言えば自分が犠牲になった方が他の人を傷付ける心配がない。

INFJの自分にはそういう考えがある

他のINFJの方にもそういった考えはありますか?


まぁ、これを続けていると途中でドッと疲れて一人殻の中に閉じこもっていたい時がありますね
大抵INFJの弱点の後に「もっと自分を大切にしよう」「自分を癒す時間を与えよう」と記される所以みたいなところなのでしょう。

🍀

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