good picture quality doesn’t necessarily produce good photos, but he’s honest

2024.1.6


最初に文章を打つ時に、間違えて2034と打ってしまい、自分は平然と2024を迎えてしまったと、はっと気づいて静かに驚いた。2014年を過ごしていた頃はきっと2024年のことを想像できていなかったに違いないし、2020年を迎えたあの冬でさえ、世間が夏休みに入ろうとしている頃まで数字が繰り上がったことに信じられないでいたのに、2024年に関してはすんなりと受け入れて普通に過ごしてしまっていることに違和感を持っている。正月が明けようとしている。今はまだ、この世界の未来に2030年が待っていることを想像出来ないでいる。自分の未来に2030年があるのかは別として。


犬の数年前の写真を見た。今よりも体毛が全体的に茶色く、野生みたいだった。今の犬の顔には、愛嬌が表情に滲み出ていて、そのままくっ付いている。今日はケータイを新しく変えた。(ケータイは死語であるかもしれないが、携帯電話の略であるのだから、smartphoneのスマホと、大して変わらないはずだ。、、)

写真をしばらく眺めていた。私はケータイを電話や連絡手段としてよりも、カメラとして利用するほうが多い。重宝している。だから、新しいケータイを手に入れてから、お世話になったケータイショップを出てすぐの道路や建物を試し撮りしてみたり、設定を確認しながら変えてみたりして、新しい相棒の調子をみていた。前のケータイよりも更に画質が良くなっていて、画像の向こう側の気配が強く感じ取られるようだった。近くのベンチに座って、自分の足元にケータイのカメラを向けて撮ってみた。履いている靴を何気なく撮っただけで、その写真には靴のくたびれ具合が生々しく反映されていた。画質が良いからといって、良い写真が撮れるとは限らない。


帰宅して、机の上にケータイを置き、動画を撮った。

動画を撮りながら、ギターを練習した。




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