終着点が見えないから考える

2024.1.9


お腹があったかいって、幸せだと思う。朝、起きて淹れて飲んだ紅茶でお腹が満たされるとか、温かいご飯を食べてお腹があったまるとか。お腹が温まると便も出てくれるし、体全体がぽかぽかして動きやすくなる気がする。理屈とかは分からないけど、それはとても幸せな気がする。

そういうのを考えるようになったのは、自分が若かった時よりも着実に老いてきているからでもあるし、能登の震災のことが頭から離れないからでもある。

数日前に風邪をひいて、でも微熱までもいかない程度で回復しつつある。風邪をひくと、気管の調子も悪くなる。何年か前に喘息になってから、冬は怖い。そんなことを、ここ数年は調子が良かったせいで忘れていた。遅刻しそうになりながら走る癖があるけれども、走れるなんて、幸せだ。そうだった、と今日思った。あの時の、息をするたびに気管や肺が痛んで、冬の冷たい空気が凶器のように思えたこと、忘れてはいけないのに。


最近は字を書くのが楽しい。字を書くことがもう出来ないと思ったことがある。利き手なのに、みみずの這ったような字になってしまっていた。ちゃんと思った通りに今なら話せるし、体も動かせる。勝手に足が動いたり自分とは違う他人が体を動かしてる感覚もない。目も、見たいところを自分の視点で見れる。なんてしあわせなんだろう。

帰り道、黒い夜の中を歩きながら、終着点の見えない何かについて考えていた。自分の人生とも、他人とも、街のこととも、世界のこととも違う、何か。
実体のない靄のような、何か について。でも結局どうでもよくなって、そんな自分のあれこれはどうでもよくて、街のキラキラしたあれがすきだ。



そんな街を眺めるには、やっぱり、元気な体でいなくちゃいけないんだな。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?